第一章第二話(十六)乳母サリー
ジュニアは祈りの間で逐次型電子計算機と称する箱を操作し、記録していた音声を再現する。
『黒灰色の魔女よ、貴女自身が黒灰色の魔女の行方を問うという事に驚きを禁じえません。
貴女の声は確かに貴女の声なのですが、今までここに来られた貴女の中で一番声帯が幼いようです。
『貴女がエリフ様のように若返りを繰り返しているのか?
貴方が時間を遡っているのか?
貴女という存在が複数あるのか?
私は凄く興味があります』
聞こえてくる声は、先ほどのサリーのメッセージと同じ声だ。
『貴女は恐らく直近の黒灰色の魔女の足跡を知りたがっているのでしょうか?
残念ながら最後に貴女がここに訪れる二百九年前より先の記録はありません。
そもそも貴女はここに過去二回しか訪れていないし、いつも貴女は多くを語ってくれません』
『白銀の魔法使い、エリフ様が最後にここに来られたのは十年前です。
エリフ様はここに眠る少年を起こし、連れていきました。
以後はここに訪れていません。
『エリフ様はアウラ様の成長も見届けられ、そして眠れる少年が起きた今、ここに来る理由は無くなってしまったのでしょううね。
それまではあれほどここに訪れて、私達を喜ばせてくれていたのに。
既にアウラ様の船はこことは繋がっていません。
『黒灰色の魔女よ、教えてください。
私は好奇心で押しつぶされそうです。
貴女は何者ですか?
何故貴女は貴女自身を探しているのですか?
アムリタが時を渡ったことと関係があるのでしょうか……?』
ジュニア達は黙って聞いている。
しかし、その後は質問へ答えるというよりは、逆に質問をし続けるという様相となっている。
一とおり再生し、現在の時刻まで追いついた所でジュニアは再生をやめる。
「色々興味深い回答だけれど、エリーの知りたい内容ではなかったかもしれないね」
ジュニアはエリーに向かう。
エリーはジュニアの箱をじっと見ながらコクリと頷く。
「今のはサリー叔母様?」
聞こえてきた声は、異音が混じっているものの、確かにサリーのものである。
サリーが生きて中にいるような錯覚をアムリタは感じる。
「風の谷の思考機械のいくつかあると思われる人格の一つ、『乳母サリー』だよ。
君の叔母さんであるサリーのパーソナル情報を参考に作られたんだ。
声であるとか喋りかた、性格は似ているが、君の叔母さんが生きて喋っているわけではないよ」
ジュニアはアムリタに申し訳なさそうに説明する。
「『乳母サリー』は現時点では一番多く表面に出てくる人格で、他にも『教師エリフ』と『当初の人格』がたまに出てくる」
ジュニアはアムリタに説明する。
アムリタは良くわからなかったので、ふーん、と生返事をするが、エリーはその応えに納得していないようだ。
「ジュニア、なぜそれが判るのだ?」
エリーはジュニアに短く問う。
「繋いで確認したからさ。
見せるよ。
皆で下に来よう。
サポ、よろしく」
ジュニアはエリーに応えると、ジャックのサポートロボットを伴って祈りの間右手の袖のほうに歩き出す。
皆、ジュニアに付いて移動を開始する。
通路は暗い。
冷たい風が吹いている。
ジュニアはランプで照らしながら、先を進む。
「ここから先は凄くデリケートな微小機械ばかりだから、周囲に気を付けてね」
ジュニアは皆に注意をしながら人が二人ほど並んで通れそうな幅の階段を下りてゆく。
周囲は広い空間になっていて、無数のガラスの細管と思われる管で、これまた無数の複雑な形状の透明なガラス細工が結び付けられている。
そのような光景が延々と下方に向かって続いている。
階段で幾層か降りた後、比較的広い空間に出る。
空間には無数の樹脂で覆われた線が広がっていて、その中央にジュニアのサプリメントロボットが両足を投げ出すような格好で座っている。
目は閉じられていて心持ち俯いている姿は瞑想をしているようにも見える。
「サプリ、どう?」
ジュニアはサプリメントロボットに尋ねる。
サプリメントロボットは目を開ける。
『現時点、コピーできるものは全てコピーしたわ』
サプリメントロボットは座ったままジュニアを見上げ、サリーの声でそう応える。
「首尾上々だね」
ジュニアは満足そうに頷く。
「えぇ?
今サプリが喋らなかった?」
アムリタは驚きながら訊く。
ジュニアはサプリメントロボットから樹脂で覆われた線を束ねたコネクタを、サプリメントロボットの首の後ろから引き抜く。
そしてジャックのサポートロボットを手招きし、コネクタを今度はサポートロボットの首の後ろに接続する。
「ジャックは二十年前ここに来たとき、『風の谷の思考機械』の外部インターフェースがあまりにも遅いので、機能拡張したらしい。
ジャックのサポートロボットも、サプリと基本設計は同じで構成可変な非逐次処理型思考機械なんだ。
「思考機械の機能の一部をサポートロボットが肩代わりすることにより人とのインターフェース速度を二十五倍強、早めている。
ジャックのサポートロボットの処理速度が、風の谷の思考機械の性能より二十五倍以上速いということだね。
サポートロボットを介してなら、一応リアルタイムで風の谷の思考機械と会話が成り立つ。
そうだね?」
ジュニアは説明しながら、最後はサポートロボットに確認するように問う。
『そのとおりです。
私は乳母サリー。
アムリタ、よく来たわね。
再び貴女がここに来てくれて嬉しいわ。
確かに貴女は二百九年の時を超えて、なにも変わらない』
サポートロボットがサリーの声でそう応える。
「アムリタ、何か訊きたいことはあるかい?」
ジュニアは、どうぞ、というようにアムリタを促す。
「えぇ?
それでは、二百九年前私が未来に跳ばされたときのことを教えてちょうだい」
アムリタは訊く。
『うーん、今の私は中短期記憶の応答速度は増強されているけれど、長期記憶にアクセスするのは遅いままなの。
物忘れが激しくなった気分よ。
二百九年前の事柄は、サリーの情報がメインなのだけれど、サリーの祈りは雑多で数が多すぎて誰も整理していないのよ。
関係ありそうな祈りから再生するわね』
サポートロボットはそう言って語りだす。




