第四章最終話(五)白昼夢
「サンドイッチを持ってきたのにゃ」
サビはミケにバスケットと水筒を差し出す。
ここはシャイガ・メールの上。
ミケはリュートを奏で続けるテオの傍らに座っている。
「ありがとうにゃ、助かるのにゃ」
ミケは受け取りながら微笑む。
テオのリュートは何かを探るように緊張感のあるフレーズを少しずつ変えながら繰り返し奏でる。
「テオはシャイガ・メールが本当に好きなのにゃ」
サビはミケに言う。
ミケは困ったような顔をしてテオを見る。
テオはフレーズを締めくくるコード進行でリュートを奏でる。
「テオはシャイガ・メールに会うのが目的だったのかにゃ?」
ミケはテオに訊く。
「ははは、うんそうだね。
この非現実的な造形、大きさ、まさに夢の中の出来事。
夢中にならざるを得ないよ」
テオはリュートを弾くのを止めてサビに向かって笑いかける。
サビは、ふうん? と呟く。
「確かに、シャイガ・メールは神話に出てきそうなのにゃ。
テオに沢山のインスピレーションを与えてもおかしくないのにゃ。
でもにゃ、テオはシャイガ・メールを見ていないのにゃ。
空ばっかりを見ているのにゃ」
サビは、にゃー、と笑いながらテオに言う。
「おっと……、そうだね。
俺はシャイガ・メールを通して、空に言葉を伝えたいと思っているのかもしれない。
だから空に向かってリュートを奏でているんだ」
テオは微笑みながら言う。
「テオはシャイガ・メールについて詳しいのかにゃ?」
サビは訊く。
「詳しくはないよ。
ただ、シャイガ・メールの上でなら遠くの誰かと話ができるかもしれないと思ってね」
テオはサビの問いに寂しそうな笑みを浮かべる。
「シャイガ・メールはテオの大切な人に想いを取り次いでくれるのかにゃ?」
サビは空を見上げながら訊く。
「……できればいいな、ってこと。
俺のお師匠様がね、光の谷でならそれができるかもしれないってアドバイスをくれたのさ。
ほら、シャイガ・メールって光の谷の御神体だろう?
だからね」
テオは笑う。
「確かにシャイガ・メールの上では何が起きても可怪しくないと思うのにゃ。
でも、お昼ご飯はちゃんと食べたほうがいいのにゃ」
ミケはサンドイッチのバスケットを開き、テオに差し出す。
中には卵、ツナ、サーモン、様々な具材のサンドイッチが綺麗に並んでいる。
テオは、有難う、と言って、ミケの差し出すサンドイッチを受け取る。
ミケとテオはサンドイッチを頬張る。
「ひいぃ」
後ろから声がする。
一同は声のするほう振り向いてラビナを見つける。
シャイガ・メールにはテオが昇り降りできるように縄梯子が掛けられている。
ラビナがその縄梯子を使って昇ってきたのだ。
「あ、ラビナ。
珍しいのにゃ、シャイガ・メールに昇ってくるなんて初めてじゃないのかにゃ」
サビは、にゃー、と笑いながら言う。
「まあねぇ、追っかけまわされたトラウマが有って……。
躊躇していたんだけれど、でもそろそろ克服しなくちゃね?」
ラビナは背負っていたナップザックを下ろしながら言う。
そしてナップザックの中からブランデーボトルを取り出して皆に向かって振ってみせる。
「あはは、いいねぇ」
テオは爽やかに笑う。
「真昼間から飲んだくれられるとは良い身分なのにゃ」
サビも笑う。
「シャイガ・メールに昇った人たち、皆がみんな口々に気持ち良かった、最高だった、って言うじゃない?
