第五章第一話(八)ダッカ郊外飛空場
「ここがダッカかあ。
おかあさん、僕はダッカに着きましたよー」
ジャックは飛空場に降り立ち、嬉しそうに言う。
「ジャックのおとうさんとおかあさんが住んでいたんだよね?
何年くらい前?」
リリィはジャックに訊く。
「えっと、地球時間で三百九十三年くらい前かな?」
ジャックは朗らかに応える。
リリィは指を折る仕草をするが、すぐに止め、ああそうなんだ、と笑う。
イリアは無表情にジャックの顔を見上げる。
「上から見ると、凄い人だったね。
あれ全部、人なんだね」
「うん、そうだよ。
ダッカは大きな街だけれど、カルザスに行くともっともっと人が居るよ」
リリィは自慢するように言う。
「カルザスって、ダッカの次の街だよね?
ここよりも人が多いなんて凄いなぁ」
ジャックは感嘆する。
「じゃあ、早速街に繰り出そうよ。
ダッカはねえ、お魚が美味しいんだよ」
リリィは、早くはやく、と歌いながらジャックの袖を引っ張る。
「え? さっきご飯を食べたところじゃない?
また食べるの?」
ジャックは怪訝そうにリリィを見る。
「豆料理とお魚は別腹だよ?
もっと言えばデザートも」
リリィは笑う。
イリアも同意するように頷く。
「へえぇ? そうなんだ。
でもお金が要るんだろう?
足りるのかな?」
エリフはジャックに幾ばくかの金銭を渡している。
貨幣の価値も一応レクチャーしてもらった。
しかしどれくらい余裕があるのかジャックには分からない。
ジャックは背負い袋を胸に抱き、心配そうに摩る。
「大丈夫だいじょうぶ。
屋台ならそんなに高くないから」
リリィは自信満々で言う。
「屋台かあ、路上で食べるお店のことだよね?
いや実を言うと僕も地球の食べ物には凄く期待しているんだよね。
おかあさんも、地球のお魚は凄く美味しかったって言っていたし」
ジャックは、楽しみだなぁ、と言いながら歩を進める。
「あ、あの、君が飛空機を操縦していたんだよね?」
ジャックたちの歩く先に居た少年、ハリーが声をかける。
リリィに言っているようだ。
ハリーの声は緊張で震えている。
リリィは首を傾げてハリーの顔を見る。
身長差から、リリィはハリーを見下ろす形になる。
「あ、ごめん、俺はハリーっていうんだ。
飛空機が大好きなんだ。
飛空機乗りになりたいと思っている。
君はさっき、飛空機を操縦していたよね?
羨ましくてつい……」
ハリーは弁解するように言う。
リリィの顔が次第に緩んでゆく。
「ふふふん、あの飛空機はね、私のおねえさん、おにいさんのものなんだよ。
二人が手を離せないときは私が操縦するんだ」
リリィが鼻の穴を膨らませながら自慢する。
ハリーは、いいなぁ、と羨望の眼差しでリリィを見る。
リリィは満足げな笑みを浮かべる。
「凄いんだね君。
俺とあんまり歳、変わらないのに。
何歳くらいから飛空機を操縦しているの?」
「えーとね、操縦桿を持つだけなら五歳くらいからかな?
よく覚えてないけれど」
「五歳? ふわー!」
ハリーの感嘆と同時にハリーの腹が、ぐうぅー、と鳴る。
一同笑う。
「ああ、お腹が減ったよ。
昼飯食べていないんだ。
ねえ、みんな俺の家に来ない?
何か食べられると思うよ」
ハリーは照れ笑いを浮かべながら皆を誘う。
リリィは期待を込めた顔でイリアを見る。
「いきなり大勢で押しかけたら、家の人、困るんじゃないの?」
イリアはハリーに向かって言う。
「あはは、大丈夫だよ。
俺んちはレストランもやっているんだ。
実を言うと、昼飯時に帰宅していないから、一人で帰ると怒られるんだ。
友達連れなら怒られずにお昼ご飯にありつけると思うんだ。
一緒に来てもらえると正直助かる」
ハリーは笑みを作る。
「私たち、レストランに入れるようなお金持っていないわよ」
イリアは腰に手をあてて貫禄たっぷりに宣言する。
「大丈夫だいじょうぶ、店で食べるわけではないから。
賄い食になるけれど、多分美味しいよ]
ハリーは微笑みながら言う。
「それで私たちに何を期待しているの?」
イリアは警戒するように訊く。
「飛空機のこと、教えてよ。
君たち空賊の人たちだろう?
