第三章最終話(十五)予見者と破壊者
「ゲートが開いた!
アムリタ!
エリー!」
監視塔の屋上でソニアは叫ぶ。
アムリタとエリーはゆっくりと垂れ下がるように天空のゲートから這い出る強大な芋虫のクリーチャーの最前列の脚の上に乗っている。
テオのリュートの音色が激しいものになる。
それに呼応するようにエリーのフルートの旋律は明るいものに変わる。
テオは凝視する。
芋虫のクリーチャーの脚に乗る二人の少女を。
「アーチャ!
ついに見つけた!
アーチャ!」
テオはリュートを奏でながら叫ぶ。
その叫びが聞こえてか否か、エリーはフルートを奏でながらテオを見る。
そしてソニアとアルンを見る。
アムリタはソニアたちににこやかに手を振る。
「アムリタ!
エリー!
ジュニアはあそこよ!」
ソニアはジュニアの居る尖塔の窓を指差し叫ぶ。
テオはソニアを凝視する。
「ああ、そうなんだ!
エリーの友達ってそうなんだ!」
テオは嬉しそうに笑う。
テオは泣きながら笑う。
ソニアは不思議そうにテオを見る。
「ソニーが男の人二人と居たわ。
アルンともう一人。
こっちに向かって何か叫んでいたけれどエリーのお知り合い?」
アムリタはエリーに興味津々で問う。
「ああ、おかあさんの弟子の一人だ。
夢幻郷に来ているのだな。
……それよりジュニアを見つけた」
エリーは左右二つある尖塔の左側、先端付近の窓を指差す。
窓にはジュニアと思しき人影と、ジュニアに比べて更に背の高い人影がある。
「そうね、ジュニアを見つけた。
では跳びましょう。
よろしく」
アムリタは極自然にエリーを促す。
エリーは右手で図形を描き、空中にゲートを作る。
そのゲートに向かって二人は跳ぶ。
二人は十メートル先に現れ、更にその先のゲートを潜る。
幾つかの跳躍の後、二人はマシンゴーレムの肩を踏む。
マシンゴーレムは蹌踉めくものの体勢を整え耐える。
二人はそこから更に幾つかのゲートを潜り、落下しながら高度を増してゆく。
ジュニアの居る尖塔の窓が石の障壁によって閉ざされる。
しかしその障壁が爆ぜることは無かった。
――ズサササー
エリーとアムリタは尖塔の中、石の床に激しく着地する。
アムリタは両足と左手を床に付いて衝撃に耐える。
アムリタはジュニアとその傍らに立つ長身の女を見る。
女は戸惑っているように見える。
女は怒っているように見える。
悲しんでいるようにも見える。
エリーはジュニアと長身の女の間に跳ぶ。
エリーはジュニアを背に、背の高い女、ナブーに右の掌を向ける。
――!
ナブーはエリーの右の掌を避けるように後ろに跳び退く。
アムリタはその光景を乾いた表情でじっと眺める。
「君たちがゲートを開いたんだ?」
ジュニアが穏やかな顔で言う。
「いつまでも帰ってこないから、心配で見に来たのよ。
お困りかしら?」
エリーはジュニアを見上げる。
「なんかイメージ変わったね。
髪切ったの?」
「ええ、そうよ。
似合う?」
エリーは笑顔を作る。
ジュニアは、ああ、うん、と呟く。
「実は少し困ったことになっているんだ」
ジュニアは言う。
「そうだと思ったわ」
エリーはそう言いながらもナブーから視線を離さない。
エリーの顔から表情が消えている。
ナブーはエリーの翳す右掌を避けるように右に移動する。
「駄目よ、乱暴しちゃ。
私たちは話し合いに来たのだから。
それにここを火の海にしたら、ジュニアが泣くわよ」
アムリタは確かな口調でエリーに向かって言う。
エリーは無言で頷く。
ジュニアは黙ってアムリタを見る。
「乱暴な入り方をしてごめんなさい。
でも仕方がないんですよ?
エリーは夢幻郷に入らなくてはならないのに入れないのだから」
アムリタは微笑みを湛えながらナブーに言う。
「お前たちの未来が見えない。
お前たちは何者だ?」
ナブーはアムリタに問う。
「私は予見者、この娘は破壊者」
アムリタは応える。
「おまえは何を見た?」
ナブーは再び問う。
「幾度もの私の死を。
そしていくつかの貴女の未来を。
この街の未来を。
貴女に栄光あれ」
アムリタは艶やかな笑顔を浮かべる。
「私の未来を見て何故お前は正気でいられる?」
ナブーは壮絶な笑みを湛えてアムリタに問う。
アムリタは、笑顔を浮かべたまま首を傾げる仕草をする。
「まあ、良い。
お前たちの願いは禁止者リストから外すことか?
