第五章最終話(二)僕の希望、母の想い
――崩壊歴六百三十四年七月七日午後二時半
「うーん、人様のお嬢さんをね、危険な所に連れていくのはどうかなー」
ナデリの街からトラックで帰着した後、ルークはリリィに直談判をしに行った。
リリィの執務室だ。
リリィの口調はいつになく歯切れが悪い。
大きな執務机の前に対面してソファーが置かれている。
リリィに向き合うようにルークは座っている。
ジュニアはテーブルの端、曖昧な位置に立っている。
まるで、自分はどちらの味方でもないから、というように。
「宇宙ではね、ワンミスで大きな事故になってしまうのよ。
危ないのは自分だけでなくて、仲間を危険に巻き込むことになるわ。
誰かを助けることは助ける人も危険を冒すことになるのよね」
リリィの口調は穏やかであるが、ルークを諦めさせようとの想いが透ける。
「だからね、メンバーには相応の知識と技能、高度な判断ができることを望むわけよ」
「でも、自分だって九歳のときに天垂の糸に登ったって自慢しているじゃないか」
ルークは上目遣いにリリィを見上げる。
「あいたたた、確かにそうね。
でも、今から考えると良く無事に帰ってこられたもんだと思うのよね。
人材不足だったし、みんな怖いもの知らずのイケイケドンドンだったからねー。
マリアにヨシュア、ジャックが居れば何でもできると信じていた頃よ」
リリィはジュニアを見上げる。
ジュニアは居心地が悪そうに首を傾げる。
「実際、酷い目に合ったし、でも皆と一緒なら死んでも良いかなーとか考えていたのよね」
リリィはバツが悪そうに笑う。
「要するに止めてくれる人が居なかったのよ。
だから無謀な冒険ができた。
でもねルーク、君には無謀な冒険を止めてくれる大人たちが居る。
これはこれで有難いことなのよ?」
感謝しなさいね、とカラカラ笑う。
母たちは皆、幼い頃に両親と死別している。
同じ条件では語れない、そういうことなんだろう。
「例えばさ、その時、かあさんだけが置いていかれたらどうしていた?」
ルークは食い下がる。
「そうねぇ……、当時の状況では私だけが行かないというのはなくて、イリアと私が行かないということなんだろうけれど……、暴れていたかな?
ジャックが行けて私が行けないなんてズルい! とか言っちゃって。
あはは、冗談じょうだん……。
でもね、三人だけではやっぱり天垂の糸には登れないのよ。
ううん、整備された状態なら一人でも大丈夫かもしれない。
少数精鋭なのはフットワークが軽くなるからメリットもあるし……。
だけどねぇ、当時はどんな所かも分からない状況下、チームは二つに分けられる必要があったの。
三人じゃ二つに分けられないでしょ?
要するに猫の手も借りたいほどだったのよ。
そして今の天垂の糸の状況、正直良く分からない。
でもでも、当時と比べて遜色無いスタッフを集められた。
今は猫の手は要らない、そういうこと」
リリィはルークを見て笑う。
「フィーを危険な目に合わせるのも置いていくのも嫌なんでしょう?
今回は諦めたら?
君が宇宙飛行士を目指すというなら、お母さん、訓練カリキュラムを組んであげるけれど」
ね、とリリィはジュニアに同意を求める。
ジュニアは迷惑そうに顔を顰める。
ルークは項垂れる。
ルークはフィーを連れていってあげたいのだ。
一緒に行きたいのだ。
将来ではなく今回に。
一方ではジュニアやリリィの言うことに納得してしまっている。
――人様のお嬢さんをね、危険な所に連れていくのはどうかなー
確かにそうだろう。
リリィの言葉に同意している自分が居る。
「だけどさ、それだったらソニアはともかく、エリーやアムリタを危険な目に合わせていいの?
人様のお嬢さんだよね?」
ルークは敗戦濃厚に感じながらも食い下がってみる。
「あいたたた、確かに良くはないわね。
君は正しい。
でも、あの二人は大丈夫、特別なの。
今回のミッションでは死なない、絶対に」
リリィは意味深な表情で笑う。
「絶対に?」
ルークは問い返す。
かあさんらしくない、ルークは違和感を覚える。
自信家の母ではあるが一方では凄まじいリアリストでもある。
普段は不確定な事象に意味もなく絶対なんて言葉を使わない。
「そう、絶対に」
リリィは自信たっぷりに応える。
ルークは身を捻り、傍らに立つジュニアを見上げる。
ジュニアは何か言いたそうにしていたが、ルークの視線を受けて黙る。
――アムリタの近くが一番安全よ
――アムリタはフォルトゥーナだから
ルークはソニアの言葉を思い出す。
「ソニアがアムリタのこと、フォルトゥーナって言っていた。
幸運の女神だって。
アムリタと一緒なら危険な目には合わないんじゃないの?」
ルークは自信なさげに言う。
「いや、それは違うよ、ルーク。
アムリタの周りはむしろ危険だらけさ。
単に死ぬことは無いというだけで……」
ジュニアはそこまで言い、リリィの視線に気づく。
そして、しまった、というように口を噤む。
ドアがノックされる。
リリィは、どうぞ、と応える。
ドアが開き、若い女性が入ってくる。
なにか報告があるようだ。
リリィはジュニアに向かって、手を合わせる。
ルークを連れて席を外してくれということだろう。
ジュニアとルークは退室する。
「かあさん、なんか変だ。
まるで未来が分かっているみたいだった」
ルークはやや憤慨するようにジュニアに言う。
ルークはジュニアには甘えがある。
「まあねぇ、でもアムリタとエリーのことは本当に心配しなくて良いよ。
僕やソニアが死ぬことがあってもあの二人は死なないから。
それくらいあの二人は規格外の魔法使いなんだ。
宇宙空間でも生きていけるかも……、ってそれは無いか」
ジュニアは、あははは、と笑う。
魔法使い……、ルークは口の中で復唱する。
エリーが魔法使いだということは何となく知っていた。
伯母、正確には従伯母であるイリアも魔法を使えるという話だ。
母たちの師匠に至っては大魔法使いだという。
しかし実際に魔法が使われるところをルークは見たことがない。
魔法に縁がない生活を送ってきた。
「どんな魔法が使えるの?」
「エリーのほうは怪我を直したり、空間を移動したり……。
アムリタのほうは、どうなんだろうね?
俺もよく分かっているわけではないけれど、危険を回避できるのかな?」
自分で訊いてみると良いよ、と言って笑う。
アムリタは重機でルークの危機を救ってくれた。
低くない高さで飛ぶ飛空機のハッチから、重機で飛び降りて飛蝗のクリーチャーを踏み抜いたのだ。
クリーチャーを踏めなければ緩衝となるものなく地面に激突するという捨て身。
確かにあれは魔法に近い。
「まあ、二人とも魔法だけじゃなく、オペレータとしても凄いんだけれどね。
一人何役も熟す逸材だよ」
ルークは廊下を歩きながらジュニアの言葉を聴く。
まるで自分のことのように自慢している。
「みんな凄いよね、かあさんやイリアも凄かったんだろうし……」
ルークは投げやりに言い放つ。
「まあまあ、君もこれからこれから」
ルークにはジュニアの励ましが酷く軽く聞こえる。
 




