第五章最終話(十)試練の後、汝神の山に至らん
「何で船じゃないのさ?」
シメントは情けない声で愚痴を言う。
見渡すかぎり大海原である。
空には分厚い黒雲が続き、今にも雨が降ってきそうだ。
高い波に視界は上下する。
陸地はどこにも見えない。
「船のようなものでしょう?
気にしない気にしない」
サマサはシメントの体を左手に抱えて言う。
船と言えば船なのかもしれない。
ウッドゴーレムの背の上である。
両側に木の柵が在るため直接の波は避けられる。
ウッドゴーレムの体形は人間形状から離れている。
四肢を海面に投げ出すようにして手足を使って泳ぐ。
その本来肩にあたる部分の上には頭が無い。
代わりに垂直に上半身が立ち上がり、肩腕、頭が続く。
下半身が人型であることを除けば、神話の半人半馬に似ている。
その馬の背に、サマサ、アルン、パール、シメントの四人が身を寄せるように乗っている。
「全然船じゃないでしょー? うあっぷ、波がくるじゃない!」
シメントは波飛沫を受けて顰めっ面をする。
「君、大きな船しか乗ったこと無いでしょ?
小さな船ならこんなものよ」
サマサの服も飛沫を受け、ずぶ濡れである。
それでもサマサはシメントを布で拭いてやり、持ち上げて肩車のように首の後ろに乗せる。
「あ、ありがとう。
でもなんでダイラトリーンで船に乗らなかったの?
オライアブ島までだったら行く船が有ったんじゃないの?」
「まあそうね。
でも自動人形を連れてだと怪しまれるのよ。
そもそもこの海の上、他人の船を信じちゃいけないわ。
海賊に襲われるかもしれないし、乗った船がそもそも海賊かも知れないしね。
自分で海を渡れないのならば、そもそも海を越えるべきじゃないのよ」
サマサはサバサバと言い切る。
アルンはサマサの顔を見る。
「確かに昨日の海賊を撃退したのは凄いけれどさー」
昨日の午後、海賊と遭遇した。
一隻のガレー船が問答無用で発砲してきたのだ。
ウッドゴーレムは銃弾を浴びながらもガレー船に躙り寄り船腹に穴を開け、沈めてしまった。
海賊たちはかつて船体であった木片に掴まって漂流した。
彼らが生き延びているかはシメントは知らない。
サマサはテントの生地を広げ、端をアルンに渡す。
サマサとアルンはウッドゴーレムの背にロープでテントを張ってゆく。
「ここから先は暴風雨圏よ、常在する嵐。
残念なことに迂回はできないの。
この嵐を潜らなければ辿り着けない。
濡れるし荒れるけれど、頑張って耐えてね」
テントとは別に張られたロープに掴まり、サマサは笑う。
最初は波飛沫だけであると思われたが、徐々に大粒の雨が混じりだす。
空を覆う鈍色の、暗灰色の雲が突如滲んだかと思うと激しい豪雨となって降り注ぐ。
「うわー」
シメントの叫びは暴風と豪雨によりかき消される。
ウッドゴーレムは六本の手足を伸ばし、海面を這うように進む。
ウッドゴーレムの体は、手足の浮力により多少なりとも海面から離れているのがせめてもの救いだ。
しかしだからこそ転落したら助からない、そういった恐怖が湧いてくる。
強風によって作られる複雑な波はウッドゴーレムの巨体を木っ端のように上下させる。
パールはアルンの腰にしがみつき、シメントはサマサの胸に抱きかかえられる。
サマサは歌う。
激しい嵐の中、良くは聞こえないが、それでも明るい声で朗らかに歌う。
未だ昼頃だ。
にも関わらず分厚く黒い雲は太陽の光を遮断し、周囲は暗い。
サマサの髪は黒く鈍く光る。
シメントは赤ん坊のようにサマサに抱きかかえられている。
絶望的な状況において、サマサの見せる余裕、温もりがシメントに安心感を与える。
(この嵐を知ってなお、その向こうを目指すなんて……。
ソニアにも吃驚したけれど、このねーちゃんも凄まじいよな)
シメントには魔法がなんたるかの知識はない。
かつてサルナトに初めて訪れた際にマシンゴーレムを見た。
マシンゴーレムはコントロールを失い、サルナトの街を混乱に陥れていた。
サマサはウッドゴーレムを完全に掌握しているように見える。
このような大きな怪物を意のままに操れる能力、サマサは優れた魔法使いなのだろう。
暴風雨は数時間に渡って継続する。
シメントは激しい揺れ、波飛沫。
風雨に晒されながらもサマサに抱きかかえられることにより然して混乱せずに済んでいる。
