第四章第三話(十一)太陽の伴星(ばんせい)
――崩壊歴二百二十二年の七月二十五日午後三時
「お薬の時間です」
ノーマはトマス夫婦の部屋をノックする。
返事はない。
ノーマはドアを開ける。
鍵はかかっていない。
ノーマは部屋の中に入ってゆく。
トマスの乾物屋の三階はトマス夫婦の居室なのだが、中に入ったものは一様に驚く。
隣り合う部屋が一続きになっていて、天井は四階の部屋まで吹き抜けになっている。
そしてそこに山のような、巨大な土塊が鎮座している。
土塊の麓に椅子に座るトマスが居る。
トマスの傍らにはベッドがあり、美しい少女が寝ている。
パイパイ・アスラのインターフェースだ。
少女の傍らには点滴スタンドがあり、点滴袋からのチューブが少女の左腕に繋がっている。
同様に導尿カテーテルのチューブが布団から出ていて、先がベッドの横に置かれた透明の袋に繋がれている。
見るからに痛々しい。
これらの処置はエリーが旅立つ前に行った。
「ああ、ノーマ、有難う」
トマスはノーマに気付き、笑いかける。
トマスは大きな椅子に腰かけている.
更にその横にはくすんだ銀色のヘルパーロボットが足を投げ出すようにして座っている。
ヘルパーロボットはノーマを見ると、目を細め、眉尻を落とす。
「女将さんは未だ出かけたきりなんですか?」
ノーマは、ヘルパーロボットの燃料棒を交換しながら訊く。
女将さんとエリーは三週間ほど前に旅立ったらしい。
少なくともエリーはここ三週間、見かけていない。
女将さんは最初はごく普通にダッカの街で見かけた。
パイパイ・アスラのインターフェースはベッドに伏せていたようだが、旺盛に食事をしていた。
しかしここ二週間ほどは女将さんもパイパイ・アスラのインターフェースもピクリとも動かなくなってしまった。
「ああ、うん。
まったくどこに行ったんだか。
ここのところまったく連絡がとれないんだよ。
まぁ、便りが無いのは元気な証拠なんだろうけれどね」
トマスは爽やかに笑う。
ノーマは水を用意し、薬をトマスに勧める。
トマスは薬を服む。
「旦那さんも女将さんとエリーがどこに行ったか知らないんですか?」
ノーマは腕時計で点滴の輸液投与速度を確認しながら訊く。
「うん? ははは、そうだね、教えてもらっていないよ。
予想はあるけれどね。
僕に言ったら止められると思って言わなかったんだろうね。
パイとアイスナー先生、二人の女神さまは一体どこでどんな冒険をしているんだろうね」
トマスは空中を夢見るような目つきで見る。
「ぼ、冒険ですか?
予想ではどこに行っているんですか?」
ノーマは重ねて訊く。
「そうだね、ありえないほどの地獄のどこか。
パイをもってしても意識を分割させることができないほどの地獄。
僕の予想はあくまでも予想でしかないけどね。
帰ってきたら訊くといいよ。
多分ノーマ、君は信じることができないと思うよ」
トマスはあくまでも涼し気に応える。
「だ、大丈夫なんですか?」
ノーマは心配になって訊く。
「普通は大丈夫ではないんだろうね。
でも、パイとアイスナー先生の二人が組めば大丈夫になるんだと思うよ。
ノーマ、君はパイからなにか聞いている?」
トマスはノーマに笑いかける。
「女将さんは、南半球の海底に封印されている化け物をなんとかするため、って言ってました。
再度星辰が来るとか。
星辰ってなんなのですか?」
ノーマは早口で訊く。
「うーん、僕らの太陽は連星だって知ってた?」
トマスはノーマの問いには応えず、嬉しそうにノーマに訊く。
ノーマは、そ、そうなんですか? と訊き返す。
「もう一つの太陽とお互いに周りあっているんだ。
伴星の名前は仮にネメシスとして、ネメシスの重量は太陽の約四分の一。
太陽から一・二五光年離れたところに在って太陽との重心を中心に周りあっている。
