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黒灰色(こっかいしょく)の魔女と時の魔女  作者: 九曜双葉
第五章 第一話 宙(そら)から降ってきた少年 ~The Boy Who's Come Fallin' down from the Skies~
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第五章第一話(十)空が青い理由

 ――崩壊歴六百十五年の八月二日午後五時


「飛空機、本当に直ったねー」


 リリィはバギーの運転席から、助手席に座るジャックに笑顔で言う。

 ジャックのサポートロボットは飛空機を修理した。

 いや、修理だけでなくジェットエンジンの改造も行っている。

 短いテストではあったが、ジェットエンジンは液体水素を燃料に轟音(ごうおん)を立てて稼働した。


「まだ飛べるかは分からないけれどね」


 ジャックも笑顔で応える。

 飛空機ともなると、買い物のついでにテスト飛行という訳にはいかない。

 燃料をはじめ、色々準備が要る。

 だからテスト飛行は後日ということになった。

 ジャックたちはバギーも一台修理し、それを借り受けた。

 買い物の荷物や燃料吸蔵装置を積み、マルムスン山中のエリフの家に帰る道中だ。

 夕方とはいえ季節は夏、まだ日は高い。


「燃料とか色々注文がくるはずだから、マリアとヨシュアに言わなくちゃね。

 お金持ちの顧客が増えて、マリア、喜ぶかなー」


 リリィは、家内安全、商売繁盛、と(うれ)しそうに口ずさむ。

 マルムスン山はダッカの北西すぐにある山。

 エリフの家まで歩くと一時間強であるが、バギーならすぐだ。

 山道を登り、細長く開けた道の端に停める。

 マリアたちが飛空機の離発着に使っている場所だ。


「先生、ご飯作ってくれているかなー。

 今日はお肉がいいなー」


 リリィはバギーを飛び降り、荷物も持たずに駆け出す。

 ジャックもバギーを降りて、後部のドアを開く。

 イリアがドアから出てくる。


「リリィは元気だね」


 ジャックはリリィの後ろ姿を目で追いつつ、(つぶや)く。

 イリアは憮然(ぶぜん)とした表情で、まったくね、と応じる。

 ジャックはイリアに笑いかける。


「朝はごめん、挨拶は服を着てするものだとマリアにダメ出しされたよ。

 じゃないと社会的に死ぬからって」


 ジャックは頭を()く。

 イリアは無言で空を見る。

 ジャックも空を見上げる。

 空は青く、雲は白い。


「空が青い理由……」


 イリアは空を見たまま言う。

 ジャックは、え? と怪訝(けげん)そうにイリアを見る。


「青紫ではなくて……」


 イリアは続ける。

 ジャックは、ああ、と笑う。


「今朝のやつだね。

 考えてみれば人間の色認識は光のスペクトルとは必ずしも一致しないんだった。

 色は三種の錐体(すいたい)細胞の刺激レベル、その組み合わせで決まるんだったね。

 人間の視覚は四百五十ナノ以下の紫の波長に対して感度が低いのかもしれない」


 ジャックは早口で言う。

 色は光の波長に応じて変わる。

 一般に人は四百五十から四百九十五ナノメートルまでの波長域を青と感じる。

 そして紫と知覚するのは四百五十ナノメートルより短い波長域となる。

 ただしそれは単色光の話だ。

 人間の色覚はS・M・L、三種類ある錐体(すいたい)細胞への刺激の量、その組み合わせによって色を区別する。

 ありとあらゆる色全てが、たった三種の錐体(すいたい)細胞への刺激値で表すことができるというのだ。


 L錐体(すいたい)細胞は主に赤、Mは緑、そしてSは青の波長域に感応する。

 三種の錐体(すいたい)細胞が同レベルで励起すれば白色と感じ、LとSが励起し、Mが鎮静していれば紫に感じるだろう。

 四百五十ナノメートルより短い波長域の分担はS錐体(すいたい)細胞なのだが、これは本来青を感受するためのもの。

 不思議なことに赤の波長域に感応するL錐体(すいたい)細胞は四百五十ナノメートル以下の波長域にも感応する。

 その結果人間の目は青と赤の単波長の混色である青紫と、四百五十ナノメートル以下の単波長である青紫とを区別することができない。

 つまり色とは錐体(すいたい)細胞の性質に強く依存するものだ。

 であれば、紫のピークを持つスペクトルを見ても青の領域のスペクトル成分が十分に強ければ、紫ではなく青に感じるのではないか?

