第四章第一話(五)似ていること、違うこと
『二百年?
うん、待つわ。
四百年だって大丈夫』
パイパイ・アスラは朗らかに受け合う。
『二百年の意味?
勿論分っているわ。
セシウム百三十三原子の基底状態である二つの超微細準位、その間の遷移に対応する放射周期を基準にして九十一億九千二百六十三万千七百七十倍が一秒。
その約六十三億倍の時間が二百年よね?』
パイパイ・アスラはトマスが教えた時間に対する共通概念を使って二百年を表現する。
ふんふんふふん、パイパイ・アスラは誇らしそうにハミングをする。
ここは光の谷、トマスがパイパイ・アスラと邂逅した洞窟の中。
トマスは魔法陣の真ん中で胡座をかいて座る。
瞑想が深ければパイパイ・アスラと思念で会話ができることが判った。
寝る必要はない。
恐らくトマスが魔法陣の中に居る必要はない。
時間を選ぶこと、瞑想すること、パイパイ・アスラが草原の魔法陣の中に居ること、そして恐らくシャイガ・メールが近くに居ること。
それがトマスの知る、パイパイ・アスラと会話するための条件だ。
『でもね、トマス。
私はあまり時間の概念に縛られていないの。
貴方とお話しているときは貴方と時間を共有できるけれど。
でもね、もっと遅い時間の中に過ごす者たちとも時間を共有できるし、もっと早い時間の中に生きているものと戦うこともできるわ。
『それはそうと、トマス。
亜光速で飛ぶって危ないことなのよ?
宇宙に漂う塵にでさえ、亜光速でぶつかればもの凄い衝撃を受けることになるわ。
『私がそっちに行こうか?
さすがに二百年では行けないけれど、四百年くらいでなら辿り着けると思うの。
待っててくれるのなら、そうするわよ?
え? トマスたちは百年くらいで大体みんな死ぬの?
ふーん……、そうなんだ。
『トマスたちはどんな姿をしているのかな?
一・七八メートル、五十八キログラム、筒状の胴体に球形の頭部、それを繋ぐ首。
手と足が二本ずつ。
胸に腹、お尻。
頭には目が二つ、鼻が一つ、口が一つに両側に耳が一つずつ、それに頭髪が生えている。
リン酸カルシウムの骨格に筋肉に皮膚。
六十五パーセントが酸素、十八パーセントが炭素、水素が十パーセント、窒素が三パーセント、カルシウム、リン、硫黄、カリウム、ナトリウム、塩素。
衣服を着ている。
大気中の酸素を吸って二酸化炭素を吐く。
そう、うん、だいたいイメージできた。
『え? 私たち?
ええ、そ、そうね、だいたい同じようなものかしら。
違うところも多いけれど……。
『そうそう、この星はね、水の惑星なの。
水浸しの惑星。
塩化ナトリウムを多く含む水。
塩化マグネシウムや塩化カリウムも少し溶けているわ。
トマスの星の海に似ているけど、多分比べ物にならないほど深いの。
トマス、貴方が言うような地殻に接続する陸地はこの星には無いわ。
私は星を覆う水、その上に浮かぶ草の塊の上にいるの。
『気圧の変化が激しいんじゃないかって?
水に浮いているだけなら、太陽の潮汐力で水位が変わるはずだから?
確かにそうかも。
トマスって色々なことを知っているのね。
『大地は水に浮いているから、風に流されて次第に自転軸の極方向に行ってしまうの。
そこでは植物は育たない。
でもそこで栄養価の高い氷が大地を覆って、その大地は今度は赤道方向に吹く風に流されるの。
氷は溶けて植物の肥料となり、そして大地は成長する。
そんな感じ?
『大気はそうね、窒素が主体で酸素濃度は十八パーセントくらい。
二酸化炭素濃度はトマスの地球よりかなり少ないかも。
二酸化炭素は水に吸収されてしまうのよ。
その分水蒸気は多いわ。
トマスはこの星の大気で生きられるかしら。
心配だわ。
『この星はトマスの地球より大きいかしら。
直径で四倍くらい?
