第五章第一話(二)救急搬送
マリアは少年、ジャックの表情を観察するように見つめる。
ジャックの唇は紫色に変色し、目からは急速に光が失われる。
「ま、こうなるわよね」
マリアは酸素マスクをジャックの顔に装着する。
マリアはロープを、いまではぐったりとしたジャックの体に回し、自分の腰ベルトにカラビナで固定する。
少年は腰に何か金属でできたケースをベルトで括りつけている。
落下する飛空機の後部ハッチではリリィが二人を見ている。
マリアはリリィに合図する。
マリアは酸素のチューブを咥えながら、ロープを手繰ってゆく。
リリィもロープを手繰り、然程時間をかけずにマリアは飛空機の中に滑り込む。
「このケース、邪魔ね」
マリアはジャックの腰のベルトを外し、金属製のケースを床に除ける。
マリアはジャックを座席後部、荷室部分に用意された寝台に寝かせ、ベルトで固定する。
リリィは後部ハッチを閉める。
「いいわ! 機首を戻して!」
マリアの言葉に飛空機は緩やかに機首を上げる。
「ヨシュアー、どうしよう。
私、ボーイフレンドができちゃった」
マリアは嬉しそうに操縦士席に座るヨシュアに報告する。
「それは良かったなぁ、マリア。
ところで、そのボーイフレンドのバイタルサイン(生命兆候)は?」
ヨシュアは操縦士席で前を見たまま問う。
マリアは寝かされているジャックの呼吸を診る。
「えっと、心肺停止を確認。
こういうとき、どうするんだっけ?」
マリアは操縦士席に訊く。
「とりあえず気道の確保と心臓マッサージだな。
リリィ、操縦を代わってくれ」
ヨシュアの言葉にリリィは、分かった、と応え、副操縦士席に座る。
ヨシュアは荷室部分の寝台に駆け寄り、心臓マッサージを行う。
「マリア、ナイフを持ってきてくれ。
スーツを切断する」
ヨシュアはジャックの顎を上げ、気道を確保しながら胸骨圧迫を続ける。
「リリィ、先生の所に緊急帰還だ!
ダッカ近郊、マルムスン山中!」
「分かった、ここからなら二十分でいけるよ!」
「二十分ではかかりすぎだ、十五分で頼む」
ヨシュアは心臓マッサージを続けながら応える。
「じゃ、ロケットエンジン、投棄するよ!
必要量を残してジェット燃料も機外廃棄するから!」
リリィは返事を待たずにロケットエンジンを切り離す。
マリアは名残惜しそうに落下してゆくロケットエンジンを目で追う。
「行けぇー!」
リリィの叫びと共に、ジェットエンジンは唸り、飛空機は加速してゆく。
飛空機の後ろには投棄された燃料が作る飛行機雲が尾を引く。
ヨシュアは寝台の上に横たわるジャックに馬乗りになり、心臓マッサージを続ける。
「ヨシュア、こういう時って人工呼吸をしたほうがいいのかな?」
マリアはナイフでジャックの着ているスーツを裂きながら訊く。
「この高度じゃ酸素分圧がまだ低いからなぁ。
酸素マスクを装着させておくほうがいいだろう。
それよりも顔以外、火傷が酷い。
スーツを脱がせるときは気を付けてな」
ヨシュアは心臓マッサージを続けながら応える。
胸の火傷は、ヨシュアの掌による押圧で皮膚が剥げている。
「可哀そうだけれど止めるわけにもいかないからな。
むしろ今は意識が無いほうが良い。
下手に意識を取り戻すと、激痛で地獄だ」
心臓マッサージを続けるヨシュアの額に汗が流れる。
ヨシュアは二分心臓マッサージを続け、ジャックの呼吸を確認する。
「どう? 呼吸は戻った?」
マリアは白い顔で訊く。
「いや、駄目だな、多分全身の火傷によるショック状態なんだろう。
心臓マッサージで蘇生するとは思えない。
でも大丈夫だ、先生のところに連れていくまで、脳を守れば良いだけだから」
ヨシュアは心臓マッサージを続ける。
飛空機は高度を下げながら加速してゆく。
心臓マッサージを行うにはかなりの体力を消耗する。
ヨシュアは自分の酸素マスクをかなぐり捨て、全身汗まみれになって続ける。
「マリア、先生からの発光信号だよ!」
リリィは副操縦席から叫ぶ。
マリアは操縦士席に行き、座る。
「センセも心配性ね。
ターゲット確保、心肺停止、現在心肺蘇生続行中、っと」
マリアは発光信号を送る。
進行方向遥か先の山中から発光信号が明滅する。
「えっと、リョカイ、チャクリクチテンニ、ワイヤーヲセッチシタ、と。
サイソクデモドレタシ、だそうよ。
了解、オーバー、っと」
マリアは速い速度で発光信号を打鍵する。
「私のボーイフレンドは、センセにも愛されちゃっているのね。
一体どんな関係なのかしら?
