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黒灰色(こっかいしょく)の魔女と時の魔女  作者: 九曜双葉
第四章 第二話 古代遺跡の双子の塔 ~The Twin Towers of the Ancient Ruins~
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第四章第二話(四)銀色の数式

辿(たど)り着けないって人間が二百年も生きられないから?」


 アムリタは恐るおそるエリーに訊く。


「ん……、そういう問題も確かにあるのだが、話は少しややこしい。

 単に人体を二百年保たせるだけならば、コールドスリープや石化魔法を使えばなんとかなるかも知れない。

 特にトマスはパイの話では故人のようだから道中で亡くなった可能性が高い。


「恒星船は古代文明の遺跡で、例に漏れず凄まじいテクノロジーの(かたまり)だ。

 反物質エンジンを用いて一Gで加速し続ける能力がある。

 これは大体一年で亜光速に達することができることを意味する。

 巡航性能だけを見ればこの恒星船は本当に二百年と少しで二百光年先に到達する能力があることになる。


「高速で飛ぶ宇宙船の時間は、宇宙船の外の静止観測系、例えば地球からの観測時間よりも(いちじる)しく遅くなる。

 高速になればなるほど宇宙船の時間は相対的に遅れていく。

 その関係式はこうなる」


 エリーは空中にいくつかの数式を描く。

 数式は銀色に輝きながら空間に留まる。

 アムリタは、ぐえぇ、という異音を(のど)から発し、半歩下がって身構える。


「ここでは光速をc、宇宙船の速度をvとしている。

 宇宙船の速度が光速に達したとき、この平方根の値はゼロになる。

 つまり理屈上宇宙船の時間は静止観測系に対して相対的にゼロ、つまり止まって見えることになる。

 当然のことながら宇宙船は光速で飛ぶことはできないので時間が止まることは無い。

 それでも亜光速ともなると著しく時間の経過が遅くなる。


「このパラメータ、光速(ぶん)の宇宙船速度、その自乗(じじょう)、これがあるから恒星船の中での経過時間をできるだけ遅らせたければコンマ一%でも光速に近づければよい。


「そうは言ってもいきなり亜光速に達することはできない。

 加速し続けて光速に近付けることになる。

 一方、人間が耐えられる加速度には上限がある。

 常時加速し続けるならば尚更。


「仮に二百光年先まで行くのに、最初の百光年を一Gで加速し続けて、残りの百光年を同じく一Gで減速し続けた場合を考える。

 最高速は光速の約九十九・九九五%、船内の経過時間は概ね十年強。

 これなら人間は生きたままプルケリマに辿(たど)り着ける」


 エリーはそこまで言って説明を()め、アムリタの顔をじっと見る。

 アムリタは慌てる。


「え? ええ、判るわ。

 と、特殊相対性理論だったかしら?

 時間が遅れるやつよね」


 アムリタは取り(つくろ)うように言う。


「ん? そう、アムリタは(すご)いな。

 私は特殊相対性理論を理解できていないんだ。

 今度教えてくれないか」


 エリーは(すが)るような目で乞う。


「ひいぃ、特殊相対性理論を教えろって、な、何を言っているの?

 私は草原(そうげん)生まれの無学無教養な女よ?」


 アムリタは、無茶なことを言うな、とばかりに両(てのひら)をエリーに向けて左右交互に振る。


「え? 無学無教養って、とてもそうは……。

 少なくとも一般教養を修めた立派な見識を持っているように見えるぞ?」


「そ、それは有難う。

 でも買い被りよ。

 相対性理論とかジュニアが好きそうじゃない。

 ジュニアに教えて(もら)えば良いんじゃない?」


 アムリタは微笑みながらも早口で言う。

 エリーの顔が曇る。


「うーん、白状すると以前ジュニアと宇宙船の話になって、特殊相対性理論について知ったかぶりをしてしまったのだ。

 そのうえでジュニアは一般相対性理論の話を(うれ)しそうに話すのだ。


「特殊相対性理論も解っていないのに一般相対性理論など解るはずもないだろう?

 しかしもう今更知らないとは言い出せない雰囲気になってしまっていてね。

 幾つかの結論の数式は知っていたので(しの)げてはいるのだが重力の影響だとか特異点だとかの話になるともうついていけない」


「つ、ついていく必要性はまったく感じないのだけれど……」


 アムリタは本音を吐く。

 エリーは、うん? そうだよなぁ、と天井を見ながら(つぶや)く。


「だが、私はジュニアを失望させたくないんだよ」


「じゃ、ソニーよ、ソニーなら詳しいはずよ」


「ソニー……、ソニアに相談したらその日のうちにジュニアに伝わるからなぁ……」


 エリーは(さび)しそうに(つぶや)く。


「そ、それはともかく!

 恒星船の中は十年しか経っていないのよね?

