第一章第二話(十四)風の歌
――崩壊歴六百三十四年の五月十五日六時
五人は風の谷の祭殿に向かう。
「エリー、『扉よ開け!』と言ってみて」
風の谷の祭殿の扉の前で、ジュニアはエリーにそう言う。
エリーはジュニアをチラリと見るが直ぐに扉に向き直り、扉よ開け、と唱える。
扉からカチャリと音がする。
「やっぱりだ。
エリーも登録されている」
エリーはジュニアを見る。
アムリタは不思議に思う。
エリーも風の祭殿の巫女であるという事だろうか?
それにしても「扉よ開け」とは随分短い。
祈りですらない。
他の者が入っていった後、アムリタは祭殿の外に残り、扉を閉める。
カチャと音がする。
アムリタは扉が閉ざされたことを確認する。
「扉よ開け」
扉から再びカチャリと音がする。
なんだ、これは?
祈りは不要なのか?
アムリタはサリーに騙された気がして少しムッとする。
疑問に感じながらも、扉を開け祈りの間に急ぐ。
祈りの間には四人とくすんだ黄色をしたジャックのサポートロボットが待っていた。
「先ずはこれを聞いてほしい」
ジュニアは、アムリタを見てニヤニヤ笑いながら、上面になにやら光る文字や図形が浮かび上がっている四角い箱を操作する。
――シュゥイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ
――ドゥゥゥァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
――イィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ
そこからは、今現在数々のパイプから聞こえてくる音と同様の音が聞こえてくる。
皆は特に反応は無い。
「これは、昨日から祭殿の中の音を一晩録音したものだ。
これを、音程を変えずに二十五倍の速さで再生する」
『……なる白銀の魔法使は、キュルル』
箱から女性の声が聞こえてくる。
アムリタはハッとする。
凄く不自然な感じがするが、間違いなくサリーの声だ。
ジュニアは再度箱の上面の画面を操作すると暫く無音となる。
『……おっちょこちょいのアムリタ。
私の姪のアムリタ。
私の可愛い弟子、見習い巫女のアムリタ。
お前が風の谷の祭殿に、この祈りの間に、再び戻ってきてくれることを、私は知っています。
『お前の根気でこの祈り、風の歌を聴けるのは正直驚きなのですが、お前も未来で少しは、修行を行うということなのでしょうね。
お前がどれほどの時を超えたのか私には判りませんが、お前がこれを聞いているとき私たちは既に、過去のものとなっているのでしょう。
『でも安心なさい。
私たちはお前が未来へと跳んだ後も私たちの生活を続けています。
お前は一人で未来に行き、さぞ不安でしょう。
お前は今、お前が何故未来に跳んだのか不思議に思っていることでしょう。
『しかし、偉大なる白銀の魔法使いはお前が時の輪を巡る旅に出たと仰っていました。
そして、お前が黒灰色の魔女と夢幻郷の王女に出会い、共に進みゆく崩壊と対峙するともお仰いました。
『私はお前に多くの言葉を残しません。
お前が無事であることを知っているからです。
お前が逞しく未来で生きていくことを知っているからです。
『お前は私と短いながらも再会します。
お前が未来に跳ぶことは予定調和なのです。
黒灰色の魔女と夢幻郷の王女を探しなさい。
白銀の魔法使いエリフ様にお会いして教えを乞うのも良いでしょう。
『この祈りが更新されることなくお前に伝わっているのならば、私がお前に再び会うことは無いのだろうけれど、私はお前の旅がお前にとって輝かしいものであることを祈っています。
アムリタ、幸運と未来が常に、お前の傍らにあらんことを。
『師匠から不肖の弟子に送る最後の言葉です。
愛しています、元気で。
……おっちょこちょいのアムリタ、キュルル……』
箱から聞こえてきたのは、アムリタの叔母であり師匠である風の谷の祭殿の巫女サリーからアムリタへの伝言である。
「どう?」
ジュニアは得意そうに皆の顔を見渡す。
「祈りの間のあの大小様々なパイプから聞こえてくる音は、実に二十五分の一の速度で再生される音声であるらしい。
今聞いてもらったアムリタへのサリーお師匠様からの伝言が繰り返しくりかえし、夜通し奏でられていたことになる」
アムリタは激しく混乱を感じる。
サリーのメッセージ、あれはなんだ?
アムリタが風の谷の祭殿で期待していたのはもっと別のことだ。
例えばアムリタが子供たちを助けようとしていたあの時、何故二百九年先の未来に跳ばされたのか?
子供たちはその後どうなったのか?
しかしサリーのメッセージはそんなことには一言も触れず、アムリタの更なる未来を予言しているように見える。
サリーは幸いなことに、あの後無事に生きながらえたらしい。
しかし他の者はどうなったのだ?
サリーに再会するということは、アムリタは過去に戻れるということだろうか?
再会すると言いながら、再び会うことが無い、というのは矛盾していないか?
時を巡る旅とはなんだ?
黒灰色の魔女ってなんだ?
アムリタの中に幾つもの疑問が次々に沸いてくる。
黒灰色の魔女……、アムリタはエリーを見やる。
エリーも珍しく何時もは細く薄く開いている切れ長の目を見開き、薄い灰色がかった水色の瞳はジュニアを凝視している。
「ジュニア、教えて欲しい。
『白銀の魔法使い』と『黒灰色の魔女』の行方を」
エリーはジュニアにそう懇願する。
アムリタはエリーが今まで見せたことが無い余裕の無さそうな態度に少し驚き、冷静になる。
アムリタはサリーのメッセージにある『白銀の魔法使いエリフ』の事は知らない。
しかし『黒灰色の魔女』はエリーのことであろうと思っている。
エリーが知りたがるということは違うのだろうか?
ジュニアは再度箱の上面の画面を操作し、箱を祈りの間の床に置く。
樹脂で覆われた線の先のスポンジで覆われた卵状のものの位置を調整する。
「その問いに応えてくれると良いね。
でも一旦は小屋に戻ろう。
実際この風の歌をリアルタイムで聴くのは、アムリタでなくても相当の精神修養が必要だ。
サリー叔母様は凄いよ」
ジュニアは軽口をたたきながら、祈りの間の出口に向かう。
皆、それぞれ思うところがあるのだろう。
口は利かないが表情は複雑である。
しかしそれでも大人しくジュニアの後に続く。
出ていく皆をジャックのサポートロボットが手を大きく振り見送る。
五人は祭殿を出る。
最後にアルンに介助されながら祭殿の扉を出たラビナが扉を閉める。
扉から、カチャ、と音がする。
ラビナは少し考え、扉に向かって、扉よ開け、と呟く。
他の四人が注目する中、扉から音が発せられることは無かった。
ジュニアは、ふーん、と呟く。




