第三章最終話(十八)夜間飛行
――崩壊歴六百三十四年六月二日午後七時過ぎ
「とお!」
天空に浮かぶ銀色の円からアムリタが現れる。
アムリタの左手を握るエリーも現れる。
二人は下に向かって空間を跳ぶ。
一回、二回、三回。
そして四回めの跳躍で地面に到達する。
――ズサササー
二人は地面を滑る。
滑る二人の靴はアルンが描いた六芒星を削る。
大きな窪みの中だ。
「おお?
なんか絵が描いてあった?」
アムリタは足下の乱れた図形を見る。
頭上のゲートはみるみるうちに小さくなってゆき、六芒星が姿を現すが、それも次第に砕け散り、消えてなくなる。
「補助図形だ。
夢幻郷側にもあった。
これがあったからゲートが開いたんだろうな」
「一体誰が……」
アムリタは窪みの縁の段差を登り、周囲を見渡す。
見覚えのある風景。
フォルデンの森だ。
窪みはかつてシャイガ・メールがいたところだ。
太陽は沈み、周囲は暗い。
アムリタは森の中に飛空機を見つける。
飛空機は上部を茶色いシートで覆われている。
「ソニアに夢幻郷で会えたわね。
ほんのちょっとだけれど」
アムリタは飛空機のドアを開けようとするが開かない。
中から鍵がかかっているようだ。
エリーは空間に歪を造る。
アムリタは空間の歪の中に入る。
歪の先は飛空機の内部だ。
飛空機の中は香の香り漂う。
アムリタは床にある香炉を蹴とばさないように慎重に中に入る。
そして飛空機の中を見渡す。
飛空機の操縦席後ろ、リクライニングした席にソニアが眠っている。
後ろの荷室ではアルンが布袋を枕にして無造作に横になっている。
「ソニア、アルンに応援を頼んだんだ」
アムリタは、後から入ってきたエリーに言う。
「そのようだ。
そう言えば夢幻郷側にもアルンの足元に六芒星の補助図形が描かれていた。
アルンが描いてくれたんだろうな。
アルンが入り口と出口を用意してくれたから私たちは安全にゲートを作れたし、位置も特定できたということだな」
「さすがは夢幻郷のエキスパートね。
確実な仕事、感服するわ。
アルンとソニアには本当に感謝ね」
アムリタはにこやかに笑いながら言う。
エリーは、そうだな、二人に感謝だな、と笑う。
アムリタは飛空機の搭乗口を内側から開く。
外の爽やかな空気が機内に流れ込む。
アムリタは飛空機の操縦席に座り、計器をパチパチと操作する。
操縦席の計器類のランプが灯る。
「どうする気だ?」
エリーは尋ねる。
「どうするって、このまま放置はできないでしょう?
二人をカルザスまで連れて帰るわ。
この飛空機で」
アムリタは、あたりまえでしょう? と言うように微笑む。
「飛空機の操縦、座学が終わってからでないとソニーに怒られるのではないのか?」
エリーは腕組をしながらアムリタに訊く。
「あらエリー、私は友達を助けるのにいちいち了解をとったりしないわよ?
エリーだってそうでしょう?」
アムリタはまるで予め用意しておいた言葉を朗読するが如く応える。
「凄く良い言葉に聞こえるのだが、実際は飛空機を飛ばしてみたいだけなんだろう?」
エリーは無表情にアムリタを見る。
アムリタは、べつにそんな、と笑う。
「座学は終わっているのよ。
教科書は大体頭に入っているわ。
教科書通りに飛ばしてみせる。
基本に忠実に、危険なことは一切なしに。
だからね?
エリーだって、ソニアたちが目覚めるまでダッカとここを往復して様子を見るのは現実的ではないと思うでしょう?
カルザスのジュニアとラビナの様子も見なければならないわけだし」
アムリタはエリーを懐柔するように囁く。
「いいさ、アムリタの好きにすれば。
私はアムリタを信じているよ」
エリーの応えに、アムリタは、嬉しいわ、ええ、私を信じてね、エリー、と言って微笑み、エリーの手を握る。
アムリタとエリーは飛空機を覆っている茶色いシートを片付ける。
そしてソニアの座席のシートベルトを締める。
アルンも後部座席に移動させて、シートベルトを閉める。
アムリタは機体のあちこちを目視点検し、燃料よーし、右主翼よーし、右前エンジンよーし、と叫んでゆく。
――ゴゴゴゴゴ
エンジンが点火する。
アムリタは操縦席に座り、赤外線ゴーグルで周囲を見る。
エリーは副操縦席に座る。
ふわり、と飛空機が微かに地面を離れる。
飛空機は低い高度を保ったまま、後退する。
そして木々を避け、巨大な窪地のある広場に出る。
「たいしたものだな。
とても初めてとは思えない」
エリーは飛空機のなめらかな動きに感心する。
「座学で勉強したからよ」
アムリタは応える。
夜の帳の降りた中、飛空機は徐々に高度を上げ、森のどの木々よりも高くなる。
更に高度を上げ、暗い森を見下ろすまでになる。
飛空機は機首を回す。
「それでは行きますよー。
目的地はカルザス、直線距離約六十キロ、安全速度で僅か十五分の空の旅」
――ゴゥー
エンジンの音は大きくなり、飛空機は速度を上げてゆく。
急峻な動作はなにもなく、暗い地面はなめらかに流れてゆく。
「ところで私の喋りはどうだった?