ネメシスは恒星ではあるんだけれど太陽とは違って著しく暗い星だから、僕らには見ることができない」
トマスは目をキラキラさせてノーマの反応を窺う。
ノーマは無言で頷く。
「太陽とネメシス、地球と月とが一直線上に並ぶことを星辰と呼んでいるらしいんだ。
平均して数百年に一度の天文ショーなんだけれど、なんと今年は二回もあるらしいんだよね。
僕は計算していないから分からないけれど、パイが言うには先月にあって、来月にもう一度あるらしい。
しかも来月のは木星と土星までも一直線に並ぶんだって」
トマスはもはやノーマを見ていない。
「パイが言う南半球に封印されている古きものだけれど、星辰のときに動きが活発になって、封印を解こうとするらしいんだ。
パイはその古きものを毛嫌いしているんだよ。
正確には古きものそのものではなく、眷属のほうらしいんだけれどね。
なんでも主の封印を逆手にとってパイにちょっかいをかけてくるところが許せないんだって。
聞くだにずいぶんと賢いんだよね。
だからアイスナー先生の力を借りて、やっつけたいんだと思う」
トマスは呟きながら、愛おしそうに横の土塊のようなものを摩る。
「せ、星辰って次は何時なんですか?」
「来月十三日の金曜日、アンラッキーデーだよ」
「だ、大丈夫なんですか?」
「パイとアイスナー先生が組んでいるんだから、心配ないよ」
トマスは柔らかい表情をノーマに向ける。
「アイスナー先生って何者なんですか?」
「女神さま? だと思うよ。
僕はあの人に対して女神さま以外の形容詞を知らない。
僕の調査ではアイスナー先生は一年前に突然現れた。
それ以前の彼女の痕跡は辿れない。
不思議だよね、あれほどの人が突然この時代に現れるんだよ。
あの人が居なければ僕は半年前に死んでいる。
僕はあの人によって生かされている。
「そしてまた突然消えようとしていたのをパイが引き留めてくれた。
どうやったのかは知らないけれど……。
パイも僕の女神さまだ。
パイは僕の生きる希望。
僕は二人の女神さまに出逢い、生かされている。
僕は幸せだ」
トマスは夢見るような口調で言う。
「女将さんを愛してらっしゃるんですね」
ノーマは分かりきっていることを改めて口にする。
そしてトマスの後ろにある巨大な土塊を見上げる。
分かりきってはいるが違和感は拭い去れない。
トマスは、うん、と爽やかな笑顔で応える。
「バースモルドの街の皆に、次の星辰のこと、警告したほうが良いのでしょうか?」
ノーマは心配になって訊く。
「うーん、パイとアイスナー先生がどうするつもりなのか分からないからねえ。
まだ先のことだからもう少し待てば?
そのうち二人とも帰ってくると思うし。
ひょっとしたら星辰を待たずに殴り込みに行くかもしれないよ、あの二人」
トマスは、そう言って笑う。
「僕はね、パイの故郷に行きたいんだ。
彼女を生まれ故郷に連れていってあげたいんだ」
トマスは脈絡なくそう呟く。
「女将さんの故郷ってうしかい座のなんとかって星ですか?」
「そう、うしかい座のイプシロン星、イザールの青いほう、その惑星。
惑星アスラっていうんだって。
一連の騒動が終わったら僕らはそこに旅立つと思う。
ここは君の店だ。
よろしくお願いするよ。
僕らが去った後は君とシンで好きにして良いよ。
君たちならこのお店を元に大きな事業ができると思う」
トマスの瞳から急速に光が消えてゆく。
「すまない、眠くなってきた……。
ひと眠りするよ。
パイのインターフェースをお願いするね。
君に来てもらって本当に良かった……」
トマスはそう言うと、スースー、と寝息をたてる。
ノーマはトマスの椅子を操作してリクライニングさせ、簡易ベッドに変形させる。
ノーマはトマスの脈拍を確認し、毛布をかける。
そしてヘルパーロボットに軽く手を振る。
ヘルパーロボットは座ったまま、ノーマに手を振り返す。




