第五章第三話(四)鎮神頭(ちんしんとう)
「c4ナイト、テイクルーク、チェック……。
僕の勝ちだよ」
アウラはつまらなさそうに言う。
地球の暦では崩壊歴五百十七年。
しかし恒星船の速度は光速の約九十九・九九%を超えている。
地球時間では数十年の月日が過ぎ去っているが、恒星船の中では僅か四年程度しか経過していない。
アウラは未だ十二歳。
アウラが八歳のときに始めたチェスであるが、最初のころこそ教師エリフとアウラは五分の戦績であった。
しかしアウラが十歳になるころには教師エリフは勝てなくなってしまった。
かろうじて五回に一回、引き分けに持ち込めるかどうか、そんな戦績だ。
最近ではアウラは最後まで指さずに勝利宣言をする。
チェスのマナーとしては褒められたものではない。
しかし対局者が教師エリフしかいないため、あまりマナーは重視されない。
そもそも実力差があり過ぎるのだ。
『うーん、私では勝負にならなくなってしまったね。
それにしても初手ポーンe4に対して黒ポーンb5で意外に戦えるんだね』
教師エリフは素直に負けを認める。
「そうだね、この変化も意外と奥が深いね。
研究するのも面白いかもしれない」
アウラの声は面白いというように聞こえない。
アウラは強くなりすぎた。
今では教師エリフとでは普通に指しても勝負にならない。
だから黒番のアウラはわざと不利な二手目を指すようになっている。
新しい変化を求めているのだ。
しかし最近ではそれにも飽きてしまっている。
チェスは実力差がある場合においてハンデを与える効果的な方法がない。
せいぜいポーンを落とす(最初から盤面に配置しない)で戦うか持ち時間で調整するかだ。
そしてハンデを与えた側が面白いかと問われれば、然して面白くはないと認めざるを得ない。
駒を落とせば必ず不利なのか? 一概に言えないことが問題だ。
駒が無ければ無いで有利に働く部分もある。
明々白々なまでに駒を落とせば、今度は変化が少なくなってしまう。
上位者が下位者に指導を行うことが目的であればそれでも良いだろう。
しかしエリフの目的はアウラの充実した時間作りであったりする。
実のところ、教師エリフとしても手加減されてなお負けるのに苦痛を感じている。
だから用意してきた計画を口にする。
『アウラ、そろそろ別のゲームを始めようか?』
「別のゲーム? 何かあるの?」
アウラは久しぶりに明るい声で応える。
『囲碁なんかどうだい?
地球の古いゲームの中では一番メジャーな対局ゲームだよ。
もうコンソールモニタに映せるようにしてある』
教師エリフは明るい口調で言う。
恒星船にはテーブルがあり、テーブルにはコンソールモニタがある。
そこに十九字の碁盤が映し出される。
「囲碁って古代東洋発祥のボードゲームだね。
歴史の本でたまに出てくる。
どんなルールなの? って、この本を開けばいいんだね?」
アウラは嬉しそうに訊く。
本とはコンソールに映し出される電子書籍だ。
『うん、ルールも既に読めるようにしてある。
囲碁は黒と白で戦う陣取りゲームだね』
教師エリフは説明するがアウラからは生返事しか返ってこない。
コンソールに映し出されたルールの記載を熟読しているのだ。
囲碁の良いところはコミや置石(黒番があらかじめいくつかの石を置いてから対局を始めること)のルールがあることだ。
囲碁は元々先番の黒が圧倒的に有利なゲームである。
そのハンデを埋めるように黒はコミという挽回しなければならない目(石の数によるハンデ)を背負う。
コミの目数は時代や対戦相手によって変わるし、自由に変えて良い。
つまり実力差があっても、適切な置石やコミを設定することにより互角の勝負ができる。
しかもハンデを与えた側もそれなりに楽しめる。
デメリットとしては勝負がつくまで長手数となるところ。
対局時間が長くなってしまうのだ。
教師エリフにとってあまり積極的に囲碁を採用したくなかった理由である。
だがアウラの精神的ケアが緊急を要する。
仕方がない、新しいゲームでアウラの興味を引かなければならない。
「うん、だいたいルールは分かったよ。
早速打とうよ」
教師エリフの予想通りアウラは間髪入れずに対局を強請る。
『いいよ、打とう。
最初だから君が黒番(先手)で、コミは無し。
それでいいかい?』
教師エリフは提案する。
教師エリフは自分の囲碁の実力を知っている。
一線級の専門家には劣るが、アマチュア相手ならそうそう負けはしない。
そういう自己評価だ。
初心者相手ならば四目(あらかじめ四隅の星に黒石を四つ)置かせて対戦し、相手の実力を見るべきであろう。
しかし教師エリフはアウラを初回から素人とは見做さない。
この子のゲームにおける読みは恐るべきものがある、そう感じているからだ。
「いいよ、じゃあ初手はQの16星」
アウラは上機嫌で右上の星(碁盤にある九つある黒い点)に黒石を置く。
『Qの4星』
教師エリフも右下、星に打つ。
コミ無しのゲームでの白番。
高段者同士であれば圧倒的に白が不利である。