 ジャックはそう予想しているのだ。


「そうじゃない」


 イリアはジャックを見上げ、否定する。


「見せてあげる」


 イリアはジャックに右手を差し出す。

 ジャックは吃驚(びっくり)した顔をしつつもイリアの右手を右手で握る。


「そう(おどろ)かないで。

 目を閉じて」


 イリアは初めて見せる柔らかな笑顔でジャックに言う。

 ジャックは言われたとおり目を閉じる。

 視界は朱色となる。

 (まぶた)(とお)した光の色、自分の血潮(ちしお)の色。

 陽のある野外、目を閉じていても明かりは感じる。

 ジャックは生を実感する。


 次の瞬間、視界が明るい青紫に染まる。

 ジャックは再び(おどろ)く。


「え? なにこれ?」


「これは太陽光が可視光域で平坦(フラット)なスペクトルである場合の空の色。

 波長の四乗に反比例させた合成スペクトルはこのように見えるの。

 ジャックには何色に見える?」


 イリアはジャックに問い返す。


「青紫だ、うんイメージどおりだね。

 凄い、これは魔法?」


 ジャックは訊く。

 イリアは、そう、と短い言葉で肯定する。


「ということは太陽光スペクトルは可視光域で平坦(フラット)ではない?」


 ジャックは目を(つぶ)ったまま訊く。


「ええ、そのとおり。

 四百五十ナノ以下で急激に減衰しているの。

 それ以外では意外と平坦(フラット)なのだけれど」


 青紫色を背景に銀色で描画されたスペクトルグラフが示される。

 グラフは三百八十ナノメートルから七百五十ナノメートルまでの光の強さを示すもののようだ。

 五百ナノメートル弱あたりにピークがある。

 長い波長域に向かって緩やかに減衰し、短い波長域では急激に減衰する。

 そのような波形となっている。


「大気圏外で見る太陽光の色温度は五千七百七十ケルビン。

 これは白色光の範疇(はんちゅう)

 ただし波長のピークは五百ナノ弱にある。

 波長のピークを強調して光の強度を落とすと緑がかった青に見える。

 つまり太陽光は元々青いのよ」


 ジャックの視界は青色に代わる。

 空の色、深い青。


「これが太陽光に近いスペクトルの光を大気で散乱させた色。

 波長の四乗に反比例というと短い波長域が凄く強調されるように感じるけれど、実際はピークを少し短い波長側にずらすだけ」


 淡々とした声でイリアは説明する。

 鮮やかな青色、空色を背景に銀色のスペクトルグラフには別のスペクトルが重ねられる。

 地表から見える空の光のものであるようだ。

 元のスペクトルより全体として減衰しているものの、ピークは依然として四百五十から五百ナノメートルの間にある。


「なぜ空は青いのか?

 青緑の波長域にピークを持つ太陽光が、大気による散乱で長い波長域を主に、全体的に減衰させつつ短い波長域側に少しだけピークをシフトさせて地表に届くから。

 それが答え」


 イリアは断定する。


「なるほど、青だね、圧倒的な説得力。

 イデアル(理想的)な大気では空はこんなに青いんだ」


 ジャックは感心する。

 肉眼で見る空も青く感じたが、イリアが見せる空はどこまでも青い。


「そうか……、つまりは赤い恒星、例えばアルデバランの生命居住可能領域(ハビタブルゾーン)に地球を持っていったら……、空は青ではなくオレンジ、せいぜい黄色に見えるわけだ。

 これは考えたことが無かったな」


 ジャックは、成程(なるほど)なるほど、と(つぶや)く。


「そう、そして夕焼けは血のように赤くなる」


 イリアはジャックの言葉を受けて(つぶや)く。

 ジャックは、わははは、と笑う。

 イリアも笑う。

 二人は(しばら)く笑い続ける。

 イリアの笑いが止まる。


「ジャック……」


 イリアが寂し気な声でジャックを呼ぶ。


「イリア? どうしたの?」


 ジャックは不安そうにイリアに問う。


「ジャック、私は貴方に謝らなくてはならない」


 イリアは脈絡なく話題を変える。


「え? ああ、先生のこと?」


 ジャックは訊き返す。


 ――おじいさまは私の家族なんだ!

 ――たった一人の家族なんだ!

 ――あんたなんかに渡さないんだから!


