第四章第一話(四)最も美しきもの
――崩壊歴二百二十二年の四月二十日午後八時
「綺麗な星だ」
トマスは反射式天体望遠鏡を覗き、感嘆するように呟く。
ここは超高層ピラミッドの最上階。
トマスは以前、超高層ピラミッドの中の設備を刷新した。
ここはトマスの研究実験施設。
彼の望みを叶えるためのものをここに集結させている。
発電設備、蓄電設備、巨大な計算機、そして多重サイクロトロン(荷電粒子の加速器の一種)や核融合実験設備。
宇宙線の受光設備や電波望遠鏡もある。
全ては一つの目的のためにトマスが揃えたものだ。
一から拵えたわけではない。
古代遺跡である超高層ピラミッドのテクノロジーを最大限有効活用している。
凄いテクノロジーだとトマスは思う。
特に数千年を経て未だ十分に耐用する素材技術はすばらしい。
トマスには真似ができない。
トマスには造れない。
尊敬に値する。
ではあるが、トマスはトマスに必要な機器をすべて置き換えた。
トマスは古代遺跡にロマンを感じてここに居を構えているわけではない。
トマスはトマスの目的のためにここを有効活用しているだけだ。
トマスが星を見るために使っている反射式望遠鏡は、トマスが知るかぎり現在において世界で最大最高の光学天体望遠鏡だ。
トマスが作った。
トマスは朱色と青色の二つの連星を虱潰しに調べた。
そしてパイパイア・アスラと会話できた時間、周期を鑑みて一つの結論に達する。
彼女が居るのはうしかい座イプシロン星、その惑星であると。
トマスは今、うしかい座イプシロン星を眺めている。
うしかい座の一番星、一際明るく輝くアークトゥルスに続き二番目に明るい恒星。
この星は条件の良いときに高倍率の望遠鏡で眺めると、連星であることが判る。
主星はオレンジ、伴星は青色をしている離角僅か二秒弱の連星である。
コントラストが非常に美しい。
別名をプルケリマという。
『最も美しきもの』という意味だ。
うん、まさにそのとおり、トマスは同意する。
無条件に賛同する。
トマスが今まで見たものの中で一番美しい。
「絶対に間違いない。
僕が見たのはこの二つの太陽だ」
トマスはパイパイ・アスラと邂逅した際に見た風景を思い出す。
大きな青白き太陽とオレンジ色の小さな太陽。
その二つの太陽は、二百光年離れて見ると丁度このように見えるだろう。
「見つけた!
ついに見つけた!」
トマスは確信する。
この星がそうだ、トマスが探し求め続けた星。
植物が生い茂り、知的生命が棲む星。
トマスが探し続けていたもの。
しかもそこに居たのは、素敵な女の子であった。
「僕はなんて幸運なんだろう」
トマスは叫びたいほどの嬉しさを感じ、震えている。
この幸運を分かちあえる彼女がいる、その幸運に感謝している。
「パイは昼間、僕は夜、この条件でしか今は話ができない」
単純に位相の問題であるのならば、青い恒星の向こう側にパイパイ・アスラの棲む惑星があるということになる。
位相がどうであれ、光学式天体望遠鏡で遠く離れた恒星を周る惑星を見ることは一般に難しい。
「視等級二・四。
距離約六十二パーセク。
遠いなぁ」
パーセクは距離の単位だ。
一パーセクは約三・二六光年。
トマスはこの二百光年離れた青白い恒星、それを周回する惑星に何としてでも行きたいと欲している。
そのために彼のすべてを捧げても良いと考えている。
辿り着き、彼の星に立つことができれば、その瞬間に死んでも良いとさえ考えている。
だからそのための準備をしている。
だがしかし、光速で巡航しても二百年かかるその距離、トマスは遠過ぎると思う。
「パイは二百年も待っていてくれるかな」
トマスは最大の懸念を口にする。
「さすがに二百年は待ってくれないだろうなぁ」
トマスは当たり前の懸案事項を考える。
今、トマスが見ているプルケリマの連星も、実際のところ二百年前の姿だ。
今、パイパイ・アスラが見ている光景ではない。
しかも彼女の居る惑星はトマスには見ることができない。
「遠いなぁ」
そうトマスは実感する。
立場を逆にして考える。
トマスは二百年待て、と言われて待てるだろうか?
もちろん待つ。
コールドスリープでもなんでもしよう。
解凍に成功しないとしても問題ない。
待ち続けよう。
そう思う。
そしてそれが不誠実であると気付いている。
わざわざ遠い所から来てもらって、カーボンフリーズからの解凍に成功できなければ出迎えることもできない。
彼女の居場所を作ってあげることもできない。
こちらから行くとしても同じだ。
果たして彼女のもとに辿り着けるのだろうか?
辿り着けなければ彼女の二百年はどうなってしまうのだ?
それ以前に旅立つことができるだろうか?
解決すべき懸案事項は未だまだ多い。
山積している。
自分は解決することができるだろうか?
トマスは悲しくなる。
とは言え、トマスは頑張った。
パイパイ・アスラと会話できる時間、周期から計算し、次に話せる時間の予測ができるようになった。
時間は有効に使う必要がある。
彼女と話せない時間は彼女と会うための準備に充てなければならない。
くすんだ銀色の筒に手足を生やしたものがトマスに近づく。
トマスのヘルパロボットだ。
ヘルパロボットは水筒と薬が載ったお盆を持っている。
別のヘルパロボットは香炉とライターが載ったお盆を持っている。
「ああ、有難う」
トマスは薬を服む。
一つはブラウンの診療所で処方された薬だ。
そして香炉を床に置き、香を焚く。
妖艶な香りが立ち籠もる。
後ろには別のヘルパロボットが毛布を持ち上げるようにしている。
トマスは毛布を受け取る。
「気温マイナス五度、零点七気圧、ここでなら涼しく寝られそうだ」
トマスは毛布に包まり反射式望遠鏡を覗きながら、錠剤を飲む。
望遠鏡のスコープ、そこには美しい連星が映し出されている。
トマスは眠気を感じる。
この美しい星を見ながら眠ることができるとは至福。
トマスは眠りに落ちる。




