第四章最終話(十三)脱魂(だっこん)の秘術
空から垂れ下がり氷柱状に地面と連なる巨大な鍾乳石。
それに縦に走るこれまた巨大なひび割れ。
穢れの谷の印象である。
シャンタク鳥は穢れの谷がある山の隣、同様に巨大な鍾乳石状の山の裾に舞い降りる。
エリーはシャンタク鳥の上のからガストが降りるのを手伝う。
ガストはシャンタク鳥の上の網から開放され、ヨタヨタと斜面に降り立つ。
シャンタク鳥はアムリタの目の高さに顔を下ろす。
「マーヤ! 有り難う。
やっぱり貴方は頼りになるわ。
ここからなら三キロくらいかしら?
帰りもよろしくね、マーヤ!」
アムリタは愛おしそうにシャンタク鳥の首を撫でる。
シャンタク鳥は嬉しそうに目を細め、ピィーッ、と嘶く。
そして両の羽を広げ、羽ばたき、空中に舞う。
暫く上空を旋回した後、来た方向に消えてゆく。
「さてと、光の魔法は谷のどこにあるのかしら?」
アムリタはガストに向き直り、訊く。
エリーもガストを見る。
ガストは口をパクパクパクと動かす。
「えーと、『場所はどこでも良いのだけれど……』、へ?
『僕が一人で行くよ、帰ってきたら姿が変わっていると思うけれど驚かないでね』……? いや、私たちも行くから」
エリーは声なきガストと会話をする。
傍から見ていると一人芝居のようだ。
「え? 危険だから? 困るって……、危険だから貴方の護衛をしに行くわけで……。
ええ? 無理? 食屍鬼の大群を甘く見てはいけない? って、じゃ君が危ないんじゃないか?
え? 僕は良いのだ? それが目的だから?
アムリタ、この人が言っていることはどうもよく分からない」
エリーは助けを乞うようにアムリタを見て言う。
「ねえワイの小父さま、私たち心配なのよ。
ワイの小父さまが殺されてしまうかもしれないから。
私たちはワイの小父さまを守りたいの。
付いていくから。
これは譲れないわ」
アムリタは柔らかく、しかし断固とした決意でガストに向かって宣言する。
ガストは口を、パクパクパク、と動かす。
「ええっと、『僕は大丈夫なんだけれどなあ』って……。
『でもどうしても一緒に来るって言うのなら体は置いてきてよ』……、ってそんなことができるのか?
ふむふむ……」
エリーはガストと声なき打ち合わせを行いながら、地面に|禍々しい図形を描いてゆく。
「ふんふん、なるほど。
そういう起動機序の魔法か……、斬新だな。
これなら魔法構成無しで使えるのか……。
え? 『ヒントは僕のノートに載っていたはず?』ってお母さんの画集……、そうなのか?
そこまでは読み取れなかった。
今度読み返してみるよ。
『もっと勉強が必要』……? って、はあ、それはすみません。
でもこれは君が居ないと発動は難しいなあ……」
エリーはぶつぶつと言いながら、地面の図形を完成させる。
「アムリタ、この魔法陣は脱魂術、魂魄を体から切り離すためのものだ。
体を残したままワイの小父さまに付き添える。
周囲を知覚することもできるし、ここに戻れば魂魄を体に戻せる。
問題はなさそうだ」
「え? でもそれでワイの小父さまを守ることができるのかしら?」
アムリタは不安そうに問う。
「魂魄だけでも魔法は発動できる。
アムリタの予知は自分の危機が発動条件の一部になっているようだからな。
使えるか分からないけれど、魂魄の剥離はそれ自体が異常状態だから試してみる価値はあるんじゃないか?」
エリーは提案する。
アムリタは、そうねぇ、と考える。
「エリーの防御魔法と治癒、空間転移はできるのよね?」
アムリタは念を押す。
「問題なく使えるはずだ。
ワイの小父さまが媒体になってくれる。
守り切れると思う」
「ふうん? 正直不安を隠しきれないのだけれど……。
エリー、もう一度確認するわよ。
私たちのミッションはワイの小父さまを守る、そして光の魔法を奪還するのを助ける、そうよね?」
「ああ、そのとおりだ。
ちょっと待ってくれ……」
エリーはそう言ってガストに向き直る。
「ということで、私たちは君を守る分けだが……。
『大丈夫だいじょうぶ』って……、何故視線を逸らす?
本当に分かっているのかな?
アムリタ、私もイマイチ不安だが、何とかしよう」
「ふうん? まあ先に進みましょう」
アムリタは決断する。
アムリタとエリーは図形の中に入る。
「この場所は外から見えないように隠す」
エリーは空中に文章を綴る。
空中の文章は銀色に輝き、二人とガストの周りを覆いつくす。
やがて皆の姿は見えなくなる。
「そして私たちの魂魄を体から剥離させる」
エリーはガストの側面に文字を綴る。
ガストの腹両側、背中、胸、尻に異様な文様が書き入れられる。
文様は黒い入れ墨のようにガストの皮膚に沈着してゆく。
続いてエリーは地面の図形を右手で装飾してゆく。
図形は銀色に輝き、浮き上がる。
「アムリタ、この術で私たち二人の魂魄を体から引き剥がす。
剥がした魂魄はワイの小父さまに憑依する。
憑依している間の体は硬直することになる。
術が切れた場合、魂魄は体に戻るが、態勢次第では転倒して危険だ。
できるだけ安全なように背中合わせにして座ろう」
エリーとアムリタは図形の中に背中を合わせて地面に直接座る。
エリーは空中に文章を綴り続ける。
周囲は銀色に輝き、もはや視界はなくなる。
――スポン!
奇妙な音が聞こえる。
周囲の輝きは徐々に薄らぎ、背景が再び浮かび上がる。
『せ、成功したの?』
アムリタは思念の中で訊く。
アムリタは既に体を失っていることを感じている。
アムリタは地面に腰かける二人の少女、アムリタとエリーを見下ろしている。
『成功よ、問題ないわ』
エリーが思念で応える。
アムリタにはエリーの姿を知覚することはできない。
しかし近くにエリーの気配は感じている。
ガストの口が、パクパクパク、と動く。
『「じゃ行くよ」って言っているわ』
『ワイの小父さまに私たちの声は届いているの?』
アムリタは不安になって訊く。
ガストは再び口を動かす。
『「大丈夫、聞こえているから」、だそうよ』
エリーはガストの言葉をアムリタに伝える。
アムリタは、ならいいのだけれど、と応える。
ガストは今や全身に異様な文様が刻まれた状態にある。
文様は赤黒く濡れたように照り輝き、禍々しい。
ガストは地面の図形を壊さないようにぴょんと跳ねて、図形の外に出る。
図形の外からは図形はおろか、地面に座る二人の少女さえも見えない。
ガストは軽く頷くと、黒い山に向かって斜面を降ってゆく。