 ジャックはイリアの叫びを思い出す。

 イリアはジャックの手を強く握る。


「それは謝らない。

 それは私がお子様だから仕方がないんだ。

 でも貴方も大概お子様よね?

 私も気を使うことにするから、ジャック、貴方も私に気を使ってよね」


 イリアは()ねたような口調で言う。

 ジャックは思わず吹き出してしまう。


「そうじゃない……、そうじゃなくて……。

 私は今朝、眠っている貴方の記憶を(のぞ)いてしまったの」


 ジャックの視界は暗いものに切り替わる。

 暗いが鮮明な映像。

 見慣れた環境。

 ジャックが長い時間過ごしてきた無機質な室内。

 ジャックは三度(みたび)驚く。


「君は他人の記憶が見えるの?」


 ジャックは訊く。


「うん、ほんの少しだけ……。

 相手の警戒がないとき、強く残った記憶を見ることができる」


 イリアは寂しそうに応える。

 ジャックの視界にジャックの日常が映し出される。

 単調な日常、長い間変わらない生活。

 そんな中でのちょっとした喜び、そして悲しみ。


「本当にごめんなさい。

 私は見るべきではなかった。

 貴方のプライバシーを(のぞ)くつもりはなかった。

 私はやってはいけない罪を犯してしまった」


 イリアは泣きそうな声で(つぶや)く。

 ジャックの視界は目まぐるしく切り替わる。

 ジャックは星を見る。


 オレンジ色の(まぶ)しい恒星。

 その伴星(ばんせい)である青い恒星

 うしかい座イプシロン星イザル。

 母の故郷、プルケリマ。

 かなり距離をおいての映像だ。

 何故かこの星を見ると涙が(こぼ)れてくる。


「おかあさん」


 ジャックの視界に母が映し出される。

 銀色の長い髪、柔らかい手、優しい笑顔。

 美しい姿。

 そんな人としてのインターフェースを持つ、大きなおおきな母、おかあさん。

 母は人間ではない。

 でも大きな温もりと優しさでジャックを包み、支えてくれた。

 ジャックはそんな母を残して地球へと折り返したのだ。

 ジャックは流れる涙を左手の袖で(ぬぐ)う。


「おかあさん、おかあさんだ……。

 ちょっと記憶しているのと違ったけれど、これが本当のおかあさんなんだね」


 ジャックは母の映像を懐かしむ。

 ジャックの視界は赤黒いものに変わる。

 普通に目を閉じているときの視界だ。

 ジャックは目を開ける。

 そこには涙顔のイリアが居る。


「ジャック、貴方は十年もの長い間、独りだったのね」


 イリアの顔がくしゃくしゃに(ゆが)む。


「今のが私が見たすべて。

 誓って他は一切(いっさい)見ていない。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 許されないとは思うけれど、でもごめんなさい」


 イリアは大粒の涙をポロポロと(ほお)(こぼ)し、泣く。


「イリア、ありがとう。

 君のおかげでおかあさんを思い出すことができた。

 ほんとうにありがとう、この記憶は僕の宝物だ」


 ジャックも泣いている。

 二人は握手をしたまま泣いている。


「許してくれるの?」


 イリアはジャックを上目遣いで見上げる。

 大きな涙がイリアの両頬(りょうほほ)に流れる。


「許すって……、むしろ感謝している。

 これでおかあさんをまた鮮明に思い出せる……。

 ありがとう……。

 それに僕らは家族だろう?

 僕のことを知ってもらえて良かった。

 僕という人間をもっと理解して欲しいから」


 ジャックは泣きながらも笑顔を作る。

 イリアは、うん、うん、と(うなず)く。


「イリアー、ジャックー、何をしているのー? 晩御飯だよー」


 遠くからリリィの声が聞こえる。


「なになにー? 握手してるのー? 仲直りしたんだー? 良かったー」


 リリィの声は(うれ)しそうだ。

 ジャックはイリアを見る。

 イリアもジャックを見上げる。


「じゃ、よろしく! きょうだい!」


 イリアは悪戯(いたずら)っ子のような目で言う。

 そしてジャックの手を強く握る。


「うん、よろしくね、きょうだい」


 ジャックも笑いながら手を軽く握り返す。


 陽は(かたむ)き、西の空はもはや青くなく、朱色に変わりつつある。

 二人は家に戻るべく、大荷物を抱えて山道を登る。

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