第四章最終話(九)魚人たちの言葉
「貴方にはね、言っておかなければ気が済まないわ。
私たちがどれだけ苦労してサルナトに来たと思っているのかしら。
それなのに貴方に邪魔されて、全然話ができなかったのよ」
シャンタク鳥の上、エリーは後ろを見ながらガストに恨み辛みを訴えている。
ガストは口を、パクパクと不規則に開閉する。
「悪かったって……、全然悪いと思っていないでしょう。
緊急事態だからって……、緊急事態だから話をしたかったのよ。
……え? 埋め合わせはするからって……」
エリーはガストに向かい、何かぶつぶつと呟いている。
「あのー、エリー? 独言の繰言は止めたほうが良いかな、なんて……」
暫く黙って聞いていたアムリタが意を決したようにエリーに言う。
「え? 独言? ああ、この人ちゃんと喋っているわよ。
喋る速度が遅いけれど」
エリーはアムリタに向き直り、言い訳するように言う。
「へ? 喋っている?
全然声が聞こえないのだけれど」
「ええっと……、うん、伝説の魚人たちの言葉よ。
声帯が無い種族の言葉なの。
口を開け閉めする位相速度を変えて意味を伝えているの」
そう説明するエリーの後ろで、ガストが首を縦に振りながら口をパクパクと動かす。
「そ、そうなんだ?
なんでエリーさんはそんな言葉を喋れるのでしょうか?」
アムリタは上半身を反らしながら訊く。
「なにゆえ敬語? って、私も架空のネタ言語だと思っていたわ。
この前見せたおかあさんの画集、あったでしょう?
あれの後ろのほうに載っているのよ。
おかあさんと声が出せない場合の連絡方法として練習したことがあったの」
「それってどんな謎シチュエーション?
そもそも的に普通の言葉での読唇術ではダメなのかしら?」
アムリタは首を捻りつつ問う。
「さ、さあ?
あ、でも魚の口は人間みたいに柔らかくないし開閉しかできないから唇を読むのは無理だと思う」
「いやいやいや、エリーもエリーのおかあさんも魚じゃないし」
「それはそうだけれど……、おかあさんは言語学者でもあったのよ。
言語の構造が美しいとか言っていたわ。
正直私にはどこが美しいのか分からなかったけど……」
「こんなところでエリーのおかあさんのマニアな一面が……。
って、それはそうと緊急事態って言ってなかった?」
「あ、そう言えば……」
エリーは今更のようにガストを見る。
ガストは口をパクパクと動かす。
「ええっと……、『今の光の谷は寧ろ内のほうが危険なんだ』って言っているわ」
アムリタは、え? そうなの? と訊き返す。
ガストは、口をパクパクさせ続ける。
「んん? 『今の光の谷は単翼の闇蛇が巣食う闇の谷になってしまっている。
間違ってシャイガ・メールが光の谷に現れると、ラビナたちが危ない』だそうよ」
エリーはガストとアムリタを交互に見ながら通訳をする。
そして、首が疲れるわね、と呟く。
「なるほど……、それは緊急事態ね。
ところでその方はどなた?」
アムリタは右掌を上にして、エリー越しにガストを示す。
エリーはアムリタの指し示す先を追うように首を捻り、ガストを見る。
ガストは、パクパクパク、と口を開閉させる。
「ええっと、ワイへッ? ワイット……?」
エリーは言葉を噛みながら人名らしきものを口にするがアムリタには聞き取れない。
ガストは口をパクパクさせ続ける。
「表音しているわけではないから固有名詞はちょっと辛いわね……。
ええぇ? そうなの?」
エリーはやや驚いた口調になる。
「アムリタ、この人はおかあさんの画集の下地になっている魔導書の著者らしいわよ」
エリーは左手でガストを指さしながら体をアムリタに向ける。
アムリタは、へええ? と引きつった笑みで応える。
「魔導書の著者ということは魔法使いということ?」
「どうもそうらしいわ。
でも今の姿ではかなり制限が掛かってしまっているんだって」
「た、確かに制限が掛かりまくっているようね。
で、エリー、そのワイの小父さま、まだ何か言っているわよ」
アムリタはガストを指さす。
エリーは体を捩り、ガストを凝視する。
「え? ……いや待て、私は光の谷を焼き払うような魔法は持っていないぞ。
……そんなはずは無いって、どうも君の話は理解できない……」
エリーは声なきガストと噛み合わない会話をする。
「ねえ、エリー。
それって……、未来のエリーと過去に会ったことがある、っていう例のパターンなのでは?」
アムリタは恐るおそる発言する。
エリーは、なぬ? と言ってガストを見る。
ガストは、ええ? そうなの? というように顎を引き、大きく首を後ろに反らす。
ガストは、パクパクパクッ、と口を開閉する。
「『貴女の息子さんと私の孫が友人同士だった』って?