白の作戦としては乱戦に持ち込み、相手の悪手を咎めて勝たなければならない。
「Dの4星」
『Dの16星』
四つの角の星にたすき掛けに黒と白の石が置かれる。
「対称形だね、Cの14小ケイマカカリ」
アウラは嬉しそうだ。
だが差し手は戦いを始める気満々である。
(序盤からの戦いは望むところ)
教師エリフとしても白番の不利を挽回していかなければならない。
『Eの14ケイマ』
「Eの13ツケ」
『Dの14』
「Dの13」
『Cの13キリ』
「Cの12アテ」
アウラは時間を使わずに指し進める。
(まるでベテランのようだな)
教師エリフは内心で苦笑する。
『Bの13ノビ』
「Cの15」
『Bの12』
「Cの16」
『Dの17』
「Cの17」
『Cの18』
教師エリフは白石を曲げて黒石を抑える。
「Bの18」
(確かな読み……、これはもう素人ではないな)
『Dの18』
「Cの11」
『Bの11』
「Cの10」
『Bの10』
「Bの9」
『Bの14』
「Bの15」
『Cの9キリ』
「Bの8ノビ」
互いに読み間違えたら大石が殺される。
活きるか死ぬか、生死スレスレの捻じりあい、殺し合い。
これが初戦での戦いなのだから驚きだ。
ああ、この子は凄い。
教師エリフはアウラと打っていて楽しいと思う。
教師エリフは黒B8を放置してBの17に飛び込む変化を狙っている。
左辺に黒石を抑え込み、上辺に模様(将来的に自陣地とできるような布石)を作る別れ。
白有利となる読みだ。
これでも勝ちだろう。
しかし……、白C8の手を読み進めて魅力的な変化を見てしまう。
その誘惑に負ける。
『Cの8』
「Cの7」
『Dの7』
「Cの6ノビ」
『Dの12キリ』
教師エリフは手順で黒石に飛び込む。
「Dの10」
『Eの10』
「Eの9」
『Fの13』
「Eの12」
『Eの11』
教師エリフは一つ目のシチョウを追う。
シチョウとは囲碁の典型的な型である。
逃げなければ自分の石が死ぬ形で、逃げ、アテを繰り返し結局盤の端で死ぬことになる。
珍しくアウラは考慮時間を使う。
(ん? ここは黒F12しかないだろうに)
教師エリフは不思議に思う。
「Fの12」
結局アウラは教師エリフの読みどおりに指す。
『Gの12』
教師エリフは更にシチョウを追う。
「Fの11」
アウラは間髪入れずに差す。
『Fの10』
「Gの11」
『Dの11』
「Dの9」
アウラは教師エリフの読み筋のとおりに手順を進める。
『Fの9』
狙っていた手だ。
Dの8とHの11、二つのシチョウを見合いにしていずれかは取れる。
教師エリフは勝ちを確信する。
「Gの8」
アウラはノータイムで指す。
教師エリフは愕然とする。
読みに無い手だ。
黒G8、この一手で二つのシチョウを同時に防ぎ、かつ白石を窮地に陥れる。
真に鬼手。
『負けました』
教師エリフは投了する。
四十九手、黒の降参、白の中押し勝ちである。
『いや、凄いね。
Gの8、どこで読んでいたの?』
教師エリフは訊く。
「ああ、うん……、白Gの12は白Fの9でほぼ白の勝ちなんじゃないかな」
アウラは質問に応えず、手を戻し、白Fの9から指し進める。
『――! 凄い!
この展開を読んでいたから黒F12で差し手が止まったのか……』
教師エリフは打ちのめされる。
これが最初の対局、ありえない。
「そうか……、いや囲碁って奥が深いね。
考えなしに打つとあっと言う間にやられてしまう。
これが勝負ってやつなんだね。
面白いよエリフ! 本当に面白いよ!」
アウラは嬉しそうに言う。
アウラの興味を引くことはできた。
その点では教師エリフの思惑通りである。
しかしこの子相手に勝つのは至難だなと教師エリフは苦笑する。
「ところで最近、サリー、居ないの?」
アウラは話題を変える。
『サリー? 毎日話しているだろう?』
教師エリフは落ち着いた声で返す。
「風の谷に居る本物のサリーの話だよ、最近気配が感じられない……」
アウラは悲しそうに言う。
『本物って……、うんそうだね、サリーは暫く留守になると思う』
教師エリフは応える。
「具合が悪いの? 心配だな……」
『別に病気ではないよ。
心配する必要はない、すぐにまた戻ってくるさ』
エリフは何でもないように言う。
「って、サリーが居ないのにどうやってエリフはここに繋いでいるの?」
アウラの理解では、サリーが媒介になってエリフを恒星船に繋いでいる。
サリーが居ない状況ではエリフはアウラと話ができないはずだ。
『ああうん、ロボットの話はしたよね。
風の谷に君のお父さんのロボットが二台居るんだ。
そのロボットたちを改造したんだ。
一台は君の船とのインターフェース、もう一台は私とのインターフェースだよ。
サリーのやっていることを解析してね、コピーしたんだ。
だからサリーが居ないときでも君とお話ができる』
「コピーって、それって魔法なの?」
アウラは吃驚して訊く。
『そうだね、魔法とテクノロジーのハイブリットさ』
教師エリフは簡単に言う。
「魔法って、本当に判らない」
アウラは頭を抱える。




