第四章第三話(十)末妹のおもちゃ
――崩壊歴二百二十二年の六月三十日午前七時十分
『ノーマ、貴女のごきょうだいって、みんな元気ね』
パイパイ・アスラの部分はノーマに言う。
場所はトマスの乾物屋、二階の廊下だ。
「なにかご迷惑をおかけしていますか?」
ノーマは恐るおそるパイパイ・アスラの部分に訊く。
その実、ノーマは自分のきょうだいたちが女将さんに迷惑をかけているのだろうな、と気付いてはいる。
きょうだいたちは三階に行っては、すげー、でけー、と言って帰ってくるからだ。
三階と四階はトマスとパイパイ・アスラの居室となっている。
きょうだいたちが言うには、女将さんは凄く大きいらしい。
ノーマは女将さん夫婦の居住区に入ったことがない。
だからノーマはそんな凄く大きな女将さんを見たことがない。
凄く大きな女将さん。
想像するだに恐ろしい。
しかし凄く興味はある。
見てみたい気もする。
しかし畏れ多くてノーマが見に行くわけにはいかない。
一番下の妹、アリスなどは女将さんの所に入り浸って、食事の時と寝るときにしか戻ってこない。
なんでも女将さんに遊んでもらっているそうだ。
『そうねぇ、意識をこちらに振り向けられるときは別に構わないのよ。
でもねぇ、この前にみたいに緊急事態になって意識を切り離しているときに体に登られると危ないの。
守ってあげられないのよ。
落ちて怪我されたら困るのよね』
パイパイ・アスラは優しい口調で言う。
「も、申し訳ありません。
すぐに連れ戻しますので」
ノーマは平謝りに謝る。
そして一番上の妹、カレンを呼ぶべく一階の店に降りてゆく。
「確かにパイには申し訳ないと思うけれど、引き剥がすとアリス、大泣きするよ」
カレンはノーマに手を引かれながら階段を昇る。
「カレン、ちゃんと女将さんて呼びなさい。
凄くお世話になっているんだから」
ノーマは振り向きつつ妹を窘める。
カレンは、はーい、と返事をする。
ノーマとカレンは三階に昇り、一番手前の部屋、ドアの前に立つ。
ドアがスーと開く。
「いやー! パイでもっと遊ぶの!」
太い触手に抱き抱えられたアリスがドアから差し出される。
アリスは泣き叫ぶ。
「アリス、間違っているから教えてあげるけれど、女将さんはアリスのおもちゃじゃないの。
ねえちゃんたちがお世話になっている人なの。
女将さんは忙しいから、もうアリスとは遊んであげられないの。
おねえちゃんが遊んであげるから一緒に来なさい」
カレンはアリスを説き伏せるように言う。
アリスは、いやー、もっとパイで遊ぶのー! と言いながら号泣する。
カレンはアリスを抱きかかえようとするがアリスが地団駄を踏んで暴れるので持て余す。
ドアが再びスーと空き、二メートルくらいのパイパイ・アスラの部分が現れる。
『今日は皆で二階で遊ぼうねぇ』
パイパイ・アスラの部分はアリスを抱き上げる。
アリスは暴れるものの、パイパイ・アスラの部分はしっかりと抱きかかえているのでアリスは動けない。
アリスは諦めるようにパイパイ・アスラの首にあたる部分に抱き着き、うわーん、と泣く。
パイパイ・アスラは、いい子いい子、泣かないの、とアリスの背中を摩りながら階段を降りていく。
カレンもパイパイ・アスラの部分について階段を降りてゆく。
ノーマは、ふう、と溜息をつき、あまり来たことが無い三階の内廊下を見る。
――ガチャリ
奥のドアが開く。
ノーマは緊張する。
ドアからパイパイ・アスラのインターフェースが出てくる。
パイパイ・アスラのインターフェースはドアを開けたまま保つ。
後続して黒灰色の不思議な髪をした背の高い女性、エリーが出てくる。
「あ、アイスナー先生。
どうもお騒がせしてすみません。
いもうとたちは二階に移動しましたので」
ノーマは申し訳なさそうに言う。
「私はもう、医師ではありません。
エリーでいいわ」
エリーは薄く笑いながら応える。
『えー? トマスの専属主治医だからアイスナー先生であっているんじゃないの?』
パイパイ・アスラのインターフェースは不服そうに言う。
「だから主治医になった覚えはありません」
エリーは迷惑そうに言う。
そんなこと、言わないでよ、とパイパイ・アスラのインターフェースは笑う。
『それはそうと、ノーマ、話があるの。
二階のエリーの部屋でお話しましょう』
パイパイ・アスラのインターフェースはノーマを誘う。
エリーも異議は無いのか、階段を降りてゆく。
パイパイ・アスラのインターフェースはノーマの手を引き、階段を降りる。
バースモルドに津波があった日、幾度かの津波が押し寄せた。
被害があったのはバースモルドだけでなく、広範囲に渡ったという。
エリーはパイパイ・アスラとともに沿岸の街を周り、医療行為を行っていた。
どの街も、津波の被害は大きいものの人的な被害は然程ではなかった。
十日後、シンたちがダッカの街に戻るのに合わせ、エリーはダッカに来た。
それが一週間前のことである。
エリーがダッカに来た理由は、トマスを診察するためであるらしい。
津波の日、動かなくなってしまったパイパイ・アスラのインターフェースをトマスはカルザスの病院に連れていった。
バギーはシンの妹が運転した。
診察を受けたがどこにも異常は見受けられず、しかし意識が戻らないため入院することになった。