ええ? 私、息子がいるの?
どんな子? どんな子?」
エリーは目を見開いてガストににじり寄る。
「赤毛の可愛らしい子?
ええ? 赤毛? 赤毛……、そうかー、赤毛かー。
父親は? なあ、父親は? ジュニアか? ジュニアなのか?」
エリーはガストに至近距離にまでにじり寄る。
ガストはエリーから視線を外すべく右に顔を背け、パクパクパク、と口を動かす。
「え? 私の歳?
だからなんで皆私の年齢を訊くのだ? 十四歳だが……、え?
人違い? ごめん私はなにも知らない?
会ったと思ったけれど間違いだった?
ごめんなさい、私はなにも知らない?
んー? なんで謝っているのだ?」
エリーは続けて問うが、ガストは口を開くのを止める。
「アムリタ、どうもこの人の言うことは要領を得ない」
エリーはアムリタに向き直り、不満そうに言う。
「え? ええ、そうね。
ねえ、ワイの小父さま、私たちこれからどこに行けば良いのかしら?」
アムリタは話題を変えるようにガストに問う。
実際問題として行き先が決まっておらず、シャンタク鳥は大きく旋回を続けている。
ガストはアムリタに顔を向け、口をパクパクとさせる。
「んー? 『そうだね、エリーの火力なら簡単に光の谷を制圧できると思っていたけどダメみたいだね』だって。
ええっと、『じゃ、作戦変更、光の魔法を取り戻しに行く』って、光の魔法ってなんだ?」
エリーはガストの通訳をするが、途中でガストへ質問をする。
ガストはエリーに顔を向け、口をパクパクとさせる。
「んん? 『かつて私が持っていた魔法、今は失ってしまった』……?
『貴女たちの協力が有れば、私は再びそれを取り戻せるだろう』とな?
光の魔法が有れば勝てるのか?
え? 『単翼の闇蛇は光を嫌う、光の谷が再び光に満ちれば単翼の闇蛇は光の谷からいなくなる』って」
エリーはガストの言葉を口にし、アムリタに伝える。
「で、私たちはこれからどこに行けば良いのかしら」
アムリタは同じ質問を再びする。
ガストはアムリタに向かい、パクパクパクッ、と口を開閉する。
「『地下山脈、穢れの谷』って言いている。
『コスザイル山頂の火口から入る』、だそうよ」
「了解、待たせたわね、マーヤ!
目的地はコスザイル山頂の火口経由、地下山脈、穢れの谷!」
アムリタはシャンタク鳥の後頭部に向かい、嬉しそうに言う。
――ヒイィィー
シャンタク鳥は嫌そうに首を左右に振る。
「マーヤ、私の可愛いマーヤ、ダメよ、私たちは一緒に行かなくちゃならないの。
あの女、君のご主人様は私に君を、好きに使え、と言ったのよ。
だから君は私の命令を聞かなければならないの。
他に選択肢はないの。
だから観念して言うことを訊きなさい」
アムリタ優しく、しかし断固とした口調でシャンタク鳥に言う。
シャンタク鳥は、ヒイィィー、と哀れな鳴き声を発し、南に進路をとる。
「いい子ね、マーヤ」
アムリタは満面の笑みを顔に浮かべる。
そして再びアムリタはエリーに振り返る。
エリーの顔に隠れてガストからはアムリタは見えない。
――ワイの小父さまを全力で守るわよ
アムリタは声を出さずにエリーに言う。
――承知
エリーも同様に声なき声で返す。




