第五章第二話(四)飛蝗(ばった)の怪
「ねえきみ、きみは誰? どこから来たの?」
ルークは少女に問う。
少女は首を傾げる。
「ああ、ごめん。
僕の名前はルークっていうんだ。
父さんがこの基地で働いている」
ルークは基地のほうを指さし、自己紹介をする。
「ルーク……、名前……、ルークという名前……」
少女はたどたどしく、しかし違和感の無いイントネーションで応える。
「僕の名前はフィー」
少女は自分を人差し指で指し示し、笑う。
「そ、そう……、フィーっていうんだ?
よろしくね。
フィー、きみはフェンスの外から来たの?」
ルークは捲れたフェンスの穴を指さして訊く。
フィーはルークの示すフェンスを見る。
「そう、僕はフェンスの外から来た」
ゆっくりとルークに向き直り、屈託のない笑顔で応える。
「おとうさんやおかあさんは?」
ルークは重ねて訊く。
こんなところに少女が一人で来ることはルークの常識では考えられなかったからだ。
「おとうさん……、おかあさん……」
フィーは困ったような顔になる。
「おとうさんとおかあさんは居ないの?」
「おとうさん……は居ない」
「じゃ、おかあさんはどこに居るの?」
ルークは慌てて訊く。
フィーは首を傾げる。
「おかあさんの居場所、分からないの?」
ルークは絶望的な気分になりながら訊く。
「そう、おかあさんの居場所、分からないの」
「えー?
じゃ、どこから来たの?」
ルークは驚く。
フィーは応えない。
ただ困ったような顔でルークを見返す。
「この近く?」
返事が無いのでルークは重ねて訊く。
フィーは首を振る。
「遠くから来たの?」
「そう、遠くから来たの」
フィーは頷く。
「一人で来たの?」
「一人で来たの」
フィーはコクコクと頷き、笑う。
「ええ? じゃ保護者は?」
「保護者? 僕は一人で来た」
フィーは不思議そうに言う。
(迷子!)
ルークは驚愕し、戸惑う。
この近辺には集落はない。
海岸線近くにはナデリの街があるが、歩いてくるには距離がある。
どこから来たにしろかなり遠くから来たのだろう。
自分がこの土地で一人、迷子になることを考え、ルークは竦みあがる。
「き、きみ、一緒に基地に行こうよ。
君の家を探さ――」
ルークは言葉を最後まで言えなかった。
少女、フィーがルークの左手を取り、駆け出したからだ。
ルークは訳が分からないもののつられて駆ける。
――ダシーン!
大きな音がする。
「ええ?」
ルークは慌てる。
フィーの行動が理解できなかったからだ。
フィーはルークの左手を右手で引いて駆けたまま後ろを窺う。
ルークも釣られて後ろを見る。
ルークは仰天する。
今までルークが立っていた場所に、大きなおおきな黄色地に黒の毒々しい模様のクリーチャーが居たからだ。
(うわあ!)
クリーチャーは飛蝗に似ている。
しかし大きさが尋常ではない。
頭の高さは二メートル、体長はその何倍もあるだろう。
細長い体の左右に細長い節足動物の足が複数本ある。
更には体表に固そうな無数の鱗が見える。
頭部と思しき部位に左右三つずつの大きな複眼が見える。
更には頭部正面下部には上下に切れ目があり、その中には巨大な鋸のような板が複数動く。
(これはなに?)
ルークはこの近辺が危険であることを知っていた。
様々な危険動物が徘徊する場所だ。
しかしルークの理解では危険動物とは、虎とかジャガーとか、そういった大型の肉食獣の類だ。
もしくは蛇や鰐などのせめてルークが知っている動物であるはずであった。
こんな巨大な飛蝗をルークは見たことがない。
こんなクリーチャーが生息しているとは聞いていない。
知っていたら一人で外に出ようなんて思わない。
巨大な飛蝗は跳ね、ルークたちの頭上に飛ぶ。
「うわああ!」
ルークは叫び声をあげる。
フィーはルークの手を掴んでルークを右に振り、自分も跳ぶ。
ルークは振り回されるように右に跳ばされる。
巨大な飛蝗はルークたちと木を挟んで向かい合っている。
フィーは飛蝗を睨みつけたまま、背後、反対方向を指さす。
ルークに、逃げろ、と言っているようだ。
「あわわ、君も逃げなくちゃ!」
ルークは右手でフィーの左腕を掴み、基地のほうに逃げる。
フィーは驚いたような顔でルークを見る。
――ダシーン!
再び大きな音がする。
ひどく大きな、固いものがルークの背中に当たる。
ルークは大きく前方に跳ねとばされる。
(痛い!)
ルークは打撲痛を感じて転がる。
後ろを見ると、少女が巨大な飛蝗と間近で対峙している。
「フィー! 逃げて!」
ルークは絶叫する。
フィーは飛蝗のクリーチャーを見ていない。
もっと上を見ている
飛蝗のクリーチャーもフィーを見ていない。
頭を反らし、足を曲げ、タメを作っているように見える。
明らかに跳ぶ準備だ。
しかし飛蝗のクリーチャーが跳ぶことはなかった。
――グシャア!
大きな飛蝗のクリーチャーが居た場所に、まったく別の物体が在る。
空から大きなものが降ってきて、飛蝗のクリーチャーを踏み潰したのだ。
ルークは呆然とする。
何が降ってきたのか最初、分からなかった。
暫くして飛蝗のクリーチャーを潰したのが二足歩行の重機であることを認識する。
『ルーク! ルーク! 大丈夫? 怪我はない?』
女性の声が周囲に響く。
心配そうな声だ。
ルークは空を見上げる。
空には飛空機がホバリング(空中での静止)している。
声は飛空機の拡声器から聞こえてくる。
ルークは声に聞き覚えがある。
陽気な従姉、正確にはルークの母親の従姉の子、再従姉のソニアの声だ。
二足歩行の重機の足は飛蝗のクリーチャーの頭と胴体を踏み抜いている。
重機の風防の中、操縦士席に金髪の少女が座る。
少女の碧色の目は警戒するようにクリーチャーを見下ろしている。
クリーチャーの動きが止まっているのを確認し、金髪の少女、アムリタはルークに向かって微笑み、手を振る。
フィーも微笑み、アムリタに対して右手を大きく振り返す。
ルークはあっけに取られる。
アムリタは立ち上がれないルークを心配そうに見る。
ルークはアムリタに右掌を見せる。
大丈夫だよ、と強がってみせるために。




