第五章 巻頭歌 賢者さまと幼子(おさなご) ~The Wise-Magus and the little Girl~
■ 第五章 傍に居てよ
Stay with Me
巻頭歌 賢者さまと幼子
The Wise-Magus and the little Girl
第一話 宙から降ってきた少年
The Boy Who's Come Fallin' down from the Skies
第二話 天垂の糸を見上げて
Looking up to the Strato-Strap
第三話 ずっときみを見守っていたんだ
I'd always Kept an Eye on You
最終話 空中庭園の迷子
The lost Child in Orbit-Space Hanging Garden
――あれは何?
少女は問う。
少女は空に浮かぶ三つの連続する光点を見上げている。
左端に青白く眩しい光点、真中に青い光点、右端に朱色の光点。
この惑星アスラの青い空に大きく眩しい太陽と小さい朱色の太陽が見える。
その二つの太陽の間に見慣れぬ色違いの光点が三つ浮かんでいる。
周囲はいつものとおり三百六十度、見渡すかぎりの草原だ。
空は青く、雲一つない。
風は戦ぎ、草々を撫でる。
様々な風紋を描く草原の中に大きな山とそれよりもかなり小さな山がある。
小さな山に似た土塊、それが少女だ。
――あれは衛星。
――惑星を周る星。
――惑星の重力に縛られ、惑星を周る天体。
大きな山は応える。
少女も、惑星を周る天体、衛星が存在し得ることを知らないわけではない。
実際、惑星アスラのきょうだい惑星にも衛星を持つものがある。
少女の疑問は、今まで無かったものがなぜあるのか? ということだ。
少女は三つの光点の正体に気付いている。
銀色の天体に写る大きく眩しい太陽、朱色の太陽、それに惑星アスラだ。
――賢者さまが作ったの?
ここには少女と少女が「賢者さま」と呼ぶ大きな存在が居る。
双方とも地球人ではない。
土塊のような動く山、地球人にはそう見えるだろう。
――そう、私が作った。
大きなおおきな土塊、賢者さまの応えは短い。
少女は改めて頭上に浮かぶ生まれたばかりの天体を見る。
尋常ではない大きさの人工天体。
少女はその天体が、海水でできていると予測する。
惑星アスラの大量にある海水の一部が、惑星を周る軌道に移されたのだ。
――なんで作ったの?
少女は目的を訊く。
海水でできた球の表面を薄い銀色の箔で覆った巨大な氷の塊。
少女はそのようなものを作ろうと思ったことがない。
なぜ賢者さまは作ったのだろう。
――あれは恒星船。
――銀河の腕をも渡る船。
賢者さまは応える。
――恒星船!
少女は驚く。
少女とて近い星に移動することができないわけではない。
身を削れば、多少遠い星にでも行けるだろう。
彼女たちはそうやって星々を渡る。
しかしあの巨大な天体、あれは恒星船であるという。
銀色の薄膜で覆われた大量の海水。
分厚い氷の外郭の内部に、巨大なアクアリウムを抱く天体。
炭素に窒素、硫黄に塩素、様々な軽金属。
金、銀、銅、白金、パラジウム、ネオジム、イットリウム、イリジウム、それにプルトニウムにウラン。
多種多様な資源を蓄え、中の生態系ごと恒星を渡る船。
熱した水蒸気を放出し、その反動で加速する大きなおおきな星渡る船。
――賢者さまはあの氷の塊に乗ってどこかに行ってしまうの?
少女は訊く。
――あの恒星船を使うかは未だ分からない。
――しかし私はここを去るだろう。
賢者さまは淡々と応える。
その応えは決意に満ちている。
少女は賢者さまに育てられた。
独り立ちできるようになってからは然程共通の時間を過ごしていない。
しかし少女がこの惑星に留まっている理由の一つは賢者さまが居るからだ。
賢者様はこの惑星を気に入っているという。
その賢者さまがこの惑星を去ると言っている。
――私も一緒に行っても良い?
