第五章第三話(十)皇帝と副官
――ヅダダダヅダダ……
地球に向かう恒星船の船室でノイズが鳴り響く。
いや、ノイズではなく、異常に早い電信音である。
アウラは必死に電信を聞き取る。
電信音は止む。
『マリアカラアウラヘ、フタツメノピークニトウチャクシタヨ。
スコシキュウケイシテヒダリノオネヲクダルネ、オーバー』
電信はそう言っている。
「あいかわらず容赦のない速度だなぁ、『了解、ゆっくり休んで、出発するとき連絡してね、オーバー』、っと」
アウラは愚痴りながらも電鍵を叩く。
アウラの打電も異常に早い。
アウラはサラというパイロットからの遭難信号を傍受した。
サラは成人であるようだが、他の三人の乗員は子供であるという。
しかも一人は一歳の赤ん坊だ。
アウラは仰天して返信を試みる。
風の谷で稼働するヘルパーロボットの無線機を中継して打電する。
しかし返信はない。
しばらくして遭難信号は途絶する。
アウラはサラに向かって呼びかけ続ける。
電信が遅すぎて気が付かないのか?
風の谷の伝声管にも打電音をのせて拡散する。
『サラ、サラ、返答されたし、こちらアウラ、遭難信号を傍受した。
状況を伝えられたし。
サラ……』
返事は無い。
アウラは風の谷で稼働する二台のヘルパーロボットの一台を祭殿の外に出す決心をする。
エリフとのインターフェースに必要なロボットだ。
今はエリフは居ない。
だからエリフとのインターフェースを担当するほうは自由に動かせる。
しかし祭殿の外で事故に遭って紛失するとアウラはエリフとの通信ができなくなる。
躊躇がないわけではない。
それでもアウラはヘルパーロボットを遣いに出す。
ヘルパーロボットは二つの山を超え、小高い樹に登る。
ヘルパーロボットは数分に一回、縦九十二ピクセル、横百二十八ピクセルの八ビットカラー画像を送ってくる。
一応カラー画像であるが解像度が低すぎて大した情報量はない。
それでもアウラは画像から砂漠に黒煙が立ち上るのを認識する。
『サラ、サラ、返答されたし……』
アウラは打電を続ける。
突然緊急非常用通信チャンネルにキャリア(搬送波)が検出される。
異常に早い電信音が響く。
マリアという生存者からのものだ。
アウラはスロー再生して、サラの死亡と子供たち三人の生存を知る。
砂漠に子供たちが二人、赤ん坊とともに取り残された。
アウラは砂漠を見たことが無い。
それどころか恒星船の無機質な船室以外の場所を見たことがない。
アウラは想像する。
大量の砂を。
照り付ける太陽を。
砂を巻き上げる風を。
一歳児の体重を、それを抱えながら幼き子供たちが砂漠を彷徨う姿を。
アウラはデイナード砂漠とグリース草原の間に横たわる山系の地図を凝視する。
どうしたら彼女らを救うことができるのだろう?
山脈の迂回を考える。
数百キロに渡る砂漠の縦断を想像する。
子供たちに可能なのか?
自分を基準に考える。
平地であった場合、大人の足でも一日に移動可能な距離は三十キロ程度と聴く。
砂漠でなら何キロ歩けるのだろう。
何日かかる?
ましてや子供だ。
無理だ。
であるのなら山道を選ぶか?
アウラは地図を拡大する。
デイナード砂漠とグリース草原は短いところで距離約二十数キロ。
砂漠を数百キロ迂回するのに比べればまだ現実的に思える。
しかしその間には二千五百メートル級のピークを持つ山脈がある。
等高線の込み合っている地形、砂漠側には道らしい道はない。
等高線の比較的緩やかな経路を探索する。
谷沿いはありえない。
ところどころ急峻な崖となっていて行き止まりになる。
とてもではないが子供たちを誘導することはできない。
それでも尾根沿いであれば風の谷に辿り着けるかもしれない。
アウラは少ない可能性を賭けて山道に誘導する。
(本当にこれで良いのか?)
アウラは悩む。
山脈の縦走。
アウラの全く知らない世界だ。
書籍からは安易な登山で落命する例が多々知られる。
二千五百メートル級の山脈。
アウラは必至で見たことのない山脈を想像する。
砂漠に面した荒れた斜面。
山脈内部のバイオーム。
季節は夏、低木と言えど葉が生い茂り、視界を奪う。
所々にある等高線の込みいったポイント。
恐らくはかなりの難所になるのだろう。
サラは死んだ。
そして子供たちは生き残った。
偶然か?
