第五章第三話(七)超々遠距離通信
「やっぱり自助だよね……」
アウラは上機嫌に言う。
アウラは恒星船の中、無機質な船室にあるテーブルで作業をしている。
恒星船は依然として亜光速と言って良い速度で航行しているが、速度はかなり落ちてきている。
恒星船の中の時間では一年が経過した。
アウラは十五歳になった。
「最近ではリアルなエリフも留守が多いし……」
アウラの言葉に返事は返ってこない。
別にアウラは独言を言っているわけではない。
乳母サリーや教師エリフ、彼ら思考機械の人格たちが聴いている。
しかし彼らの思考速度、意思伝達速度はアウラに対し、今では著しく遅くなってしまっている。
「気を悪くしないで欲しいんだけれど……。
思考機械の思考速度が遅すぎるのが課題なんだよ。
だから思考機械を介して言葉を送ろうとしてもリアルタイム性に欠けるのさ」
アウラは思考機械に話しかけている。
返事がないままアウラは続ける。
「思念の経路そのものはそんなに遅くも狭くもない。
だからね、思考機械を迂回して直接電信を思念の経路に流し込めればリアルタイム通信が実現できると考えたのさ。
風の谷に居るヘルパたちをターミナルにしてね。
これでリアルのエリフとリアルタイム電信通信が実現できるぞ!」
アウラは嬉しそうに言う。
思考機械の意思疎通が難しくなっているのは思考機械の思考速度が遅いためである。
思考機械がいったん意味を解釈して思念の経路に流し込み、それを再度音声や文章に変換する。
これは思考機械との意思疎通には必須のメカニズムであろう。
しかし、通信相手が地球にいる現実の人間である場合は必ずしも思考機械を媒介する必要はない。
速度を落とす恒星船と静止系である地球との時間経過は近付きつつある。
地球と恒星船との時間経過の差は、今では二十五倍もない。
せいぜい数倍である。
地球側でゆっくりと打電してもらえば、十分意思疎通ができるだろう。
アウラはそのための仕組みを作成した。
ただし残念なことに今は通信する相手が居ない。
「まあ、ヘルパとの通信で練習しよう」
アウラは電鍵を用意する。
――ポヨンッ
電子音がする。
アウラはコンソールに映る封筒のアイコンを触る。
乳母サリーからの手紙だ。
文章がコンソールに映し出される。
――また何か作ったのかしら?
――最近ヘルパちゃんたちが生き生きとしているわ
――アウラは本当に凄い発明家ね
――でもね、自助は必要だけれど、根を詰めて没頭すると体に悪いわよ
――お茶でも飲んで、一息ついたら?
――あと、お母様からもメールが届いていますよ
そこまで読み終えたとき、アウラのサポートロボットがカップに入った暖かいお茶を持ってくる。
「あ、ありがとう。
っておかあさんからのメール?」
アウラはお茶を受け取り、サリーの手紙を閉じる。
なるほどもう一通の手紙がコンソールに残っている。
アウラは手紙を開く。
大量のテキストがあるようだ。
彼の母親、パイパイ・アスラからの手紙はいつも恐ろしく長い。
アウラの健康を気遣い、食事の心配、冷凍庫の残量の確認。
彼の父との話で思い出したこと、地球での思い出。
惑星アスラと夢幻郷を結ぶ思念経路には色々条件があり、偶にしか開かない。
だから思いが溜まっていくのだ。
「おかあさん、相変わらずだなあ」
アウラは長文に苦笑しつつも丁寧に読んでいく。
「うん、ちゃんと食べているよ。
最近ではそろそろ旅終いを考えて、サリーがね、冷凍庫の食材を消費しきる計画をたてているんだ。
残してもしょうがないからって。
全体的にゴージャスなんだよ。
食事が楽しみで仕方がないよ。
この前初めて水牛のステーキを食べたんだ。
凄く美味しかった。
これからは四週に一回くらいは食べられそうだね」
アウラは手紙を読みながら返事をする。
アウラの言葉はパイパイ・アスラへの手紙となって記録される。
「うんうん、エリフともサリーとも仲良しだよ。
リアルのエリフは最近忙しそうだけれどね。
勉強もしているよ。
物理や工学、言語学……、心配しないで……」
読み進めていくうちにアウラは無言になる。
――ちょっと気になることがあるの、聞いて頂戴
――今、太陽系の惑星の並びが微妙なのよ
――星辰というほどではないのだけれど
――古きものたちが活性化する可能性があるわ
――地球のできごとに注意するようにしてね
アウラは返答に困る。