でも不思議。
私トマスと話すまでこの星の大きさなんて気にしたことがなかった。
『お月さま?
衛星っていうの?
惑星を周る星。
そうね、今は無いわ。
かつては在ったけど。
連星系の惑星は軌道があまり安定しないのね。
衛星もどこかに飛んでいってしまったわ。
え? もちろん私が生まれる遥か前の話よ。
『四季?
うん判るわ。
中緯度では寒いとき、熱いときがあるわね。
地軸は確かに傾いているわ。
公転面に対して二十五度くらい。
今はそれくらいだけれど公転軌道面が安定しないからもっと違う傾きのときもあったのかもしれない。
あまり気にしたことがなかったけど。
『この星の植物はバクテリアとの共生関係にあるわね。
草はバクテリアの力を借りて空中の窒素を固定化して生い茂り、やがて枯れて大地となるの。
そうして水の上に浮かぶ大地は成長するのね。
大地の上に新しい草原が生い茂り、その営みが繰り返される。
私はこの草原が好き。
草原で歌を歌うのが大好き。
ここで踊るのも好き。
でもでも、今はトマス、貴方とおしゃべりするのが一番好き。
『あはは、とっても不思議。
私、自分がこんなに色々な事を知っているなんて気が付かなかった。
トマスとお話すると色々な事を知っている自分に出会えるの。
『自転軸の両極は氷で閉ざされているわ。
空が光ってとても綺麗。
でも氷の世界。
私はあまり好きではないかな。
だから私は定期的に旅をするの。
だいたい同じ所をぐるぐる回っているのかな?
ここには賢者様の残した魔法陣もあるし、トマスとお話するためにここからは離れられないわね。
『私の他に誰か居るかって?
私だけじゃ駄目?
他の誰かとも話がしたいの?
そうじゃなくて?
ああ、うん、もちろんこの星には私の他にも居るわよ。
少なくとも私の姪がいるわ。
『以前はもっと居たけれど、私が勝ったから皆他の星に旅立っていったわ。
私、こう見えても結構強いのよ。
縄張り争い?
ううん、そうじゃないわ、そうじゃないと思うの。
多分だけれど。
『ここは元々賢者様の星。
幼い私をここで育ててくれた。
私に色々なことを教えてくれた。
でも賢者様は魔法陣を使って旅立ってしまった。
うんと遠くへ行くと言っていた。
『そうね。
ここの草原には虫がいるわ。
海の中にも虫がいるわね。
トマスの知っている虫とは少し違うかも知れないけれど、でも多分、虫という概念が一番近いと思う。
うん、魚とは違うと思うわ。
一度陸地に上がって、海に帰った生命。
間違いないわ。
『ここはトマスの地球に少し似ている。
そしてかなり違う。
似ているって素敵。
同じ気持ちになれるって信じられるから。
違うってもっと素敵。
貴方の知らないことを私は教えてあげられるから。
『ねぇ、トマス!
私の知らないことを教えて!
私が想像だにしなかった貴方の世界の事を教えて!
なによりも貴方のことを教えて!
貴方の好きなのは何?
貴方の喜びは何?
貴方の欲しいものは何?』
パイパイ・アスラは熱を帯びた口調でトマスに問いかける。
トマスの好きなもの?
トマスの欲しいもの?
そんなのは決まっている。
出逢ったときから決まっている。
「僕が好きなのは貴女です。
僕の喜びは貴女とともにあることです。
僕が欲しいのは貴女です。
パイ、僕のお嫁さんになってください」
トマスはパイパイ・アスラにプロポーズをする。
パイパイ・アスラは無言となる。
絶句しているようだ。
『まあ……。
なんてこと……。
喜んで……。
ああ、喜んで。
私をトマスのお嫁さんにしてください』
パイパイ・アスラは嬉しそうに、切なそうに応える。
トマスとパイパイ・アスラは夫婦となった。
二百光年の距離を隔てた、未だお互いを見ぬ夫婦となった。