変じゃなかったかな?」
エリーはアムリタに尋ねる。
夢幻郷でのジュニアに対しての喋りかたのことだろう。
「凄く良かったわ。
パーフェクトよ。
ジュニアもエリーに対する印象を一新させたはずよ。
寧ろ、今なんで喋りかたを戻しているのか訊きたいわ?」
「あの喋りかたは自然体でいるのが未だ難しいんだ」
エリーは恥ずかしそうに言う。
「私が練習相手になるわ。
任せてちょうだい」
アムリタは請け負う。
眼下に点在する民家の灯りが速い速度で流れてゆく。
エリーは背負袋の中のフルートのケースを確認する。
フルートは壊れていない。
エリーはフルートを背負袋の中に戻し、代わりに布の小袋を取り出す。
「あ、それ、ジュニアがくれたもの?」
アムリタが横目で袋を見て言う。
そう、エリーは応えながら袋の口を縛っている紐を解く。
「コインが沢山入っている。
重さからすると金貨かな?」
エリーは幾つかサイズのある布の中のコインの、一番大きなものを取り出し、目の高さに上げる。
飛空機の中は暗く色はよく判らない。
アムリタは赤外線ゴーグルを着けているので室内灯を灯すわけにもいかない。
「見せてちょうだい」
アムリタは金貨を受け取り、目の高さまで持ち上げ、コインをしげしげと眺める。
「ティアラを被った猫の少女の肖像ね。
裏はお寺かしら?
夢幻郷から金貨を持ち出せるなんて凄いじゃない」
アムリタはコインをエリーに返しながら言う。
「ジュニア、転んでもタダでは起きないということだな」
エリーは笑う。
「しかし、よくあの背の高い女と交渉できたな。
蕃神だったのだろう?」
エリーはコインを右手で弄びながら訊く。
「そうね。
もう二度とあの人に会いたくないわね。
心が削られて無くなってしまうわ」
アムリタはそう応えるが、さして心が削られたように見えない。
「なんで有利に交渉できたんだ?」
「一つは、あの女、エリーを酷く警戒していたからよ」
「私を?」
「多分、昔、エリーの時間軸での将来、エリーはあの女の大切なものをあの女ごと焼き払ったことがあるのよ。
エリーの右手で」
「私が?
蕃神を焼き払えるわけないだろう?」
「今はね。
でもそれをブラフに私は交渉した。
エリーって将来どんな力を手に入れるのかしらね?」
アムリタは前を見たまま呟く。
――エリーはねー、おねえさんと仲良くなって、一緒に凄い力を手に入れるの。
――そして悪い奴らをやっつけるのよ。
エリーはパイパイ・アスラの言葉を思い出す。
蕃神をも焼き払うその力とは一体?
――貴女は力を欲して私に抱かれた。
――貴女の体で私が触れていない所は無いというのに。
エリーはパイパイ・アスラの悪夢のような言葉を思い出す。
私は将来どうなってしまうのだろうか?
エリーは苦悩する。
「ちーからがほしいーと、ねぇがーうーとぉきー」
アムリタが素頓狂なメロディの歌を歌い出す。
「なんだ?
その歌は?」
エリーは訊く。
「いえ別に。
夢幻郷ではあの女に出逢わないように、出逢っても多くを語らず、堂々と謙虚に対応する、それが基本姿勢ね」
アムリタは言う。
エリーは、分かった、と応える。
飛空機の風防の前に比較的明るい街の灯りが見えてくる。
「エリー、あれがカルザスの灯よ」
アムリタは嬉しそうに言う。
飛空機の速度は緩やかになり、街の灯りはゆっくりと近づいている。
「まあ、何であれ、今こうして生きている。
夢幻郷でジュニアの無事も確認した。
あとはソニアとアルンに任せておけば問題ないわ。
そのうち夢幻郷に行けるか試してみましょうよ」
アムリタはエリーを元気づけるように言う。
エリーは、近づいてくるカルザスの灯りを見ながら、そうだな、と応える。
「アルンとソニアを無事にベッドに届けたら、サマサの定食屋にご飯食べに行きましょうよ。
この前食べた無花果のタルト、また食べたいし」
アムリタはエリーを横目に見て笑う。
エリーもアムリタを見て笑う。
カルザスの民家、窓の灯りが見える。
酒場の灯りが見える。
灯りの見えない店も見える。
飛空機はゆっくり滑るように街の横を飛ぶ。
そして街の灯りの中に溶け込んでゆく。
第三章 最終話 白き都市の王と外からの神 了
第三章 夢の中の君はあまりにも素敵すぎて 了
三章までお読み頂きありがとうございました。
三章では夢幻郷での冒険譚がメインでした。
最初ギリギリの日程だと思っていたジュニアは地球猫の力を知り、余裕がでてきます。
そして廃都サルナトの魅力に取りつかれてしまいまい、王国を築きます。
三章では新しい登場人物として沢山の地球猫、地下鼠やスーン・ハーがでてきます。
地球猫の少女たちはどこか抜けていて、でも賢く魅力的、そんな風に描けているでしょうか?
さて三章が完結したのですが、この後どうしようかと悩み中です。
第四章までは続けるのですが、そこでいったん終わらせて別のお話とするか、第五章に続けるか。
一連の物語は長いながいお話です。
またタイムトラベルもの、循環のお話ですので始まりはフォルデンの森、アムリタの登場のシーンだけでなく幾つもあります。
その数だけ、新しいお話が成立しうるのです。
四章はトマスとパイパイ・アスラのお話です。
いきなり時代が飛びますが、驚かずにお付き合いください。
第一章第一話「時渡の少女」とどちらを第一話にしようかと迷ったお話です。
更新頻度は更におちていきますが、エタりませんのでご安心を。
続 第四章 星屑の中に見つけた宝物
あなたが続きを読んでくれることを信じて。




