第五章最終話(十五)そして私も消える
「今日は挨拶だけして帰ろうと思っていたんだ。
皆さん、お元気そうで安心したわ。
パールとシメントはちょっと心配だけれど、アルンが居るんならきっと大丈夫。
今日はこの辺でお暇するね」
ソニアは、よいしょ、と立ち上がる。
「あ、お見送りいたします」
マロンは、トンッ、とソニアの肩に飛び乗る。
「それじゃあ、ガンメタルさん、みなさん、ご機嫌よう。
スティールさんによろしくお伝えください。
また近いうちに来ます」
ソニアはドアを開け、皆に手を振る。
またねー、という地下鼠たちの声が聞こえる。
一同、ぶんぶんと手を振っている。
ソニアは地下鼠の洞窟を出て明るい空の下に立つ。
「幻の山かー、アムリタとか好きそうよね」
ソニアは陽光を避けるように右掌を翳す。
「アムリタさんってこの前来た金髪の女性ですよね。
シャンタク鳥に乗っていた」
「あはは、そうそう。
場所が南海なら、私よりアムリタが来たほうが問題解決になるかも知れない。
シャンタク鳥で暴風雨の下を、ピュー、と一飛びで行きそう」
ソニアは手を、ビュー、と右から左に流しながら歩く。
大きな岩陰を曲がり、ゲートが見える。
「そうですねぇ、それはそうとゲートの中ってどうなっているんですか?」
「ゲートの中? 単なる暗い洞窟よ。
そこからは延々と登り階段があるの」
「ふーん、行ってみたいなかなー」
マロンは興味津々といった体でソニアを見る。
「え? 入ったことないの?
認証の門、扉までは特に遮るものは無いと思うけれど」
「ええっと、私はここの出身じゃ無いから入ったことが無いだけなのですけれどね。
でもここの者たちも階段があるとは言っていないんですよ。
小さな洞窟で行き止まりだって。
でも、ここから人間が次から次へと現れるわけじゃないですか?
不思議なんですよね」
「へえ? じゃ、一緒に入ってみる?」
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫じゃない?
認証の門は超えられないと思うけれど」
「このまま肩に乗っていて良いですか?」
「うん、いいよ。
階段では絶対に振り向かないでね。
振り出しに戻ってしまうんだって」
ソニアはにこやかに説明する。
マロンは、そうなのですか、と不思議そうに応える。
ソニアはマロンを肩に乗せたままゲートを潜る。
「どう? 何てことないでしょ?」
明るいところから暗い場所への移動、ソニアの本来の眼は然程見えていない。
しかし胸の眼は既に暗さに対応している。
「ええっとなるほど、結構深い洞窟ですね」
マロンの眼は暗さを苦にしない。
ソニアは歩き出す。
「で、あれが階段。
結構長い階段よ」
ソニアは階段を上る。
「あの、重いですよね?
降りて歩きましょうか?」
「あはは、このままで良いって良いって。
足元を歩かれると、目で追って振り返ってしまいそうになるから。
貴女も帰るときまで振り返っちゃ駄目よ」
ソニアは笑う。
「はあ、そもそも私は無事に帰ることができるのでしょうか?」
マロンの声は暗い。
「え?」
「今更、心配になってきました。
ここって人間用の通路ですよね?
それもかなりスピリチャルな。
人間であるソニアさんが居ない状態でここは存在し続けるのでしょうか?」
マロンは前を見たまま訊く。
声色は乾いている。
「え? えーっと……、じゃ、一旦外に出ようか――」
「――ソニア」
ソニアが言うのと同時に、後ろから声が聞こえる。
ソニアとマロンは同時に振り返ってしまう。
ソニアの動きは速い。
素早く回れ右をして向き直る。
膝を軽く曲げ、腰を落とす。
両手は下げ、やや曲げてためを作っている。
そして目の前立つ女と相対する。
「ソニア、サルナトの王の妹だったか? 初めて会うな」
それは異常に背の高い女であった。
女? 印象では女である。
髪は黒く長く、背の割に小さな貌は美しい。
その顔に優しい笑みを浮かべている。
二メートル五十はあろうかというその身長、手足や首の長さを無視すれば、文句なく美しい女性と言える。
しかし、ソニアには目の前の相手が、人間でないことを直感する。
女は悍ましい雰囲気を醸しだしている。
だが周囲はもっと直接的に悍ましい。
暗い岩の洞窟ではもはやない。
肉の洞窟。
腫瘍のような肉色の塊、肉の壁で囲まれた空間だ。
その肉の塊さまざまが、溶岩のように赤く鈍く光る。
「ええ、初めてお会いいたします、ナーブさま」
ソニアは言葉を返し、顎を下げて挨拶をする。
視線は女の顔から離さない。
「ほほう、兄から聞いているのか?