俺は飛空機の事をもっと知りたいんだ」
ハリーは熱い視線でイリアに言う。
「ちょっと、私たちは空賊なんかじゃないわ。
マリアのカンパニーの一員よ!」
リリィは抗議する。
「私とジャックはマリアのカンパニーの一員ですらないけれどね」
イリアは、どうする? というようにジャックを見る。
「ははは、そうだね、僕も飛空機には憧れるね。
分かるよ、君の気持ち。
リリィ、差し障りの無い範囲で教えてあげたら?」
ジャックは明るく言う。
リリィは嬉しそうに頷く。
イリアも心持ち柔らかな表情になる。
「じゃ、決まりだね!」
一同はハリーの先導で街の中に向かって歩き出す。
ハリーはダッカの街の目抜き通りを歩く。
目抜き通りは広く、真中にテントの店舗が並ぶ。
両脇には建物が立ち並び、一階は何かしらの店舗になっている。
ジャックは物珍しそうに街並みや商品を眺める。
「ここの裏なんだ」
ハリーは大きなレストランの横、路地を指さす。
レストランには店の名を記載した瀟洒な看板がかかっている。
看板の下に小さく「T&P商会」と書かれている。
ハリーは路地に入り、レストランと同じ建物の裏口に入ってゆく。
裏口と言ってもしっかりとした作りで安っぽさはない。
「ただいまー」
ハリーは大きな声で言う。
中は事務所のようになっていて、奥にはダイニングテーブルがある。
「ハリー! お昼には帰ってきなさいと何度言えば――」
事務机で帳簿を付けていた女性、ハリーの母が小言を言いかけて止める。
ハリーが一人ではないことに気付いたのだ。
怪訝そうな面持ちで会釈をし、ハリーの言葉を待つ。
「この人たち、飛空場で会ったんだ。
彼女はこの若さで飛空機のパイロットなんだよ。
ぜひ飛空機について教えて欲しくて、昼食に誘ったんだ。
何か食べさせて」
ハリーは母親の顔色を窺うように言う。
母親はジロリとハリーを剣のある目で睨みつけるが、すぐに笑みを作る。
「どうも済みませんね。
息子は飛空機のことになると歯止めが効かなくて。
何か無理を言わなかった?」
母親は申し訳なさそうに言う。
ジャックは、全然大丈夫ですよー、と笑顔で応える。
ハリーはそんな母親を無視するように奥のダイニングテーブルに皆を誘導する。
ジャックたちは勧められるままダイニングテーブルに着席する。
「何か食べられないものはあるかしら?」
母親は観念したように問いかける。
リリィは、ありませーん、と朗らかに返す。
リリィとジャックは曖昧な顔で頷く。
母親は奥へと消える。
「ハリー、おかあさま、怒っていたわよ?」
イリアは心配そうに訊く。
「大丈夫だから気にしないで」
ハリーは、にぃー、と笑う。
「自己紹介が未だだったわね。
私はイリア、この娘はリリィ、そしてこちらはジャック。
ダッカには買い物に来たの」
イリアはリリィとジャックを掌で指し示す。
「飛空機で買い物? 凄いね」
ハリーは目を真ん丸にして驚く。
「飛空機で来たのは偶々で、乗せてきて貰っだけ。
さっきの二人は遠くに行ったんだ。
私たち、帰りは歩いて帰るんだ」
リリィは誇らしげに言う。
「え? じゃあもう今日は飛空機、来ないの?」
ハリーは落胆するように言う。
リリィは、うん来ないよ、と笑う。
「えー……、なんか残念だ。
さっきのパイロットの人にもう一度会いたかったんだけれど」
ハリーは悄気た声で呟く。
「何なに? ヨシュアの弟子入り志望?
ヨシュア、人気ありすぎて競争率高いよ」
リリィは朗らかに言う。
ハリーは深い溜息をつく。




