第四章最終話(十六)夢見の山脈を超えて
「この谷筋が光の谷に通じている」
レオは夢見の山脈、細長く険しい稜線の右側の谷を指さして言う。
アルン、ラビナ、パールとシメントは細い谷底を覗き込む。
今まで登り降りしてきた細長い櫛状の谷となんら変わって見えない。
一行は深夜三時にメルロイの邑を出発し、光の谷があるはずの場所を目指して夢見の山脈を登る。
レオは道案内とポーターを買ってでてくれている。
夢見の山脈はそのロマンティックな名前とは裏腹に、細長く険しい山稜が無数に走る、迷路のような岩山だ。
知識のないものでは遭難すること、必至であろう。
レオの一族は夢見の山脈を熟知している。
彼らはルートにアンカー(岩山登攀用の支点)を巧妙に隠し、残している。
ソニアたちはレオの導きにより朝七時には目的地に到着した。
「今までの谷と違いが分からないのだけれども」
ソニアは谷底を見ながら呟く。
シメントが、まったくだね、と相槌をうつ。
見下ろすのは見慣れた細長く切り立った稜線と同様の稜線、その合間の深い谷、そうとしか見えない。
レオは足元に穿たれたアンカーにザイルの端を結びつける。
そしてザイルを谷底に下してゆく。
ザイルは谷底を貫通し、より下へと垂れ下がってゆくように見える。
シメントは、おお! すげえ! と感嘆する。
「谷底の下は霧が立ちこんでいるんだ。
上のほうはまだ明るいけれど、下に降りるにつれて真暗闇になる。
だからランプは必須だね」
レオは背負い袋からランプ付きのヘルメットと手持ちのランプを取り出す。
「照明付きの落下傘が十ほどあるから、潜ってから十五分おきに投げ込んでやろう」
レオは落下傘型の照明を崖の上に並べる。
「崖は千五百メートルの高さがある。
ザイルはそんな長さ、用意できないから使いまわす必要があるんだ。
大体の足場にはアンカーが打設されている。
足場はだいたい二十メートルごとにある。
二十メートル程度なら五十メートルのザイルを、昨日教えた結び方でアンカーに結んで降りれば良い。
この結び方は二本垂れ下がることになるが、シングルで使う。
片方のザイルは懸垂下降用。
もう一方は回収用だ。
降りた後は逆側のザイルから初めて交互に五回引けば結び目が解ける。
ただし足場が四十メートルちかく離れているところがある。
そこでは五十メートルのザイルをシングルで使う必要があるんだ。
ザイルを残置するか、判断しなくちゃならない。
これは提案なんだけれど、テグスは百メートルのボビンが三個ある。
耐荷重はニ十キロ、おちびちゃんたちならぶら下がることができるはず。
テグスを引きながら降りて、起点に降りたら、おちびちゃんたちがザイルを解いて下に下す。
そしてアンカーにテグスをひっかけておちびちゃんたちが降りる。
この方法ならザイルを回収できるかもしれない」
レオの説明に一同、無言で頷く。
「おちびちゃん、シメントっていったっけ? ナイフは持っているかい?」
「うん、持っているよ」
シメントは自分のポーチからナイフを取り出してレオに見せる。
かつて、ソニアから渡されたもの、もともとはアルンのナイフだ。
「おや、良いナイフだね。
うん、ザイルは教えたとおりにやれば解けるはずなんだけれど、場合によっては解けないかもしれない。
その場合はできるだけ長さを保つようにザイルを切れば良いよ」
レオはザイルの切る方法に関してレクチャする。
「で、谷を出るには崖を登る必要があるんだが……」
レオが言いかけたとき、ソニアが言葉を引き継ぐ。
「あ、それなら光の谷入口の山道から出ることができるわ。
入口の障壁は外部からの侵入を阻むため。
出ていくものには干渉しないから」
「え? 今でもそうなのかい?」
レオは驚く。
「今でもって、昔のことは知らないわ。
ジャックの設定の一部を知っているだけ。
ジャックの防御システムは外部からの侵入に対してのみ働くの。
中のものを閉じ込めようという意図はないみたい」
「うーん、確かに以前のゴーレムもそんな感じだった。
しかし、山道は全面が埋められているんだよ?
歩けるのかい?」
「多分出るときは歩いていくと道を空けてくれるはずよ。
山道を埋めてしまっているのは無理して侵入しようという気を起こさせないため。
人死にが出ないようにする工夫だと思う」
ソニアは自信満々で応える。
「なるほど……。
たしかに今の堰になってからの死者はいないね。
ある意味、挑戦者に優しい守護者なわけだ」
レオは感心するように言う。
「じゃ、ここに再び戻ってくる必要は無いんだね?
降りることだけに専念すれば良いな……。
難所は最初の七百メートルくらいまでに四つある
オーバーハングしている岩があって、岩壁沿いに降りようとするとかなりのテクニックが要る。
しかしどこも四十メートル下までには斜面がある。
宙吊りのまま懸垂降下すれば降りられるはず。
その四か所のザイルは残置しておいたほうが良いと思ったが、まあ任せるよ」
レオは説明を終える。
「ソニア、それにパールにシメント……、アルンをよろしくな。
アルン、頑張れよ。
彼女を守っていいところ、見せなくちゃな」
レオは、にやりと、笑ってサムアップする。
アルンは無言で頷く。
ソニア、パールとシメントも、コクコク、と頷く。
ソニアとアルンはハーネスを装着する。
パールはアルンのバックパックの上に乗り、掴まる。
アルンはカラビナとエイト環をザイルに通し、懸垂降下を行う。
ゆっくりと確実に降りてゆき、谷底に着く。
そしてそのまま谷底を通過し、更に降りる。
アルンの姿が消える。
暫く後、アルンは谷底から顔を出す。
「なるほど、下は霧が立ち込めている。
このまま降りて、ポイントを見つけたら合図するから降りてきてくれ」
アルンは上に向かって指示する。
ソニアは、わかったわ、と応える。
アルンは軽く手を振り、谷底に戻ってゆく。
然して待つことなく、下降用のザイルが小刻みに揺れる。
「合図よ、シメント、行くわよ」
ソニアはエイト環に下降用のザイルを潜らせる。
更にカラビナに付け替え、下降器としてセットアップする。
シメントはソニアのバックパックに上に乗り、小さなカラビナで自分のスリング(滑落防止用の短いロープ)に固定する。
「では、レオ、お礼はメルロイの邑で改めて」
ソニアは、レオにテオ振る。
「うん、気を付けてな」
レオは微笑みながら手を振り返す。
ソニアは下降用のザイルを二度ほど小刻みに振る。
そして懸垂下降してゆく。
「ロープワークも危なげないし、懸垂下降も手慣れたもんだね。
バイクの運転は達人クラス。
そのうえ、器量良しで良いところのお嬢さん。
アルンはどこで捕まえてきたんだろうねえ」
レオは嬉しそうに笑う。