トマスは付き添いで介護をしていたが、途中で倒れてしまったらしい。
トマスには持病があり、薬を服まなければならないのだが、忘れていたのだ。
そして目覚めたパイパイ・アスラのインターフェースが逆にトマスの介護を行うこととなった。
倒れたのがブラウン医師の診療所であったので大事には至っていない。
しかし、今もトマスの調子はあまり良くない。
つい今しがたもエリーの診察をうけている。
エリーの部屋は二階の一番手前である。
特に開錠することもなくドアは開かれる。
「何もないですが、とりあえず椅子に掛けてください」
エリーの部屋はキッチンに食器や調理器具が並び、生活感はある。
ダイニング用のテーブルに椅子が二脚ある。
しかしその他は大きな旅行鞄があるだけで何もない。
エリーはダイニングのテーブルにある椅子を勧める。
パイパイ・アスラのインターフェースが一つの椅子に座り、ノーマにもう一つの椅子を勧める。
ノーマは椅子が人数分無いので躊躇するが座る。
エリーはキッチンでお湯を沸かす。
お茶を淹れているようだ。
『私としても優先順位をつけにくい状況になってしまっているのよ。
ずっとトマスの横に居てあげたいのだけれど、地球規模の災害の前兆もあってどうしたものかと……。
このまま大勢の人死にが出てしまうと、結局トマスを悲しませてしまうことになってしまうのよね』
パイパイ・アスラのインターフェースはエリーを見上げながら言う。
ノーマは二人を交互に見る。
エリーはお茶の入ったカップをノーマとパイパイ・アスラのインターフェースの前に置く。
あ、有難うございます、とノーマは恐縮する。
『でね、ノーマ、お願いが有るんだけれど……。
私が動かなくなったらトマスが心配すると思うのよね。
でもね、私は意識をこっちに向けられないだけで全然問題ないの。
問題はないんだけれどトマスは心配すると思うの。
だからトマスに付き添ってあげて欲しいの。
特に時間どおりにお薬をちゃんと服んでいるか面倒見てあげて欲しいのよ。
お願いできるかしら?』
パイパイ・アスラのインターフェースは可憐な容姿で合掌し、ノーマに縋るような目つきで請う。
「え? え?
それは別に構いませんが、アイスナー先生が居られるのではないんですか?」
ノーマは戸惑いながら訊き返す。
『エリーはね、私と一緒に戦わなくてはならないの……』
「パイ!」
エリーは女将さんの言葉に被せるように咎める。
『貴女ももう仕方がないと思っているんでしょう? エリー?』
パイパイ・アスラは駄々っ子に言い聞かせるように訊く。
そしてパイパイ・アスラのインターフェースはカップを優雅に持ち上げ、お茶を口に運ぶ。
『ノーマ、エリーのお茶は凄く美味しいわよ』
パイパイ・アスラはノーマにお茶を勧める。
パイパイ・アスラのインターフェースは可愛らしく笑う。
パイパイ・アスラのインターフェースの後ろで、エリーが立ったままお茶を飲む。
ノーマは二人の容姿がまるで絵画のように感じられ、圧倒される。
ノーマはお茶を啜る。
たしかに旨い。
「津波は偶然ではないということですか?」
ノーマは訊く。
パイパイ・アスラのインターフェースはカップを持ったまま、ノーマを見、そしてエリーを見る。
暫く沈黙が続く。
「あの津波はパイに匹敵する化け物の仕業です」
エリーは仕方がないといったように応える。
ノーマはすくみ上がる。
『ちょっと、その言いかた、酷いんじゃない?』
パイパイ・アスラは抗議する。
「化け物、古きものは南半球の海底に封印されているのですが、星辰のとき封印から逃れようと暴れるのです。
先の津波はその影響。
今回は事なきを得ましたが、あと二か月後に再度星辰が来ます。
次は確実に封印が解けてしまうと予想されています」
エリーは言いにくそうに応える。
「ええ? 封印が解けてしまうとどうなるんですか?」
ノーマは驚き訊き返す。
『大丈夫よ、私とエリーでなんとかするから。
でも、ちょっと一か月ほど留守にしたいの。
その間のトマスの看護をお願いしたいのよ。
お願いできるかしら?』
パイパイ・アスラのインターフェースは可愛らしく首を傾げる。
「わ、分かりました。
いえ、よく分かりませんけれど、旦那様のお薬のケアと看護は任せてください」
ノーマはブンブンと首を縦に振りながら請け負う。
『お願いね』
パイパイ・アスラは嬉しそうに言う。
そして、よかったわね、エリー、と言いながらインターフェースはエリーを見る。
「まったく気が進まないんだけれどなぁ」
エリーは情けない口調で呟く。
まぁまぁ、とインターフェースはエリーを宥めるように言う。
「あ、あの、やっぱりエリーも、か、神様なのですか?」
ノーマは勇気を振り絞って訊く。
エリーはポカンと口を開き、ノーマを見る。
『あはは、そうよ、エリーは女神さまなの。
私の女神さまなのよね?』
パイパイ・アスラのインターフェースは可笑しそうに笑う。
「失敬な、君のような化け物に女神呼ばわりされたくないぞ」
エリーはさも心外だというように抗議する。
『うふふ、ごめんなさい。
でも、帰ってきたら私以上の化け物になっていると思うわよ』
パイパイ・アスラは楽し気に呟く。
エリーは苦虫を噛み潰したような表情でパイパイ・アスラのインターフェースを睨む。