それでその落ち着き、その胆力。
声をかけた甲斐があったというものだ」
女、ナーブは笑う。
圧倒的で抗い難い威圧。
機嫌を損ねるとなにをされるか分からない恐怖。
――長身の女性に会ったら気を付けて。
――彼女は蕃神、外つ国の神
――要するに外宇宙から来た邪神だよ
ソニアはジュニアからかつて警告を受けている。
――彼女は夢幻卿の羊飼いだ
――羊である人間を飼っている管理者だ
――人間を監視しているんだ
ソニアは兄の訓話を思い出す。
――蕃神は必ずしも人間の敵ではない
――牧童が羊の敵ではないという意味でだけれどね
――気を付けて、興味無いものに対して生存の世話をしてくれるとも思えない
ソニアは崩れ落ちそうになるなか、精一杯の去勢を張って立ち続ける。
肩の上でマロンがガタガタと震える。
ソニアは肩からマロンを抱きおろし、胸に向かい合わせに抱く。
「お声かけ頂き、有難うございます」
ソニアは何か言おうと考える。
ジュニアの話でつなごうか、それともアムリタの話……、どれも爆弾に思える。
結局ソニアは話題を見つけることができず、黙る。
「待っていたんだよ」
ナーブは笑う。
「……私をですか?」
ソニアは訝し気に問い返す。
この蕃神とは接点が無い。
蕃神が自分に何か用があるとも思えない。
「救世主をだよ」
ナーブは首を左に傾げ、満面の笑みを浮かべる。
「はあ……? 救世主……、ですか?」
ソニアは意味が分からない。
「そうだとも、ドリームランドを救う救世主を、だ」
ナーブは神託を唱える巫女のように両手を広げる。
「説明頂いても宜しいでしょうか?」
「おお、宜しいとも、救世主よ。
何の説明が必要だ?」
揶揄われているのだろうか? ソニアは疑う。
しかし顔に出してはならない。
「私の理解では……」
ソニアは続ける。
「貴女は何かの仕事をさせるため、このゲートを監視されていた。
ですが貴女の眼鏡に適う者は暫く通っていなかった。
今日、私がここを通過して、そして帰ろうとした。
なぜだが分かりませんが貴女は私にお声掛け頂いた。
私はなぜお声掛け頂いたのでしょうか?」
しゃべりすぎか? とも思う。
しかしソニアは整理した状況をナーブにぶつけてみる。
「さすがは救世主、理解が早い。
私がお前に声を掛けたのは条件が整っていたからだ」
ナーブは意地悪そうな笑みを浮かべる。
ソニアの血圧が上がる。
声を掛けることができたから声を掛けた、蕃神はそう言っているのだ。
恐らく条件とは警戒を解いていたことを言っているのだろう。
行きがけはあれほど警戒していた。
夢幻卿の剣呑な化け物に出会わないようにすること、これは基本中の基本である。
しかし親しい地下鼠と再会し、歓迎された。
ソニアは完全に警戒を解いていた自分に今更ながら気付く。
その気の緩みが蕃神、夢幻卿で警戒すべき最も剣呑な化け物に声を掛けられる理由になったのだ。
(なんたる油断! 忌むべきは慢心なり!)
ソニアは教訓を得る。
(でき得ればこの教訓を生かせる未来が私にあらんことを)
ソニアは祈らずにいられない。
「でだ、お前にはお使いをお願いしたい」
ナーブは両掌を両膝にあて、中腰になる。
屈んで尚、ソニアより目線が高い。
ナーブの顔がソニアの目の前に浮かんで見える。
「お、お使いですか?」
ソニアは意表を突かれ、問い返す。
「そうだ、ちょっと南海まで行って、世界を救ってきてくれ」
「は?」
ソニアの口から素っ頓狂な声が漏れる。




