第三章最終話(十七)死を記憶せよ
「私もこれくらいエレガントに跳べるようになりたいのにゃ」
サビは呟く。
あっと言う間にミケは地上に飛び出し、緩やかに空間を蹴り、着地する。
「サビー!」
チャトラが現れる。
チャトラが泣きそうな顔でサビの名を呼ぶ。
サビは、にゃはは、と恥ずかしそうに笑う。
「しくじってしまったのにゃ。
何か大変なことになっているのにゃ?」
サビは広場の大きな穴、その横に聳える巨大な芋虫に似たクリーチャー、シャイガ・メールを見上げて呟く。
「大丈夫だよ。
俺も色々しくじったけど幸いなことに俺らはなに一つ失っていない」
ジュニアは地面に降り立ちながら腕の中のサビに言う。
広場に空いた巨大な穴の中から、ドカーン、ドカーンという音が響き、だんだんと音が大きくなってゆく。
「街は少し壊れてしまったけれどすぐに直せるさ」
ジュニアがそう言ったとき、ラビナが駆けてくる。
後ろにはガストもいる。
「ちょとジュニア、なんでフォルデンの森の化物がここにいるのよ?
私あの化物に殺されそうになったのよ?」
ラビナの顔は蒼白になっている。
「アムリタが言うにはシャイガ・メールという君の友達だって」
「友達?
私の?」
ラビナは絶句する。
「俺に訊くなよ。
アムリタが言っていたんだ。
光の谷に戻す必要があるらしいよ?」
ラビナは口をパクパクさせる。
その時、下から聞こえていた激しい音がいよいよ激しくなり、大きな塊がラビナの直ぐ側、穴の縁に現れる。
「ひぃぃ」
ラビナは怯え、悲鳴をあげる。
塊は二つになり、その後ろに大きな図体が現れる。
マシンゴーレムが穴から這い出ようとしているのだ。
一行はマシンゴーレムのために場所を空ける。
マシンゴーレムは広場の大きな穴から這い上がり、穴の縁に立つ。
そして動作を止める。
「サビ、もうマシンゴーレムを止めていいんだよ」
ジュニアはサビの耳元で囁く。
サビは判ったのにゃ、と応える。
「終端パスワード入力なのにゃ」
――メメント・モリ
サビはその言葉を唱える。
何も起こらないように感じられる。
少なくとも暫くの間は。
しかし、コロン、カラン、と幾つかの小さな物体がマシンゴーレムから落ちてくる。
一行はマシンゴーレムと距離を取る。
コロン、カラン……、コロン、カラン……、と、どんどん落下物は多くなってゆく。
カラコロカラコロ、際限なく降ってきて、ザザザー、ついにはマシンゴーレムの表皮は崩れてゆき、輪郭を曖昧なものに変えてゆく。
マシンゴーレムは膝をつき、両腕をつき、その四肢の輪郭も失われてゆく。
「私の命令に従ってくれて有難うなのにゃ、申し訳なかったのにゃ」
サビは寂しそうに呟く。
マシンゴーレムは今やマシンゴーレムとしての存在を失い、小さな石塊、機械の塊に変わってゆく。
マシンゴーレムだったものの瓦礫の上から、丸い小さなものが転がる。
マシンゴーレムの卵だ。
転がる先にソニアが居る。
ソニアの肩の上には地下鼠の少年、シメントが乗っている。
ソニアは腰を屈めマシンゴーレムの卵を拾いあげる。
そして卵をジュニアに向けて、ポーンと投げる。
「助けに来てくれたんだね。
有難う」
ジュニアはマシンゴーレムの卵を右手で受けながら言う。
「ジュニアがお姫様のように幽閉されたって聞いたから助けに来たのよ」
「あはは、勇ましい王子様だね。
ここまでどうやって来たの?」
「アルンと地下鼠たちに連れてきてもらったんだよ」
ソニアは遠くにいるアルンを指差す。
アルンは、ヘークチ! ヘークチ! とくしゃみをしている。
「これ、要る?」
ジュニアは卵をサビに差し出しながら訊く。
サビは、ジュニアの腕から抜け出し地上に立つ。
「もう十分なのにゃ」
サビは舌を出す。
ジュニアは笑う。
「じゃあこれ、ソニアにあげるよ。
お駄賃」
ジュニアはソニアに向かってゴーレムの卵を放り返す。
ソニアは左手で無造作に受け取る。
「サプリ!
