第四章第一話(六)荒事師たち
「うわあ!
なんだ?」
黒装束の男が驚く。
彼らが岩山の細い山稜を攻略していたとき、岩肌に見えていた右の谷から突然大きなものが飛び出してきてきたからだ。
「飛空機か?」
後ろに続き歩いていた同じく黒装束の男が空を見上げながら言う。
男たちは四人居る。
何れも黒い貫頭衣に似た着衣、黒いズボンに黒いフード付きのマントを着ている。
屈強な男たちだ。
バックパックは背負っているが登山を行うような格好ではない。
飛空機と思しき飛行体はどんどんと高度を増し、東の方向に飛んでいく。
そして見えなくなる。
「どういうことだ?」
先頭の男は稜線の右側を見る。
ここは夢見の山脈の中、光の谷の近くであるはずの岩山の上だ。
右側には男たちの立つ稜線と並行して走る幾重もの細い稜線が見える。
稜線と稜線の間には深く細長い谷がある。
とてもではないが、飛空機が飛び出してこられるようには見えない。
時刻は早朝、やっと空が白みだした頃だ。
男たちは尾根の比較的平たい場所で野営をし、また歩き出したばかりだ。
男たちはかつて九人の集団であった。
彼らはアルタルの寺院の荒事師たちである。
寺院の揉め事を秘密裏に解決するのが仕事だ。
敵対者を消し、戦いでは味方を有利に導くべく暗躍する。
そういったプロの荒事師の集団だ。
あるとき、寺院の書庫から大切な本が盗まれた。
ある日忽然と消えてしまったのだ。
誰が盗んだかは全く判らない。
寺院の高僧たちは慌てふためき、荒事師たちに問題の解決を指示する。
荒事師たちは使命を受けて旅立つ。
使命とは本を奪還すること、本を読んだものを屠ること。
荒事師たちは魔法の痕跡を求めて西へ西へと旅立つ。
旅の過程で伝説の谷についての話を聞く。
伝説の谷の名前は光の谷という。
不思議な伝説の谷で夢見の山脈の中にあるという。
荒事師たちは、盗まれた本の性質から、そういった不思議な場所で使用されるはずだという予想を持ち、夢見の山脈へ向かう。
そして断続的に魔法の発動の兆候が見られる夢見の山脈を見つける。
光の谷もその先にあるらしい。
荒事師たちは谷伝いの山道で光の谷に向かう。
しかし、幅の広い山道は石のゴーレムにより護られていた。
男たちは戦いのプロだ。
なんとかして石のゴーレムを倒して先に進もうとする。
しかし数が多いうえに復活し続ける石のゴーレムを排除しきることはできなかった。
二人のメンバーを失い、三人のメンバーは行動不能となる。
這々(ほうほう)の体で撤退する。
それが現在四人である理由だ。
だから荒事師たちは山道を使って先に進むことは諦めた。
仕方がないので尾根伝いに夢見の山脈を超えているのだ。
しかし夢見の山脈は細い稜線と深い谷が並行して走る険しい山肌をしている。
細く高い稜線を登り一度山頂に出て、そこから光の谷に続く稜線を下っていくことになるだろう。
夢見の山脈越えは非常に困難な作業であると予想された。
実際にやってみると不可能と思える難事業であった。
選んだ稜線は頂上まで達していない。
いったん切り立つ崖を降りて改めて隣の稜線を登る。
そして尾根伝いに頂上と思われるほうに登る。
そんなことを繰り返す。
しかし登れども登れども、光の谷と思われる大きな谷は見つからない。
まるで巨大な迷路の中に居るようだ。
装備を揃えて再度来るべきだろうか?
荒事師たちは考える。
実際問題としてゴーレムを突破するのと夢見の山脈の山越えとは、一体どちらがより現実的なのだろうか?