雨が小降りになってくる。
シメントは首を左に捻り、背後を見る。
進行方向の空から雲の切れ目が見える。
「嵐を抜けたの?」
シメントはサマサに訊く。
「ええそうよ、頑張ったわね」
サマサは優しく笑い、シメントの頭を撫でる。
周囲が明るくなる。
ウッドゴーレムの泳ぎは早い。
雲は後ろに流れてゆく。
雲の切れ間から陽光が降り注ぐ。
シメントの見上げるサマサの髪が暗い金色に変化する。
「じゃ目的地に着くの?」
「目的地?」
サマサは意味ありげに笑う。
「目的地は未だまだ遠いわよ。
それに困難な道程が続くわ。
今の嵐がそよ風だったと思えるくらいにね」
サマサは手際良く吊ってあるテントのロープを緩める。
テントは脇に寄せられ、雲切れの間に空が広がってゆく。
「ええ? 一体サマサの目的地ってどこなのさ?」
シメントは驚き、訊く。
「目的地? ほらあそこ」
サマサは進行方向、急角度上に腕を伸ばし、人差し指で空中を指し示す。
シメントは思いっきり体を捻り、進行方向を見る。
ウッドゴーレムの背中が見える。
その上には広がる空が見える。
分厚い雲は後方に流れ、今や進行方向には何も見えない。
「えっと、空? 何も無いよね?」
シメントは恐るおそるサマサに振り向き、確認する。
「そうね、空は無いわね。
でもよく見て、あるでしょう? 大きな山が」
サマサの指し示す指は大きな円を描いている。
シメントは再度、ウッドゴーレムの背中の上を見上げる。
サマサの示す空を見上げる。
(空が無いって、空は有るだろう?)
確かに青空ではない。
薄く白んだ紫がかった空が見える。
空には微かな横縞が見えるようにも感じる。
「あれは……、ヌグラネク山なのか?」
アルンがサマサに問う。
「違うわ、ヌグラネク山はあっち」
サマサは右後方を指さす。
シメントはサマサの指を目で追う。
「なんだ、あれー!」
シメントは驚き声を上げる。
前ばかりに注意していたので気が付かなかった。
右後方、分厚い雲の上に急角度で立ち上がる山々が見える。
いや山なのか?
シルエットしか見えない。
急峻な角度で聳える大きな塔にも見える。
距離を考えるに、山は異常な大きさと高さを持っているのだろう。
「あれがヌグラネク山……、バハルナ島の霊山」
シメントは呟く。
「じゃあ、あれは伝説に聞くネナイライ山というわけか?」
アルンはかつてサマサが指さしていた方角を指さし、見上げながら訊く。
パールは前方別の方向を指さしながらサマサを見上げる。
「ご名答、さすがね」
良くできた生徒を褒めるようにサマサは笑う。
「え? ネナイライ山?」
シメントは目を凝らす。
確かに地下鼠の視力は人間よりも悪いかもしれない。
しかし、今は十分な光量があり良く見えている。
アルンの指さす先には変な縞模様のある空というか、雲しか見えない。
シメントは空を舐るように見る。
そして視界両側に、縦に走るエッジを認識する。
エッジの外側も内側も空に見える。
大した違いは無い。
違いと言えば横縞のような薄い雲の有無くらいだ。
シメントはエッジに沿って視線を上に走らせる。
縞模様に見えるのは空ではない。
なにか途轍もなく大きなものの一部だ。
距離があるので色味を失っていて空と区別し辛い。
しかしあれは山肌。
それに気付きシメントは驚愕する。
前方にあるのはシメントの常識を遥かに超える異常に大きな山。
前方の視界大部分を覆い尽くし、更にどこまで見上げても頂上が見えない巨大な壁。
ヌグラネク山と比べてもなお桁違いに大きな山。
あまりにも大きすぎて脳が認識するのを拒否している。
それでもシメントは認識してしまった。
「なんだあれ、これが山なの?」
シメントは素っ頓狂な声を出す。
「この山の頂上まで登るのですか?」
パールも巨大な山を見上げている。
「ええ? この山の頂に登るつもり?
貴女も大した冒険家ね。
頂上になんか登れないわよ、少なくとも私には。
どれだけ高いか知っている?」
サマサは朗らかに笑う。
「目的地はこの山の中腹にある涅槃の街、クシナラ!
空中庭園、時の止まった場所よ!」
サマサは前方上空を指さす。
その角度はほぼ垂直に近い。
雲は後方に去り、眩いばかりの陽の光がサマサを照らす。
サマサの髪は金色に輝く。




