第五章最終話(二十二)齧(かじ)られたドーナッツ
――崩壊歴六百三十四年七月十三日午後二時
『これが空中庭園!
凄い! 凄い! 大っきぃー!
地球が映って、キラキラ光って綺麗!』
アムリタが感嘆する。
感嘆する価値は十二分にある。
天垂の糸を挟んで左右に並ぶ回転する二つの大きな輪だ。
輪の間、回転軸に向かってリフトはスラスター(姿勢制御用の推進器)を用い進む。
エリーもルークも窓にへばり付き、近づく空中庭園を眺める。
連結されたリフトの中であるが、全員宇宙服を着ている。
声は宇宙服の通信装置を介して他者に伝わる。
一行は静止衛星軌道まで到達した。
背後には青い地球が浮かぶ。
太陽は圧倒的な光を放ち、周囲の暗さとの激しいコントラストを作る。
そんな中、大きな構造物がリフトの眼前に迫ってきているのだ。
『凄いよね、やっと来られた!』
ジュニアの声もやや興奮気味だ。
「赤道面、天垂の糸を挟んで配置された直径二キロの双子のドーナッツ。
あの大きなドーナッツの中に、居住区や施設があるんだ。
キラキラ光っているのは太陽光発電パネルだよ。
空中庭園の回転外側は太陽光発電パネルになっているんだ』
『ふーん、扁平具合と言い、スポークといい、大きなタイヤみたいね』
アムリタは感想を呟く。
確かにドーナッツというには細すぎる。
『うん、確かに十六本のスポークは自転車のタイヤに似ているかもしれない。
ドーナッツはね、それぞれ赤道面に沿って回転しているんだ、一RPM……、一分間に一回くらいの速さで。
遠心力で地球と同程度の疑似的な重力を作っているんだよ。
地球の陰でなければ外縁の太陽光発電パネルの何割かは太陽に向くんだ。
それが天垂の糸の動力源になっているんだよ』
ジュニアは嬉しそうに説明する。
『ほええ、なるほど……。
あ、でもなんか左右のタイヤの回転速度って違うくない?』
アムリタは左右にキョロキョロ首を振りながら訊く。
『え? ああ……、そうだね……、右のほうが微妙に遅いね。
それがここに早く来なければならなかった理由なのかな……』
『あああ、何あそこ、輪が欠けちゃっているよ!
誰かがドーナッツ、食べちゃったみたい』
ルークが驚きの声をあげながら右前方を指さす。
二つのドーナツをつなぐ大きなシャフトを更に超えた先、右側のドーナッツ状構造物が大きく破損している。
『うわあ……、何だあれ?
隕石にでもぶつかったのかな?
人が居たら大惨事になっていたね』
ジュニアは驚く。
「よく見たら回転面、赤道面と並行じゃなくなっているね、二つとも。
何かがぶつかってきて、歪んでしまったのかなぁ」
ジュニアの声は小さく、テンションも低いものになる。
アムリタはフィーを見る。
フィーはアムリタと一瞬視線を合わせるが、直ぐに逸らす。
『中、どうなっているんだろう?
ちょっと寄せてみよう。
皆ベルト着用、お願いね』
通信機に、オッケー、了解、と聞こえる。
『じゃ、三・二・一、ファイア』
側面のスラスターが起動し、横からのGとなる。
リフトは右側の構造体に近づく。
『今度は逆側、三・二・一、ファイア』
逆側のスラスターが起動し、構造体への接近速度が遅くなる。
スラスターからの噴射は断続的なものとなり、やがて止まる。
今やリフトは回転するドーナッツ状の構造体、居住区部分に十数メートルまで寄っている。
天垂の糸に対しては静止しているが、居住区部分は回転している。
『ちょっと姿勢を修正』
リフトの底部で天垂の糸を咥えこむためのタイヤが複雑に回転する。
タイヤの回転の反動によりリフトは徐々に姿勢を変える。
居住区が右舷の窓から見られるようにしたのだ。
『これで良し……、でも動きが速すぎて良く分からないね』
遠くではゆっくりとした回転に見えていたが、この距離では構造物が凄まじい速さで流れていく。
『こういうのはね、いっぺんに全部見ようとしないで、動きに合わせて首を振るの。
こうやって……、』
アムリタは座席のベルトを外し、窓にへばり付く。
そして体を窓に向け、前から後ろに肩から上を振る。
宇宙服があるので、首だけを振るわけにはいかないのだ。
『……水浸しになっているわね。
水槽みたいになっているわ……』
アムリタは体を捻り、フィーを見る。
フィーは俯く。
『あっ! 何か大きなものが居るわ!
黄色と黒の警戒色! クリーチャーよ!
中を泳いでいる!
しかも複数!』
エリーが叫ぶ。
アムリタはフィーを見つめる。
フィーは俯いたまま両手で顔を覆う。
ルークは不思議そうな顔でフィーを見る。
『二人とも凄い動体視力だね……。
サプリ、記録をお願い……、うん画像で……。
リリィ、とりあえずはサポたちと合流で良いのかな?』
ジュニアは傍らに居るリリィに伺いを立てる。
『一部区域の破損……、というか欠損。
なぜか水没区域多数……、中にクリーチャー、と……。
状況は把握できたけれど意味不明ね……。
うん、そうね、ハブステーションを目指しましょう。
それから左側のドーナッツ、壊れていないほうの居住区に向かいましょう』
リリィの声が応える。
『了解、先ずはサポたちと合流だね』
ジュニアは二つの回転居住区の車軸部分、ハブステーションに向かってリフトを回頭させる。
『その次はソニアを安全に寝かせられるところを探さなきゃね』
アムリタが続ける。
リフトは徐々にハブステーションに近づく。
ハブステーションは半径二十メートル程度、居住区に合わせて回転している。
回転半径が小さいため然程早くない。
ハブステーションから数本の紐状のものが伸びて、一緒に回転している。
紐状のものの先には大きなフックが付いている。
『サポだ、サポが手を振っている。
連結用ワイヤーを出してくれているよ』
伸びる紐状のもの、連結用のワイヤーの根本付近には大きな開口部分がある。
連結用のワイヤーは開口部分の中から伸びている。
その開口部分の縁に二体のくすんだ黄色のロボットが手を振っている。
ジャックのサポートロボットのいくつかであろう。
『フックを掴むよ。
衝撃があるから皆、掴まっていてね』
ジュニアはリフトを微調整し、回転するワイヤーの先に近づける。
リフトから伸びたフックが連結用ワイヤーを掴む。
――ガクンッ
リフトのフックはワイヤーの先を咥える。
『牽引ワイヤー捕捉成功……、推力微調整……、回転同期……、完了、っと』
ジュニアはワイヤーの回転に合わせるように推力を加える。
リフトは今ではワイヤーの先、車軸の回転に沿って円運動を行っている。
リフトの機首はハブステーションを向き、反対方向に軽いGが加わる。
『サポ、牽引ワイヤーを巻き取って』
ジュニアは発光信号でサポートロボットに指示を出す。
ワイヤーはテンションを強め、車軸方向に巻き取られてゆく。
ワイヤーは短くなり、リフトは車軸状の構造物の開口部に引き込まれてゆく。
完全にリフトが収納されたのち、金属のゲートが閉じてゆき開口部分は閉じられる。