ミステリアスな男の子ってちょっと素敵ね」
マリアは嬉しそうに操縦桿を握る。
「リリィ、操縦ありがとう。
着陸は任せてちょうだい」
マリアは副操縦士席に向かって言う。
リリィは、うん、分かった、と応える。
「距離二万三千」
リリィが距離をカウントする。
機体は高度を落とすものの速度は維持したままだ。
「距離二万」
リリィの距離カウントは続く。
後部ではヨシュアが心臓マッサージを続けている。
薄い雲が速い速度で流れてゆく。
飛空機は点滅する灯りに向けて進む。
「距離一万」
進行方向遥か先の山に直陸地点を示すラインが二本光る。
「あらー、今日のセンセ、サービス満点ね」
マリアは呟く。
リリィは距離をカウントし続ける。
「ヨシュア! 減速するわよ!」
マリアは叫ぶ。
ヨシュアは自分の体をベルトで固定しつつ、心臓マッサージを続けている。
「過度なGはかけず、でもできるだけ早く着陸、っと。
無理難題を聞いてあげる私って結構尽くすタイプの女じゃない?」
マリアは操縦桿を握り、上機嫌で言う。
「距離四千。
マリアー、ちょっとオーバースピードじゃない?」
リリィは心配そうにマリアを見上げる。
「いいのよ、よく見ておきなさい。
前エンジン二基だけで垂直着陸してみせるわ。
斜面下からワイヤーを擦り上げるの」
「え? なんかカッコ良さそう。
楽しみー!」
リリィは期待に満ちた顔で笑う。
飛空機は減速を始める。
緩やかなGがかかる。
距離二千を切ってからはリリィの距離カウントは百刻みになる。
山の斜面に沿って光の筋が二本、更にそれを横切る光の筋がある。
「ワイヤー目視、距離千五百」
「オッケー!
ここからは計器だけで降りるよ!」
マリアは明るく言う。
飛空機は高度を下げ、今や着陸地点より低い。
飛空機は灯りの無い斜面を滑るように駆け登る。
マリアは赤外線ゴーグルを付けていない。
ただ裸眼を頼り、飛空機を飛ばす。
「一点三……、一点二……、一点一……」
リリィのカウントが続く。
飛空機は揚力を稼ぎながら速度を落としてゆく。
「七……、六……、五……、四……」
視界には地面の闇と星空だけが見える。
「三……、二……、一……」
突如、飛空機の両脇に点在する灯りが見える。
飛空機は機首を上げ、失速する。
両主翼前にあるジェットエンジンのノズルは下を向いている。
飛空機後方下に下げられたフックがワイヤーを掴んでいる。
エンジンが唸る。
飛空機は軽やかに機首を地面に下し、止まる。
前方右にはランプを持った人影が見える。
マリアは人影に右手で合図する。




