第四章第三話(十二)女神さまの帰還
――崩壊歴二百二十二年の八月三日午前十一時四十五分
『沿岸住人への星辰の警告?
不要の予定だけれど』
パイパイ・アスラの巨大な部分は、ふんふふんふふーん、とハミングする。
ノーマはトマスとパイパイ・アスラの居室を訪れている。
パイパイ・アスラの巨大な部分とノーマだけがここに居る。
ピクリとも動かなかったパイパイ・アスラの部分であったが、一週間ほど前に活動を再開した。
パイパイ・アスラのインターフェースも起き上がり、体に付いていた各種のチューブを自分で外してしまった。
旅立ったパイパイ・アスラとエリーが帰着したわけではない。
しかし目的は既に達していて、帰路についての懸念も無くなったという。
ノーマはパイパイ・アスラがどこに行ってきたのかを訊いたが、パイパイ・アスラ曰くエリーに口止めされていて答えられないという。
『エリーは自分が化け物であることを認めたくないのよ』
それが理由とのことだ。
そういうパイパイ・アスラは妙に嬉しそうだ。
トマスの体調も比較的良好であるようで、最近は積極的に外出している。
今日もパイパイ・アスラのインターフェースと共に朝から飛空機で出かけている。
『前回は後手を引いてえらい目にあってしまったけれど、今回は準備万端よ。
攻撃は最大の防御なり、っていうのかしら?
今度は強力なエリー砲を準備したから、火力で圧倒できるわ。
被害が及ばないようにする方法も考えたし。
任せて頂戴。
地球の未来は明るいわ。
すべてエリーのおかげよ。
今度こそあの大蛸を丸焼にしてピザのトッピングにしてやるわ』
パイパイ・アスラは、くけけけ、と邪悪そうに笑う。
「あの、その、女将さん、怖いです……」
ノーマは怯える。
『え、あら、ごめんなさい、私としことが、おほほほ』
エリーはハイテンションで笑いながら、触手をにゅーと伸ばし、玄関のドアを開ける。
そこには背の高い女が立っている。
ノーマは息を飲む。
ノーマには最初、玄関に立つ女がエリーだとは気付かなかった。
エリーの肩まであった艶やかに光る黒灰色の髪の毛は焦げたようにボロボロになり、顔は黒く煤けている。
なによりも驚くことに、服らしきものを着ていない。
その代わりに頭部を除く全身に焦げ茶色をした瘡蓋のようなものが張り付いていて、スレンダーながらグラマラスなプロポーションを形作っている。
エリーはふらつきながらドアの枠に左手をついて堪える。
「エ、エリー!
どうしたのですか!」
ノーマは慌ててエリーに駆け寄る。
エリーはノーマに応えず、右手で空中に文章を綴る。
文章は銀色の輝き、暫く空中に漂うが、すぐに消える。
エリーは続けて空中に図形を描く。
図形は複雑な変化をしながら最終的に強烈に眩く光る二つの銀色の円となる。
「パイ、君の取り分だ。
渡しておく」
二つの銀色の円は輝きながら空中を漂い、パイパイ・アスラの巨大な部分へと向かう。
パイパイ・アスラの部分は触手を伸ばし、慎重に二つの銀色の円を受け取る。
『ありがとう、エリー。
確かに受け取ったわ』
パイパイ・アスラは嬉しそうに言う。
「私は寝る。
起こさないでくれ」
エリーはそう言うと、空中に図形を描き、その中に消える。
パイパイ・アスラの巨大な部分は伸ばした触手をヒラヒラと振る。
ノーマはあっけにとられ、パイパイ・アスラの巨大な部分を見る。
『女神さまの帰還よ、うふふふ。
後はエリーの体調が戻るのを待つだけ。
決戦の準備は整ったわ。
星辰まで待つ必要はない』
パイパイ・アスラの巨大な部分は二つの銀円を愛おしそうに包みながら言う。
二つの銀円は触手の中で眩く輝く。
「それはなんですか?」
ノーマは輝く二つの銀円について訊いてみる。
『これ? トマスへのプレゼントなの。
トマスの夢にまた一歩近づくことができたわ。
私たちはトマスの夢を叶えることができる。
ああ、エリー、貴女は私の盟友。
いくら感謝してもしきれないほどの女神さま』
エリーがなぜトマスへのプレゼントを? ノーマには意味が分からない。
女将さんとエリーは南半球の海底に封印されている化け物を退治するためにありえないほどの地獄のどこかに行ってきたのではなかったのか?
ノーマはトマスの言葉を思い出す。
――そう、うしかい座のイプシロン星、イザールの青いほう、その惑星。
――一連の騒動が終わったら僕らはそこに旅立つと思う。
ノーマはパイパイ・アスラが宿願の成就のために準備をしていて、それが終わりつつあるのだろうと理解する。
パイパイ・アスラの巨大な部分から大きな膨らみができる。
大きな膨らみは他の部分から別れ、比較的大きな部分として独立する。
比較的大きな部分は、強烈に輝く二つの銀円を触手で持ち、ドアを開けて外に出てゆく。
『早速トマスに届けてあげなくちゃ。
トマス、喜んでくれるかな?』
部屋に残った、それでも十分に巨大なパイパイ・アスラの部分は嬉しそうに、ふんふんふふん、と口ずさむ。
「女将さん、良く分かりませんがとりあえず食事にしませんか?
カレンが塩鮭の切り身を焼いています。
父が女将さんへって二メートル級の塩鮭を持たせてくれたんです。
きっと美味しいですよ」
ノーマは、この部屋に来た本来の目的を告げる。
『あら、それは楽しみ。
皆で食べましょう』
パイパイ・アスラの巨大な部分から、にゅー、と細長い部分が伸び、排気孔へと向かう。
ノーマはそのまま廊下を歩き、階段を降る。
ノーマの後ろにどこまでも伸びる女将さんの部分が続く。




