第一章第二話(十一)巫女の祈り
ジュニアとアムリタは祭殿の石の扉の前に居る。
二人とも灯りの付いていないランプを持っている。
アムリタは他にはなにも持っていない。
ジュニアはキャリバッグの持ち手を持っている。
ジュニアが扉を開けようと試みる。
しかし扉には鍵が掛かっている。
扉には鍵穴らしきものは無い。
「アムリタ、祭殿にはどうやって入るの?」
ジュニアはアムリタに訊く。
「扉で祈りを捧げると扉が開くのだけれど、私が巫女見習いだったのは二百年前だから……」
アムリタは不安そうに応える。
それでも、石の扉の前に立ち、扉に右手をあてて、祈りを詠唱する。
――我は風の祭壇に祈りを捧げる巫女なり
――我は夢の囁き星の歌の伝道者なり
――我の祈りは風に乗り星に至らん
――我は星の歌を聴き、その想いを伝えん
――ならば開かれよ、導きの扉を
アムリタの祈りが終わったとき、扉からカチャリと音がする。
「お、開いた。
サリー叔母さまからはサボっていると直ぐに資格が無くなると言われていたのだけれど」
いかにも意外そうにアムリタは呟きながら扉を開く。
扉の中からゴゥ、と冷たい風が吹いてくる。
中は暗い。
「破門されていなくてよかったね」
ジュニアは手に持っていたランプに灯りを灯し、中に入る。
中では何かが、カサコソ、と動く気配がする。
「ん?」
ジュニアがランプを翳して中を窺うが、動くものは見えない。
ジュニアは自分のランプの灯りをアムリタのランプに移す。
アムリタも灯りを翳す。
「この入り口の通路の先に大きな空間があって、そこが祭殿になっているの。
祈りの間よ」
アムリタは導く。
突き当りの大きな両開きの扉を引くと、アムリタの言葉どおり大きな広間となっている。
広間の中央には床に大きな穴があいていて、その周りには落下防止と思われる柵が設けてある。
その穴からは風が吹き上げている。
穴の向かい側には大きな無数のパイプが地面から生えている。
パイプは左側が細く低く、右に行くほど太く長いものとなっている。
一番左のパイプは高い天井まで達している。
ジュニアは穴の中をランプの灯りで照らす。
穴は深く、周囲には無数のガラスの管があるようだ。
「なんかメカメカしいね」
ジュニアは呟きながら、今は自走していないキャリバッグからサプリメントロボットを取り出す。
「調べてきて」
ジュニアはサプリメントロボットに命じる。
サプリメントロボットは眉尻をキリリと釣り上げ、右手で敬礼をするとタッと走り去る。
「何を調べるの?」
アムリタはジュニアのキャリバッグを見ながらジュニアに尋ねる。
「色々。
ここの構造とか。
それよりここの巫女がどうやって祈りを捧げたり神託を聞いたりするか教えてよ」
ジュニアはキャリバックから四角い箱のようなものを取り出しながら訊く。
四角い箱には樹脂で覆われた線が付いていて、その先にはスポンジで覆われた卵状のものが付いている。
箱の上面の一番大きい面にはなにやら光る文字や図形が浮かび上がっている。
アムリタは興味深げにそれらを眺めるが、訊いても判らないんだろうな、と思いそれらが何であるか訊かなかった。
「今、聞こえているのが風の声なのよ」
アムリタは説明する。
音は多くのパイプのほうから聞こえてくるものと、穴から聞こえてくる、コゥー、という微かなものがある。
アムリタが言っているのはパイプから聞こえてくるもののほうだ。
「この音は時間とともに少しずつ変わるのだけれど、サリー叔母さまはこの音から色々な神託を聴き取っていたわ。
私のような見習いでは全然判らないのだけれども」
ジュニアは手に持っている箱を操作しながらアムリタの話を聞いている。
「なるほど。
面白いね。
祈りは?」
ジュニアはアムリタに向き直り、尋ねる。
「白状するけれど、私は本当に出来の悪い弟子で、あまり巫女の修行をしていなかったの。
だからサリー叔母さまがいつもどうしていたのかはあまり記憶にないのだけれど。
サリー叔母さまは、だいたいこの辺りに立って、定型の祈りを唱えていたと思う」
アムリタは穴の手前に立ち、手を合わせる。
「定型の祈り?