そんなはずはない。
サラは子供たちを生かすために何をしたのだろう。
自らの命を捨てて子供たちを生かしたのだろうか?
アウラは想像する。
サラの気持ちを。
サラの覚悟を。
(僕にどんな覚悟ができるのだろう?)
サラの遭難信号、最期の打電はアウラの心に刻まれた。
アウラは考え続ける。
アウラは自覚する。
自分は何の体験もしていない。
あるのは書籍からの知識とエリフやサリーとの会話だけだ。
正直無力に感じる。
――いや、実際のところアウラ、君は凄いと思うよ
――君は見たこともないことでも、すぐに正確に理解してしまう
――以前に言ったけれど、知のダイナミズムは理性と感性であると言われている
――理性は正しい結論に辿り着く思考能力であり、感性は結論の正しさを実感する心的能力だね
――アウラ、君は自覚していると思うけれど、その二つともに秀でている
ことあるごとにエリフは自分をそう褒めてくれた。
自分が凄いかどうかなんてアウラには分からない。
少なくともエリフより優れているなんて思ったことは無い。
チェスや囲碁では勝てるかもしれない。
しかし現実世界の事象はチェスや囲碁の対局とは違う。
――そうだね、君と私でやるのなら、お互いの環境で再現できる偶然性のないボードゲームがいいね
現実世界の事象は偶然性に左右されることがあまりにも多い。
ましてはアウラは地球の事象をあまりにも知らなさすぎる。
アウラには自信が無い。
自分が間違えるとマリアたちは死ぬ。
だから怯える。
しかし本当に自分が優れているのなら、自分の想像力で彼女たちを救えるだろうか?
道を選ばなくてはならない。
しかも今すぐに。
考えろ、考えるんだ。
アウラは決心する。
マリアたちを山脈縦走への道に導くのだ。
――偶然性のあるゲームって例えばどんなものがあるの?
かつてアウラは教師エリフに聞いた。
――色々あるよ、カード系のゲームはほとんど偶然性を楽しむものなんだ
――偶然性があるから弱いものでも勝てるっていうこと?
――ところがそうでも無いんだね。
――無論、確率的には勝つこともあるだろうけれど
――知りえることを考察しきって、わからないことは確率から推測する
――一番重要なのは他者の状況や意図を正確に読み、手を進めること
――それができる者が強者
――長期的には強者が勝つこととなる
エリフは色々なカードゲームについて説明する。
ババ抜き、神経衰弱、七並べからポーカーにブリッジ。
――エリフはどのカードゲームが好きなの?
――うーん、私はあまりやらないんだけれど『皇帝』が好きかな
――五人でやるゲームなんだけれど
エリフは『皇帝』というゲームのルールを説明する。
一人十枚ずつ配って残り二枚を伏せておく。
各自は自分のカードから勝利条件の『競り』を行う。
『競り』は自分が『皇帝』となったとき、絵札二十枚のうち何枚獲得できるかを競うのだ。
その際、スート(カードの四種ある絵柄)の一つを切り札として指定する。
『競り』に勝ったプレイヤーは『皇帝』となり、『副官』指定カードを宣言する。
指定カードを持っているプレイヤーが『副官』となり、他の三人が『連合軍』になる。
ゲームは十ターンにわたり、『皇帝』側と『連合軍』側とで絵札を争奪する。
『皇帝』の強みは切り札を自分で指定できること、伏せたカードを得て弱いカードと秘密裏に交換できること。
そして強いカードを持つ『副官』を味方にできること。
――チーム同士の対戦だというところが好きなんだ
――しかも『副官』であるプレイヤー以外は『副官』が誰なのか分からないままゲームが開始する
――『皇帝』にとっては協力者が誰なのか、『連合軍』にとっては裏切り者が誰なのか……
――『副官』の戦略がゲームを支配すると言っても過言じゃないんだ
『副官』の戦略が『皇帝』の勝敗を左右する。
アウラは今の状況をカードゲームの『皇帝』に擬える。
(『皇帝』か……、僕は『副官』となってマリアたちを勝利に導かなければならない)
アウラは冷めたお茶を啜る。