 それなら二百年後に目的地に達しているのではないのかしら?」


「沢山の問題があるが特に大きいのは二つ。

 燃料の問題と宇宙(じん)の問題だ。

 図面にも苦悩の記録がメモされている。


「さっきも言ったが恒星船は反物質エンジンで動くらしい。

 しかし燃料の反物質は自然界には存在しないから創るしかない。

 だがその為には莫大(ばくだい)なエネルギーが要る。

 数千年前、化石燃料が潤沢(じゅんたく)にあった頃でも難しいのに……。

 核燃料さえも枯渇しかかっているこの数世紀、亜光速まで加速し続けるために十分な量の反物質を得られたとはとても思えない。


「もう一つは宇宙(じん)、宇宙に漂う(ちり)の問題だ。

 亜光速で巡航すると基本的には前方視野は点となる。

 進行方向に何かがあっても恒星船からは観測することができず、ぶつかるしかない。

 エネルギーと質量の関係式はこのようになる」


 エリーは右手で空中に別の数式を描く。

 数式は銀色に輝きながら空間に留まる。


「速度が上がれば上がるほどこの分母がゼロに近付いてゆく。

 従って光速に近付けば近づくほどこのパラメータは無限大に漸近する。

 亜光速で衝突すると僅かな重さの(ちり)でも原子爆弾クラスのエネルギーになる。

 もの(すご)い衝撃だ。

 そんな衝撃に船は耐えられない。


「燃料の問題は、もしかすると古代遺跡のどこかに備蓄が有って解決しているのかもしれない。

 反物質エンジンの場合、ほんの(わず)かな量が有れば事足りるわけだから。

 しかし宇宙(じん)の問題は到着までにかかる時間との二律背反になるから悩ましい。


「例えば光速の五十%の速度で加速を止め、慣性航行した場合を考えよう。

 宇宙(じん)の問題はある程度解決するのだろうが、到着までに静止観測系時間で四百年強、宇宙船内の時間でも約三百五十年かかってしまう。

 四百年前に出発したのならそれこそ今やっと到着したかどうかだな。

 何れにしろ非現実的だ」


「ふうん。

 パイはエリーにいつ会ったって言っていたの?」


 アムリタは訊く。

 エリーの視線は右上を見るように泳ぐ。


「ん? 確か、たった数百年で、って言っていたような……」


「パイはアウラを地球に送り返したのよね?」


「確かにそう言っていたな。

 もう到着していてもおかしくないという口ぶりだった」


「問題って解決しているんじゃない?

 だってパイ、人間じゃなかったし」


 パイが神の如き力を持っているのなら、物理法則がどうであれ解決しているのではないかとアムリタは指摘する。


「うーん?

 多分そうなんだろうな。

 だとすると四百年前にパイは地球を出発して、二百年前にプルケリマに辿(たど)り着いた。

 そしてそのままアウラを地球に送り返して、今アウラは地球に到着しているはずということだな……」


「そうなるわね」


「なぁ、アムリタ。

 私は何年前の昔に跳ぶんだろう?

 そのときはアムリタは一緒ではないようだし……」


 エリーは暗い声でアムリタを見ながら問う。


「えーと、四百年前?

 随分と昔ね……」


 アムリタはエリーの視線を斜め上に流しながら応える。

 エリーは、意味が判らないんだ、と(つぶや)く。


「まあでも、そもそもパイがどうやって地球に来たのかって問題のほうが謎だわ。

 絶対に夢幻郷が絡んでいるはずよ」


「そうだなぁ、でもそれこそ神の御業(みわざ)なんじゃないか?

 物理学のことで悩むのが莫迦(ばか)ばかしくなってくる」


「今度夢幻郷に行ったらシャイガ・メールの所に行ってパイとお話をしましょうよ。

 そのときに色々訊けば良いんじゃないかしら?」


 アムリタは話題を変えるようにそう提案する。


「うーん、彼女と話をするのは気が進まないなぁ」


「随分弱気ね。

 大丈夫、エリーはもっとグイグイと行くべきよ」


 アムリタはエリーの肩を後ろから右腕でグイグイと抱きしめながら言う。

 グイグイねぇ、とエリーは(つぶや)く。


「それはそうと、少し早いがバーベキューの準備を始めようか?

 来るなら、後一時間くらいだ」


 エリーは書類を綺麗(きれい)にまとめて机の上に置く。


「賛成!」


 アムリタは右(てのひら)をエリーに向けて手を挙げる。

 アムリタの左手に抱えられている銀色のロボットがアムリタを見上げ、ニコニコ笑いながら右手で地面を指す。


「え?

 降りるの?」


 アムリタは銀色のロボットをそっと地面に降ろす。

 銀色のロボットはトコトコと部屋を出てゆく。

 アムリタとエリーはその後を追う。

 ロボットは奥の部屋からマイクの付いた箱を手に戻ってくる。


「え? なに?

 これで歌うの?

 違う?

 なにか(しゃべ)ればいいの?

 え? もういいって?」


 アムリタに向けられたマイクは、今度はエリーに向けられる。


「ああ、この研究施設の扉の声紋登録を行っているんだな?」


 エリーの言葉に銀色のロボットはコクコクと(うなず)く。

 (うれ)しそうだ。

 銀色のロボットは奥の部屋に消える。

 マイクの付いた箱を片付けに行ったようだ。

 そして直ぐに戻ってくる。


「扉を試してみようか?」


 アムリタは扉に向かって歩きだす。

 エリーと銀色のロボットが続く。


 アムリタが扉を押すとガチャリと音がして、抵抗なく扉が開く。

 扉の周囲に積もった(ちり)が落ちてゆく。

 二人と銀色のロボットは外に出る。


「扉よ開け」


 アムリタは閉じた扉に向かって唱える。

 ガチャリと音がする。

 アムリタは扉の端を持ち引く。

 扉は開く。

 アムリタは銀色のロボットに向かって右掌を開いて(かざ)す。

 銀色のロボットはニコニコ笑いながらアムリタの右手にハイタッチをする。


 ――コゥー


 曇天(どんてん)の空の中、小さな、しかし鋭い高い音が(ひび)く。

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