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黒灰色(こっかいしょく)の魔女と時の魔女  作者: 九曜双葉
第五章 第三話 ずっときみを見守っていたんだ ~I'd always Kept an Eye on You~
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第五章第三話(三)キングズ・ギャンビット

「ねえエリフ、何か楽しいことはないかなあ?」


 アウラはうんざりしたような口調で言う。


『どうしたんだい?

 勉強には飽きてしまった?』


 教師エリフは明るい口調で問い返す。


「ううん、勉強は楽しいんだけれどね……、でもね、勉強の成果を試す機会が無いというか……。

 なんだかなあ、と思うんだよね」


『そうだね、知のダイナミズムは凄く楽しいものであるのだけれど、実践の機会が必要だね。

 いや、実際のところアウラ、君は凄いと思うよ。

 君は見たこともないことでも、すぐに正確に理解してしまう。

 以前に言ったけれど、知のダイナミズムは理性と感性であると言われている。

 理性は正しい結論に辿(たど)り着く思考能力であり、感性は結論の正しさを実感する心的能力だね。

 アウラ、君は自覚していると思うけれど、その二つともに秀でている。

 正直八歳だとは信じられないくらいだね……』


 教師エリフは続けるが、アウラの問いには直接答えていない。


「エリフ、エリフ、僕は他の人を知らないんだ。

 自分が優れているのかそうでもないのか、良く分からないんだよね。

 正直なところ、凄いか凄くないかなんてあんまり興味がないよ。

 それよりも、なにか生活に変化が欲しいかなあ、ってそう思うんだよ」


 アウラの声は少し暗い。


『それじゃ、ゲームでもやるかい?』


 教師エリフは相変わらず明るい口調で言う。


「ゲーム? ときどき歴史の授業で出てくるやつだね?

 どうするの?」


 アウラは()いついてくる。


『そうだね、君と私でやるのなら、お互いの環境で再現できる偶然性のないボードゲームがいいね。

 例えばチェスというゲームが有るんだが……』


 教師エリフはチェスのルールを説明する。

 駒の名前、形状、並べ方、動かし方、キャスリング、勝利条件、引き分けの条件、等々(などなど)

 アウラは、それで? それで? と問い続ける。


『……というわけなんだ。

 チェスボードはテーブルのコンソールモニタに表示できるようにするよ。

 明日まで待って欲しい。

 ゲームにはね、セオリー(定跡)というものがあるんだ。

 それを学べば早く強くなれる。

 セオリーも明日までには読めるようにデータを送っておくよ』


 教師エリフは一通りの説明を終え、会話を締めようとする。


「いいよ、ボードは僕の頭の中にあるもので十分だよ。

 早くやろう」


 アウラは久しぶりに明るい声で対戦を強請(ねだ)る。


『頭の中って……、目隠しチェスは相当の熟練者でも難しいんだよ?』


 教師エリフは(さと)すように言う。

 目隠しチェスとは本来、文字通り目隠しをして指すチェスの対局をいう。

 であるが、上級者同士がチェスボードの無い環境でチェスを指すことも含まれる。


「目隠しチェスっていうんだ? なるほどなるほど……。

 でも大丈夫、多分できるよ。

 あ、もしかしてエリフはボードが無くちゃ、チェスできない?」


 アウラは後半心配そうに(たず)ねる。


『いや、私も目隠しチェスくらいできるけれどね。

 いいよ、互いに頭の中にチェスボードを置いてやろう。

 最初だから白番はアウラ、君から始めると良い』


 教師エリフは苦笑しながら言う。


「じゃあ、ポーンをe4に」


 白側、先手のアウラの初手だ。

 チェスのオープニングとしては最もポピュラーなものだ。

 クィーンとビショップ、二つの斜めに移動できる駒の道を開き、ポーン自身はd5、f5の重要拠点を支配する。

 教師エリフはアウラの選択に満足する。


『ポーンe5』


 黒側、後手の教師エリフは白のポーンにポーンをぶつけてゆく。


「ポーンf4」


 アウラはノータイムで宣言する。

 ポーンの無料(ただ)捨て。

 おやおや元気の良いことだ、教師エリフは苦笑する。

 キングズギャンビットオープニング。

 数あるチェスのオープニングの中でも激しい戦いになるものの一つだ。

 序盤にポーンをギャンビット、つまり損する代わりに攻撃の支配権を得る。

 ビギナーが指す手ではない。


『ポーンf4、テイクポーン』


挿絵(By みてみん)


 教師エリフも時間を使わずに指す。


 キングズギャンビットアクセプテッド。

 誘いに乗ってやるぞ、と。

 ここからは殴り合いの展開になる。


「ナイトf3」


 白はナイトを跳ね、f4のポーンを止めつつ中央を狙う。

 教えてもいないのにセオリーどおりだ。


『ポーンg5』


 教師エリフもセオリーどおりにポーンを跳ねる。


「ポーンh4」


 アウラは元気よく端のポーンを跳ねる。


(セオリーなら白ビショップc4だが……)


 とはいえ白ポーンh4も指されることはある。


『ポーンg4』


 教師エリフはポーンを白ナイトにぶつける。


「ナイトg5」


 アウラはポーンを無視してナイトを跳ねる。


(g5? e5ではなくて?)


 教師エリフは意外に感じる。

 教師エリフにとって初めての展開だ。


『ポーンh6』


 ナイトにポーンを当てる。


「ナイトf7、テイクポーン」


挿絵(By みてみん)


 アウラは機嫌良さげに指す。

 元気の良い攻め。

 ナイトを(えさ)に、黒のキングを丸裸で主戦場に誘い出す、そういう作戦。

 しかしそのためにナイトを差し出すのは収支が合うのだろうか?