この恒星船の中で、何に注意すれば良いのだろう。
軽口を叩く前に続く文章が目に飛び込む。
――あと、夢幻郷の光の谷、シャイガ・メールの繭が羽化しそうなの
――まだ大丈夫だけれど
――羽化には数年の月日がかかるし……
――でもね完全に羽化してしまうと人間の思念を食べなくなるの
――そうなると私たちの思念も媒介しなくなるわ
――あと二・八パーセクくらいの距離、もうあとちょっとなんだけれど
――途中で思念の通信経路が閉じてしまう場合に備える必要があるわ
――エリフがね、準ミリ波通信用のアンテナを用意しているの
――凄く大きなものよ
――あと一・二パーセクほど進めば、最初の通信が届くようになる計算よ
――アウラも通信機の準備をお願いね
その先は通信に関する具体的な技術情報が続く。
「うん、分かっていた……。
思考速度が遅いなんて言ったのはとんだ罰あたりだったね。
今の状態が十分過ぎるほどプレミアムであるというのに……」
アウラはその意味するところを理解し、寒そうに震える。
シャイガ・メールは夢幻郷、光の谷に鎮座する巨大な蚕蛾の繭だ。
シャイガ・メールは夢幻郷の弱々しい神が齎したというクリーチャーである。
人間の思念を摂取して育ち、人間の思念を遠くに媒介する。
概して大人しく、人間が近くに居るだけで生きることができる。
光の谷の思考機械が恒星船や惑星アスラと思念の経路を形成できるのもシャイガ・メールの存在が前提となる。
そのシャイガ・メールが思念の媒介の能力を失う。
「そもそもが物理の法則を超えた奇跡の通信経路。
それが当然の権利であるはずないよね……」
アウラの表情は苦渋に歪む。
アウラの両目に涙が浮かぶ。
シャイガ・メールだけではない。
エリフ、光の谷、夢幻郷、思考機械、そしてサリー。
サリーの死後、彼女が担っていた役割を代替してきた二台のヘルパーロボット。
思念の経路はそんなありえない構成で成立している。
それらが数百年維持されていることこそ奇跡。
いつまでもあるはずだと思うのは無邪気すぎる願望。
――このことをいつ伝えるか、エリフとも相談し悩みました
――アウラは少しでも早く知りたいと望むはず、そうエリフは言っていたわ
――私もエリフも全力でサポートするわ
――あと少し、恒星船の時間ではたった二年よ
――私のアウラ、私は貴方を愛しています
――お手紙頂戴ね
手紙はそう結ばれている。
(確かに少しでも考える時間が多いのは助かる……。
でもね、誰とも話さずに二年間も……、僕の精神は耐えられるだろうか?)
アウラは陰鬱な気分に沈む。
先ほどの高揚した気分は消え失せてしまった。
アウラはテーブルに片肘をつき、電鍵を眺める。
「あーあ」
アウラは深い溜息をついて電鍵を打つ。
(今は何もしたくない)
アウラは、全周波数スキャン、と打つ。
風の谷に居るヘルパーロボットへの指示だ。
風の谷で観測できる電波を走査する。
(何か電波に乗って楽しいことをやっていないかな……。
昔あったというラジオの音楽番組とか……)
無論、現在ではラジオ放送など無いと聞く。
例え有ったとしても音声が恒星船に届くかは疑問だ。
――トンッ……、トンッ……
短音の電信音がする。
有意な空中線電力を検出できていない状態を示しているのだ。
アウラは聞き流す。
――トンッ……、トンッ……、トンッ……トトトン・ツー
電信が返ってくる。
ヘルパーロボットからだ。
『十八・一二五ヘルツ、緊急非常用通信チャンネルにキャリア(搬送波)検出、有意信号あり』
電信はそう言っている。
「え? 緊急非常用通信チャンネル?
復調できる?」
アウラは背筋を伸ばし、電鍵で指示を出す。
――キュラキキキイ、キキュー
激しいノイズとしか思えない音が聞こえる。
「うわ、早や、これ電信音?」
アウラはテーブルのコンソールを操作し、音を波形として表示させる。
コンソールには右から左に早い速度で信号波形が流れてゆく。
「駄目だ、早すぎる、記録してスロー再生だな……」
コンソールの波形は幾分遅いものになり、聞こえてくる音も辛うじて電信音と認識できる。
アウラは意味を解釈する。
『……機体中破、墜落の危険有り、救助乞う、当方パイロット一名、子供三名、うち一名は一歳児、現在位置は……』
電信はサラというパイロットの乗る飛空機から発せられている遭難信号であった。