もう大丈夫だよ!」
ジュニアは叫ぶ。
さして待つこと無く、サプリメントロボットがとことこと現れる。
『マシンゴーレムなんか起動して大混乱よ。
危うくマシンゴーレムの素材になるところだったわ。
ちゃんと起動するときは除外条件に入れてくれなくちゃ困るわよ』
サプリメントロボットは怒っているようだ。
二つの拳を、見えない頭上の角を擦るように上下させる。
ジュニアは、まぁまぁ、と宥める。
「よく燃料棒が保ったね」
『レドがお世話してくれていたのよ』
サプリメントロボットは後ろにいるレドを右手で指し示す。
「レド、ありがとう」
ジュニアは礼を言う。
レドは、どう致しまして、と笑う。
「サプリ、早速で悪いんだけれど頼まれてくれるかな?
湖の浄化を中止しておくれ。
湖のリン濃度が上がると、スーン・ハーたちが困るそうなんだ」
『ふうん?
それってヒ素濃度を上げる必要が有るということ?』
「うん、そうらしい」
『リンが毒でヒ素が必要って、つまりはスーン・ハーはリンではなくヒ素を生命活動の根幹においている生命ということかしら』
サプリメントロボットは問う。
リンはおおよそ全ての生命で根幹を為す元素だ。
DNAはリン酸と塩基、デオキシリボソースから成る。
リンは生体エネルギー代謝に欠かせないし、細胞膜の必須構成要素でもある。
また骨格の主要構成物質はリン酸カルシウムだ。
一方ヒ素はリンと同じ窒素族元素で、ファンデルワールス半径を含め、様々な物理化学的性質でリンに酷似している。
安易にリンと置き換わってしまうことそのものが、生物への毒性の原因となっている。
サプリメントロボットは指摘する。
リンを生命の根幹にする代わりに、ヒ素を生命の根幹にした生命の存在の可能性を。
そしてスーン・ハーがそれであるのかと訊いている。
「うん、多分そうなんだ」
『信じられないようなことね』
サプリメントロボットは眉を吊り上げ、腕組みをして呟く。
ヒ素を生命の根幹とする生命にとっては、リンが安易にヒ素に置き換わってしまうが故にリンが毒となるだろう。
「でも、ここはほら、夢幻郷だから。
夢の世界なんだから」
ジュニアは思考停止を催す魔法の言葉を口にする。
サプリメントロボットの眉毛が垂れ下がる。
『いますぐに湖の浄化を中止するわ。
湖の西側にヒ素濃度の高い川が流れ込んでいるから、じきにヒ素濃度は高くなるわ』
サプリメントロボットは周囲に集まってきたロボットたちに指示を出す。
『提案なんだけれど、湖の中央に壁を立てて、流れに沿って二つに分離してはどうかしら?
分け合えると思うのだけれど』
「さすがはサプリ、良いアイデアだね。
でももう急がない。
ゆっくりと話し合って決めるよ」
ジュニアは疲れたように呟く。
広場の穴の周囲に地球猫たちが、スーン・ハーたちが、集まる。
ジュニアは、すう、と大きく息を吸う。
そして大声で叫ぶ。
「サルナトの王はここに法律を制定する」
――サルナトでは、人間、地球猫、地下鼠、スーン・ハー、言葉の解るガスト、それにシャイガ・メールは仲良くサルナトの進歩発展に協力しあわなければならない。
パチパチパチ、最初は小さな拍手であった。
しかし次第に大きな拍手となり周囲は人々の歓声につつまれる。
――サルナトに栄光あれ!
――サルナトに永遠の栄光あれ!
人々の叫びは響く。
夜の帳が降り、外灯の明かりが灯される中、歓声はいつまでも続く。