『キングf7、テイクナイト』


 教師エリフは誘われるままナイトを取る。


「クイーンg4、テイクポーン」


『クイーンf6』


「ビショップc4、チェック」


 最初のチェックは白が取る。


『キングe7』


 黒はキングを引く。


「ナイトc3」


『ポーンc6』


 黒は手順で指す。

 ナイト分、得している駒勘定を生かして指せばよい。


「ポーンe5」


挿絵(By みてみん)


 アウラは抑揚のない声で宣言する。


(ポーンe5?)


 白ポーンサクリファス(駒を捨てて有利な展開を選ぶ手法)。

 しかし教師エリフにはそのメリットが分からない。

 クイーンでe5のポーンを取ればチェックがかかる。

 白のキングは逃げなくてはならない。


(まあ相手は初心者だから)


 初心者らしい悪手、教師エリフはそう理解する。

 そして勝ちを確信する。


『クイーンe5、テイクポーン、チェック』


「キングd1」


 アウラは相変わらず抑揚のない声で宣言する。

 ポーンを無料(ただ)で差し出して、キングを危険に(さら)す。

 そのうえキングを逃がすため手番をも渡す。

 黒は駒得の上、手番も得る。


(終局後に、この手がいかに悪い手であったかレクチャーしなければ)


 教師エリフは自らの責務を確かめる。

 しかしそのためには綺麗(きれい)に勝たなければならない。

 教師エリフはどう勝ちに結び付けようかと考える。

 もう急ぐ必要はない。


『キングd8』


 黒はキングを早逃げさせる。


「ルークe1」


 アウラの指し手は速い。

 白のルークを黒のクイーンに当ててくる。


(ん? 意外とクイーンの逃げ場が狭い)


『クイーンc6』


「ビショップg8、テイクナイト」


 アウラは宣言する。

 教師エリフはやっと白ポーンe5サクリファスの意味を悟る。

 そして長考に沈む。


 アウラは亜光速で進む恒星船に居る。

 だから時間の進み方に数倍の差がある。

 教師エリフが長考しようが、アウラにとって()して時間は経過しない。

 しかし、長考は長すぎた。


「エリフ?」


 アウラが心配して訊く。


(まいったな……)


 教師エリフは内心(あせ)る。

 既に終局まで読み終えた。

 最善手を指し続ければ白の勝ちが確定している。

 アウラは白ポーンe5の時点でチェックメイトまで読み切っていたのか?

 莫迦(ばか)な、(いにしえ)のチャンピオンじゃあるまいに……、初心者だぞ?

 教師エリフは(おどろ)きを禁じ得ない。


『ポーンd5』


 教師エリフはアウラの読みを試す。


「ルークe8、チェック」


挿絵(By みてみん)


 白ルークのサクリファス、アウラの差し手は早い。


(――!)


 読み切っていなればこんな手は指せない。


『リザイン(降参)』


 教師エリフは乾いた口調で負けを宣言する。

 駒の動かし方を覚えたての初心者に、最初のゲームで負けた。

 しかも目隠しチェスでだ。

 指導対局のつもりだった。

 ならば最後まで指すべきだ。

 それなのに教師エリフはチェックメイトまで指し進めることができず投げてしまった。

 教師エリフの胸中での喝采(かっさい)と、それ以上に暗澹(あんたん)たるものが広がってゆく。


『この後、チェックメイトまでの手順、言えるかい?』


 教師エリフは辛うじて気を奮い立て、訊く。


「ええっと、長いよ……。

 黒キングe8、テイクルーク、白クイーンc8、テイクビショップ、黒キングe7、白ナイトd5、テイクポーン、チェック……。

 ここで黒クイーンd5、テイクナイトなら……」


 アウラはチェックメイトまでの手順を展開ごとにツラツラと説明する。

 リザインは間違っていなかった。

 この子は尋常(じんじょう)ではない。


『いやはや、脱帽だよ。

 ポーンe5からの読みは凄い』


 教師エリフは賛辞を贈る。


「脱帽って……、帽子って見たことが無いんだよね」


 アウラは帽子という言葉に反応する。


「あ、でもチェスって面白いね。

 エリフって、全然(ぜんぜん)僕が期待する手を打ってくれなくて。

 そうかそうか……、相手の読み筋を外すのがポイントなんだね。

 それにしても出だしだけでも相当なパターンがあるんだ……。

 ポーンe4じゃなくて、ポーンd4でも十分戦えそうだな……。

 ねぇエリフ、チェスって白と黒ではどちらが有利なの?」


 アウラは上機嫌に訊く。


『白が有利と言われているね。

 勝ちを1点、ドロー(引き分け)を0・5点とした場合、古いデータだけれど白の勝率は概ね55%、黒の勝率が45%くらいだそうだ』


「ドローって0・5点なの?

 ゼロサムじゃないんだ……。

 負けがマイナス1点で、ドローは0点のほうがスッキリすると思うんだけれど」


 アウラは疑義を挟む。


『その基準だと恐らく白の圧勝になるんだろうね。

 でも、チェスはドローが多いゲームなんだよ。

 黒は不利だからこそドローを狙うんだ。

 上級者同士であればあるほどね。

 いかに負けているゲームをドローに持ち込むかがテクニックなんだね』


「ふーん、そうなんだ」


 アウラは素直に納得する。


「じゃあさ、これからは負けたほうが次の白を持つようにしようよ。

 ドローなら先後の交代なしで。

 早速(さっそく)次のゲームをしようよ」


 アウラは無邪気に提案する。


『え? ああ、じゃあポーンe4』


 教師エリフは二局めの初手を指す。

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