第四章第三話(十五)銀色に輝く巨球
鯨の群れは荒れた海面に見え隠れしながら巨体を前に進めてゆく。
トマスたちの飛空機は高度百メートルを保ちつつ、鯨たちの速度に合わせてついてゆく。
飛空機の操縦は副操縦士席に座るシンが行っている。
トマスは機嫌良さそうに双眼鏡を覗く。
ノーマは操縦士席の後ろでレーダーとソナーの画面を監視している。
レーダーにはいくつかの積乱雲が映っているが、その他は特に何かが映っているわけではない。
ソナーには捕捉している鯨の群れが円を描くように映し出されている。
鯨たちの群れは時計回りに回りながら半径を縮めている。
「女将さんはなんて言っていたんですか? 出かけるとき」
ノーマは今更ながらトマスに問う。
パイパイ・アスラのインターフェースは最後までトマスと一緒にいたはずである。
だから女将さんはトマスが観戦に行くのを知っているはず、そうノーマは予想している。
「別にここに来るとは言っていないんだけれどね。
ちょっと旅行に行ってくるからお留守番よろしくと言ったら、行ってらっしゃいって。
パイのインターフェースはいつ倒れても良いようにベッドの中で養生しているよ。
パイのインターフェースの看護は君の妹さんに頼んでおいた」
トマスは朗らかに応える。
「女将さんは旦那さんがここに来ていることを知らないんですか?」
ノーマはそんなわけはないだろう、と思って訊く。
「ははは、女神さまだよ?
すべてお見通しだと思うな」
「止められなかったのですか?」
「うん、止められていないよ。
じゃなかったら、僕はここには来られていない。
本気でパイが僕を止めようと思ったら僕は抗えない」
トマスは双眼鏡を覗いたまま笑う。
そして、でもパイは僕がやりたいことを止めたりはしないと思うけどね、と付け加える。
「信頼しあっているんですね。
なんか素敵です」
ノーマは羨ましそうに言う。
トマスは、それほどでも、と謙遜するが嬉しそうだ。
「あれ?」
ノーマの見ているソナーのモニタに乱れが生じる。
「ソナーの画像がグチャグチャになってしまいました」
ノーマは申し訳なさそうに言う。
「どれどれ、ちょっと貸して」
トマスは操縦士席の背もたれ越しに手を伸ばし、ソナーの集音機に繋がるヘッドホンを手繰り寄せる。
「始まったのかな?
鯨たちの合唱が聞こえる……。
いやちょっと変だ。
シン、高度を五百まで上げて」
トマスはヘッドホンの音を聞きながら言う。
シンは、了解、とだけ言い、飛空機の高度を上げる。
飛空機は高度を五百メートルに保ちながら、操縦士席側、トマスとノーマが座る側が海面を向くように傾けられる。
ノーマは海面を双眼鏡で覗く。
「なんか鯨が変ですよ。
背中に切れ目が見えます」
ノーマは訝し気に言う。
「うん、それって大きな口なんじゃない?」
トマスはヘッドホンに片耳をあてながら訊く。
ノーマは双眼鏡で鯨たちを凝視する。
「きゃあ!
な、なんですか? あれは?」
ノーマは高倍率の双眼鏡に映る鯨の背を見て慄く。
「鯨の背に大きな口のような切れ目が見えます!
大きな口……、大きな牙や歯が生えているように見えます」
「成程なるほど。
その口からの声なんだね、この音は」
トマスはヘッドホンをノーマに差し出す。
そこからは声、悍ましい音が聞こえる。
――ないある・らいあす・おる・まいのす
――ないある・ないある・いる・まいないす
――わいで・わいで・おる・じゅぴのす
声は、悍ましき音は、確かに鯨の背の口の動きに合わせて発声されているようにも聞こえる。
「な、何なのですか?
何が起こっているんですか?」
ノーマは怯えながらも気丈に訊く。
「パイによる魔法の補助詠唱だと思う。
それを鯨の背中の口で更に補助させている。
凄いな、これがアイスナー先生の力なのか!」
トマスは叫ぶ。
鯨の群れの上空に銀色の光る光点が現れる。
一つだけではない。
無数にある鯨たちの群れの上空に銀色に光る光点が見える。
――さいある・きるらす・くたる・まいないのす
――さいある・さるのす・くたる・まいないのす
悍ましい声はヘッドホンからだけでなく、飛空機の外からも聞こえだす。
「シン、飛空機は鯨たちの円の外側に維持して。
内側は危険だ」
トマスはシンに言う。
シンは、分かっている、と応える。
明らかに鯨たちの描く円の内側に異変が発生しようとしている。
上空に浮かぶ無数の銀色の光点に互いが互いを結ぶ銀糸が伸びる。
上空には無数の多角形、多芒星が重なり合う図形が浮かび上がり、眩しく輝く。
鯨たちの群れが描く円の内側数百メートルの海面が大きくへこみだす。
鯨たちは円を絞りながら泳ぎ続ける。
海面にできた大きなへこみは大きな円となり、深さを増しながら半径を縮めてゆく。
「凄い、これは大規模な追い込み漁なのか!
そういう作戦なんだね!」
トマスは嬉しそうに叫ぶ。
天空の図形は幾つもの小図形を生み出し、全体として巨大な球を描く。
海面は輝く球に応じて抉れ、深い亀裂を生じさせている。
亀裂の下には深い海底が見て取れる。
光り輝く巨大な球は、鯨に押されるように半径を縮めてゆく。
――ギィヤーオォ!
不気味な音が聞こえる。
光の巨球の中から聞こえる。
「中に何か居るぞ!」
シンは叫ぶ。
銀色に輝く巨大な球の中の奥、その中央に大きな何かが浮き出てくる。
「でかい!
あれが古きものか?」
シンは叫ぶ。
「多分そう。
古きものの眷属にすぎないんだけれどね」
トマスは肯定しつつ、些細な部分を訂正する。
銀色に輝く球の表面に阻まれてあまり良くは見ることができない。
しかしそのシルエットは巨大な触手を無数に持つ蛸のような塊に見える。
触手は怒り狂ったように激しくのたうち回り、海面を叩いている。
「凄いすごい!
パイとアイスナー先生はあれと戦うんだ!
シン、高度をもっと上げよう!
距離ももっととって!
戦いの邪魔になったら申し訳ない!」
トマスは燥ぎながら言う。
シンは飛空機の高度を千メートルまであげ、鯨の群れが描く円の外側を反時計回りに旋回させる。
ノーマは副操縦士席の後ろの座席に移り、双眼鏡を窓の外に向ける。