何か覚えている?」
ジュニアは訊く。
アムリタは、残念ながら、と応える。
「でも、星がどうとか、我らの行く先を照らしたもう、とかそんな感じかな」
アムリタは応える。
ジュニアとアムリタが話をしていると奥からピー、ピーというサプリメントロボットの発している音が聞こえてきた。
ジュニアとアムリタは音のする方向に向かう。
そこには茶色いジュニアのサプリメントロボットと、よく似たくすんだ黄色のロボットが争っていた。
くすんだ黄色いロボットは箒を持ってサプリメントロボットに対峙している。
「やっぱり。
二人とも起立」
ジュニアは命じる。
茶色のジュニアのサプリメントロボットはキリリと眉尻を上げ、右手で敬礼しながらジュニアに向き直る。
くすんだ黄色のロボットはジュニアとサプリメントロボットを交互に見ながらも一応両腕を下にピンと伸ばし、起立をする。
黄色のロボットの胴体に『4』と書かれている。
「ジャックのサポートロボットだね。
一桁台は僕も初めて見る。
この二十年間、ここを守っていてくれたのかな?」
くすんだ黄色いロボットは、眉尻を下げながらうんうんというように頷く。
「ご苦労様。
俺らはジャックの協力者だよ」
ジュニアはジャックのサポートロボットに語りかける。
「アムリタ、彼がここを維持してくれていたんだよ」
「本当?
有難う。
君、可愛いわね。
仲良くしてね」
アムリタがニコリと笑いながらそう言うと、サポートロボットは眉尻を落とし、目を細めながら右手で後頭部を掻く。
「サポ、ここを案内してよ」
ジュニアはサポートロボットに頼み込む。
サポートロボットはどうしようかな、と悩んでいるように左手で顎のあたりを触り、右手で左手の肘のあたりを触るポーズを取る。
サプリメントロボットはサポートロボットに近づき、おでこにおでこを当てる。
サポートロボットは何回かコクリ、コクリと頷き、ジュニアに向き直る。
そして肘を肩の位置まであげ、胸を叩く仕草をする。
「有難う、サポ」
ジュニアはお礼をいいながら、サポートロボットの頭を撫でる。
サポートロボットは眉尻を下げながらクルリと後ろを向き、右側に首を回して、右手でクィっと招くようなジェスチャを行う。
ジュニアはサポートロボットの後ろに付いてゆく。
その後にサプリメントロボットが続く。
アムリタは一人祈りの間に残る。
二百九年を経て、驚くほどここは変わっていない、アムリタはランプの灯りに照らされる祈りの間を見て考える。
ここに居て、サリー叔母様は何を聞き、何を考えていたのだろうか、アムリタは知りたいと願う。
アムリタはサリーを姉のように慕っていた。
サリーは母の妹ではあったが、歳は母よりはアムリタに近く、若く綺麗で、いつも毅然としていた。
祈りの間に居るサリーはアムリタの記憶では常に穴の祈りの場所で祈りを捧げている。
アムリタも風の声に耳を傾けてみる。
――シューワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
――ヒシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ
――ルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ
――ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
数々のパイプから出る音は周期を持って音を奏でているようで、なるほどこれは歌なのかもしれない、とアムリタは思う。
聞いていても不愉快ではないが、だからと言ってこれから何か意味を見出すことはアムリタにはできない。
それでも一時間ほど風の声を聞いている。
「サリー叔母様のように十五年くらい聞き続けないと駄目なのかしら?」
アムリタは気の長い話になりそうだなと思い、ふと隣にあるジュニアのキャリバッグに目をやる。
キャリバッグは首を傾げるように動く。
アムリタの目は獲物を狩る猫のものになる。
キャリバッグは怯えるように振える。
更に一時間後、ジュニアは祈りの間に戻ってくる。
ジャックのサポートロボットも後ろに居る。
「何をしているの?」
祈りの間に戻ってきたジュニアはアムリタに尋ねる。
「え?
うん、自走キャリアに乗れるかしらと思って……」
アムリタはジュニアのキャリバッグの上に座り、バランスを取っている。
キャリバッグはヨタヨタとふらつきながら、ジュニアに助けを求めるように近づく。
「良かったね、アムリタ。
ギリギリ乗れるみたいだね。
でも可哀想だから降りてあげて」
ジュニアは優しく言うが、目は笑っていない。
はいはい、そうですね、と言いながらアムリタはキャリバッグから降りる。
キャリバッグを見るアムリタの目も笑っていない。
キャリバッグはジュニアの後ろに隠れるように移動する。
「サプリは?」
アムリタはサプリメントロボットが居ないことに気が付き、ジュニアに尋ねる。
「ん、コピーしている」
ジュニアは短く応える。
「ん?
何を?」
アムリタは全然予想していない答えだったので面食らう。
「風の谷の思考機械の人格と記憶を」
アムリタはジュニアの答えの意味が全く判らなかったので考えるのを止める。
「現在の表層記憶だけしかコピーできないけれどね。
明日の昼まではかかるかな」
ジュニアは風を吹き上げる祈りの間の床の穴を見ながら呟く。