荒事師たちは悩み、考える。
何れにしろ装備が足りていない。
いったん戻ろう。
昨日の夜、そう決断した。
そして起きて歩き出したころ、右側の谷底から飛空機が飛び出してきたのだった。
先頭の男は石を拾って、飛空機が飛び出してきた谷底に向かって投げる。
石は落下する。
そして谷底にぶつかる。
そのはずだった。
しかし音がせず、石は消える。
「石が谷底に吸い込まれた」
荒事師たちは互いの顔を見やる。
一番背の高い男が頷き、石を拾い、右側の隣の尾根に向かって投げる。
石は隣の尾根、谷側の崖に吸い込まれる。
音はしない。
四人の男たちは落ちている石を拾っては谷底に投げる。
左側の谷底に落ちる石は期待通りに谷底に落ちて音を発し、跳ねて止まる。
右側の谷底はそこになにも無いが如く、すべての石を吸い込んでゆく。
「にわかには信じられんが、こっちの風景は幻のようだな」
左右の谷で差は感じられない。
あえて言うならば、右の風景のほうがより荒涼としていて嶮しい。
どちらかに降りろと言われれば右の選択は無いだろう。
だからと言って左に下りるのも躊躇われる、その程度の差だ。
「降りるぞ」
先頭の男は決断する。
「判った。
俺が降りる」
一番背の低い男が応える。
背は低いが肩幅は四人の中で一番広く手も長い。
見るからに頑強そうに見える。
四人は夫々が背負っているバックパックからザイルを取り出す。
ハーケン(登攀用のくさび)とハンマーを取り出す。
カム(使い捨てではない中間支点器具)も幾つかのサイズを変えて準備する。
そしてザイルを長さに応じて仕分けをして切れていないかを調べる。
作業は手慣れていて早い。
背の低い男は自分の腰にザイルやカムを装備する。
ハーケンを詰め直す。
そしてハンマーでハーケンを岩と岩の間に打ち付け、ザイルを結ぶ。
背の低い男は、ハンマーを横に括り付けたバックパックを背負い、ザイルをカルビナで体に結びつけるとスルスルと谷を下っていく。
ザイルにテンションがかかり、小刻みに揺れる。
背の低い男は、谷底と思われる部分に辿り着く。
そして地面に足をつける。
足は抵抗なく地面の中に潜ってゆく。
背の低い男は意に介さず更に下る。
上から見ると背の低い男の頭だけが谷底の地面から生えているように見える。
男は更に潜る。
男が消える。
暫く後、男の頭が再び現れる。
「下は眩しい濃霧の中だ。
視界は五メートルくらいだな。
切り立った崖が延々続いているように見える」
谷底から頭だけを出した男が崖の上に大声で報告する。
「降りられそうか?」
先頭の男が訊く。
「どこまで続いているかわからねぇ。
降りられるところまで降りて、後は不要なザイルを回収しながら降りるしかないな」
崖下から男は返答する。
恐らくここは標高二千メートル前後。
石のゴーレムがいた山道はせいぜい海抜五百メートル以下。
下手をすると千五百メートル近く降りることになる。
単に降りるだけであれば、ザイルや中間支点器具を回収しながら降りれば良い。
しかし撤収を考えると、難所に中間支点やザイルを残さなければならない。
降りられる限度というものがあるだろう。
手持ちのザイルすべてを繋げても、せいぜい三百メートル。
背の低い男は登山のエキスパートだ。
足場の確保もザイルや中間支点の回収もこの男の担当になるだろう。
他の者は荷物の運搬をすることになる。
「やれるか?」
先頭の男が訊く。
「視界が悪いから予想できねぇ。
俺はどっちでもいい。
棟梁、あんたが決めな」
背の低い男は棟梁、先頭を歩いていた男に応える。
「ふん、そうだな。
降りられる所まで降りる」
棟梁は決断する。
「おう!
じゃ次の足場まで降りる。
合図したら降りてきてくれ」
そう言って背の低い男は再び地面の下に消える。