少女は切なる思いを隠し、賢者さまに訊く。
賢者さまはこの惑星で時間を共有している数少ない存在だ。
――私は私を呼ぶ者の元に行く。
――お前はお前を呼ぶ者の元に行くべきだろう。
賢者さまの応えは分かりにくい。
賢者さまは誰に呼ばれていくのだろう?
私は誰に呼ばれるというのだろう?
少女は知っている。
賢者さまは最近、魔法陣を新しく描きなおした。
そこで誰かと交信している。
賢者さまは少女が魔法陣に近寄ることを許さない。
魔法陣に近付けば、賢者さまは容赦しないだろう。
少女といえど無事には済まない。
少女も賢者さまの機嫌を損ねてまで魔法陣に入りたい訳ではない。
――魔法陣に入れば、私も誰かとお話できるのかな?
少女は賢者さまに訊く。
――さあどうだろう?
――しかしこの魔法陣の中、不思議なことがおきる。
――お前にも奇跡がおきるかもしれない。
賢者さまは魔法陣について教える。
召喚の魔法について教える。
賢者さまは恒星船の製造方法、動作原理について教える。
少女は意外に感じる。
(賢者さま、今日は凄く機嫌が良いみたい)
――何か良いことがあったの?
少女は訊く。
しかし賢者さまは応えない。
暫しの時間が流れる。
――もうお行きなさい。
――ここから離れて。
――もうすぐ私の時間がくる。
――私の時間を邪魔してはならない。
賢者さまは優しく、しかし断固として少女に命じる。
少女は大人しく従う。
少女は賢者さまが見えなくなる距離まで離れる。
魔法陣をまねて書いてみる。
その中央に座る。
――誰かー! 誰か居るー?
少女は魔法陣の中、見えない誰かに声をかける。
――聞こえるー?
――誰か返事をしてー!
――誰か居ないのー?
応えるものは誰も居ない。
――誰か私とお話してよ。
少女は青空に浮かぶ銀色の円を見上げながら呟く。
願いは空しく想いは草原の風の中に消える。
少女は背を伸ばす。
どこまでもどこまでも。
銀色の円盤、賢者さまが作った衛星を見に行こうと思ったのだ。
――ブウンッ!
少女は感じる。
何かが失われた音だ。
少女は賢者さまの居る方向を見下ろす。
賢者さまの描いた魔法陣が見える。
しかし賢者さまは見えない。
少女は賢者さまの魔法陣に近寄る。
魔法陣は黒い霧に包まれ、淡く紫色に輝いている。
少女は魔法陣の中に入る。
――バシュー!
少女の体は電撃のようなショックを受ける。
悲しい気持ち、切ない気持ち。
そんな気持ちが少女の中に流れ込んでくる。
(私の知らない感情。
これは何? これは誰の感情なのだろう?)
今まで無かった感情が、少女の心に広がってゆく。
今まで感じたことが無い感情的刺激。
それらが少女の心的世界を変質させる。
(ああ、そうか。
賢者さまは召喚の魔法で呼ばれていってしまったんだ)
少女は賢者さまが居た場所、圧し潰された草の上で空を見上げる。
少女は歌う。
少女は草原の歌を歌う。
賢者さまがよく歌っていた歌だ。
少女は賢者さまが呼ばれていったであろう方角を見る。
二つの太陽の間、その遥か向こう。
賢者さまが呼ばれていった星は二つの太陽の光に遮られて見えない。
(ああ、この惑星にはもう賢者さまは居ないのだ)
少女は喪失感に包まれる。
(もっと傍に居て欲しかった。
一緒に連れていって欲しかった)
少女は悲しい気持ちで歌を歌う。
草原の歌を。
(いつか誰かが私を呼ぶのだろうか?
私を呼ぶのが賢者さまだったらいいのに)
少女の歌は草原の風の中に響き、風の戦ぎと調和する。
少女は歌う。
草原の歌を。
また賢者さまに会えたらいいのに、と願いながら。