昇ってみないと人生損するかなって思ったのよ」
ラビナはバツの悪そうな顔で笑う。
そしてブランデーボトル、キウイの根の煮出し汁、氷、水が入った瓶とグラスをカップホルダーの上に並べる。
そして水割りとキウイの根の煮出し汁を作り、皆に配る。
「あははは、確かにいい身分だね。
幻想的な景色に旨い酒。
気の合う仲間たち。
最高だよ!」
テオは琥珀色の液体が入ったグラス越しに空を見ながら感嘆したように言う。
ミケは、にゃー、と目を細める。
「ツマミも持ってきたわ。
ブルーチーズに河豚の一夜干しの唐揚げ」
「うわ、贅沢な肴なのにゃ」
ラビナがお店を広げるのを見て、サビは唸る。
ラビナもサビも昼食を摂ったところである。
「なんでラビナがその細いウエストを維持できているのか不思議なのにゃ」
サビは心底不思議だというように呟く。
「うふふ、私は贅沢なんてしてきていないわ。
凄い粗食に耐えてここまできているの。
ミケが証人。
でも、確かにここでは贅沢のかぎりを尽くしているかしら。
お金持ちのパパに感謝ね!」
ラビナは燥ぎながら言う。
「ラビナ、もう酔っぱらっているのにゃ」
サビはキウイの根の煮出し汁を長い舌で舐めながら言う。
とはいえ然して非難めいた表情でもない。
「サビー!」
下からジュニアの声が聞こえる。
「あ、ジュニアが呼んでいるのにゃ」
サビはグラスを置き、立ち上がる。
「ジュニアも呼んできてよ。
ここで飲みましょうって」
ラビナは陽気に言う。
「ジュニアは毎日が忙しすぎると思うのにゃ。
ラビナのヒマさと足して二で割ると丁度良いと思うのにゃ」
サビは言う。
一同、笑う。
サビは、それじゃ、と言いながらシャイガ・メールの上から下に向かって飛び降りる。
ラビナはゴロンとシャイガ・メールの上に寝転がる。
「確かに気持ちが良いわね」
ラビナは仰向けに空を見上げながら呟く。
皆を乗せるシャイガ・メールの暖かい皮がゆっくりと上下する。
心地良い温もり、風の戦ぎ。
「シャイガ・メールの上で横になっているとすぐに眠ることができそうね」
ラビナはそう呟き、目を閉じる。
ラビナの胸のふくらみは単調に上下し、ラビナは何の反応もしなくなる。
――バチバチバチッ
小さなしかし確かな異音がする。
その音にミケが反応する。
ミケはすばやく立ち上がり、周囲を窺う。
そしてテオの顔を見る。
テオは笑っている。
テオは期待に満ちた顔で笑っている。
テオの手は、リュートをかき鳴らす。
ミケはラビナの傍らに腰かけ、テオに向かって微笑む。
テンションの高い分散和音がシャイガ・メールの上から奏でられる。
シャイガ・メールの周囲に雷光が瞬いている。
「うわ、やっぱりなんか異変が始まった」
シャイガ・メールを見上げながらジュニアは呟く。
ジュニアの肩には地下鼠のマロンが乗っている。
そしてジュニアの傍らにはサビとチャトラが居る。
「何が起きているのですか?」
瞬く紫色の雷光を見上げながらマロンはジュニアに尋ねる。
「ラビナがシャイガ・メールの上に昇ると何かが起きるかもしれないと思っていたんだ。
その何かが起きているんだと思うよ」
シャイガ・メールの上で寝ていた地球猫たちは跳び起き、次々にどこかに消える。
しかしミケたちに行動は無いようだ。
シャイガ・メールの上からはテオのリュートの音が聞こえてくる。
「何が起きるのかにゃ?」
今度はサビがジュニアに尋ねる。
「分からない。
でもミケが何の行動も起こさないところを見ると、テオの期待通りの現象なんだろうね」
ジュニアは大きな黄色い背負い袋を胸に抱えながらサビに応える。
チャトラが、え? え? と心配そうにシャイガ・メールの上と、ジュニアの顔を交互に見る。
ジュニアの後ろに居るガストは暗い相貌でシャイガ・メールを見上げる。
「チャトラ、悪いけれど、この背負い袋、頼めるかな?」
ジュニアは黄色い背負い袋をチャトラに差し出す。
チャトラは、え? と言いながらも黄色い背負い袋を受け取る。
――バチバチッ、バチッ
シャイガ・メールの周囲に雷光が激しくなり、シャイガ・メールの輪郭が薄れてゆく。
チャトラは、わ! わ! と言いながらジュニアの顔を見る。
ジュニアはチャトラの背中を押す。
「お願い、チャトラ。
ミケたちを守ってあげて」
ジュニアの言葉が終わらないうちに、チャトラはシャイガ・メールの上に向かって跳ぶ。
――バチッ……、バチバチッ
紫色の雷光は薄れ、シャイガ・メールは消える。
サルナトの街の目抜き通り、巨大なシャイガ・メールの姿は消え失せ、今までシャイガ・メールにより遮られていた視界が晴れる。
通りは明るくなり、人々は白昼夢を見ていたかのような呆けた顔をしている。