それともこの男から手を引くことか?」
ナブーは訊く。
アムリタは一拍置いたあと口を開く。
「その両方。
そしてできればもう一つ。
シャンタク鳥を私に貸し与えて欲しいの。
長期で。
あの可愛い子と仲良くなって空を飛ぶことが私の望み」
アムリタは両手を合掌し微笑む。
「あははははは」
ナブーは可笑しそうに笑う。
「まことに図々しい。
大して先を見ているようにもみえないが、見ている数が夥しいな。
確かにお前も異常な在り方をしている」
アムリタは目を細めて笑う。
ナブーは何か思案するように天井を見る。
そして暫く後、ふう、と溜息をつく。
「ここを焼かれるのも業腹だ。
引いてやろう。
お前たちもゲートから出ていき、すぐに閉じろ。
次にゲートを開くと容赦しない」
女は窓辺まで歩み、空に向かい手を差し出す。
夕焼け空の彼方から黒い点が現出し、みるみるうちに大きくなる。
シャンタク鳥だ。
馬の頭、鱗に覆われた鳥に似た体、蝙蝠の羽根を付けた巨大な生物である。
シャンタク鳥は尖塔の周囲を旋回する。
シャンタク鳥に腹を立てているように、尖塔の下で残る一体のマシンゴーレムが塔に登ろうとする。
そして塔の壁が激しく爆ぜてマシンゴーレムを地面に落とす。
ナブーはいつの間にか消えている。
アムリタの笑みは引きつったように固まっている。
「大丈夫?」
エリーはアムリタの肩を抱く。
「ええ、……大丈夫よ」
アムリタの顔から笑みが消える。
脂汗が額に滲み、見るからに消耗しているのが判る。
アムリタはよろけながら広場に面した窓に進む。
そして広場に横たわる巨大な芋虫のクリーチャー、シャイガ・メールを見る。
「ジュニア、あの子、シャイガ・メールを光の谷に帰してあげて。
私たちは約束を守るためにゲートを潜って帰らなければならない」
アムリタはジュニアに囁く。
「あのでかい奴を?
できるかなぁ?」
ジュニアは頭を掻く。
「シャイガ・メールはジュニアのためにも必要よ。
シャイガ・メールは人間と共存できる存在らしいわ。
人の思念を増幅して伝えることができるの。
大丈夫。
ラビナを餌にすれば言うことを聞いてくれるはず」
アムリタは辛そうに言う。
ジュニアはアムリタの言葉に笑ってしまう。
「私たちが去れば下のマシンゴーレムもおとなしくなるはず。
それに皆さん、来たようよ」
アムリタは窓の下を見ながら言う。
ジュニアが窓の外を見ると、人影が増えている。
いや、人影なのか?
地球猫に伴われた緑色の亜人たちが寺院の前の広場に集う。
彼らの神を祀るために。
――イハサ! トゥルーラハサ、イハサ!
夕なずむ空の下、緑色の亜人たちが歌い出す。
奇妙な踊を踊りだす。
――ボクルグ! トゥルーラハサ、イハサ!
周囲は幻想的な合唱の渦に包まれる。
遠くから聞こえるリュートの音色が歌声を修飾する。
――イハサ! スーン・ハーラ、イハサ! イハサ!
――ボクルグ! スーン・ハーラ、イバク! イハサ!
「エリー、行きましょう!」
アムリタはエリーを誘う。
エリーはジュニアを見る。
「ジュニア、貴方が居ないと詰まらない。
早く帰ってきて」
エリーはジュニアに寂しそうな顔を向ける。
窓の下からのマシンゴーレムの攻撃の音は続く。
「早く帰って来ないと、またきてしまうかもしれないわよ?」
「エリー!
悪いけど早く!」
アムリタは急かす。
「エリー、これあげるよ。
持って帰って」
ジュニアは黄色い背負袋から一つの布の袋を取り出し、エリーに渡す。
ずしりと重い布の袋だ。
エリーは渡された布の袋を背負袋の中にしまう。
エリーはアムリタの肩を抱き、右手を振って空間にゲートを作る。
そして二人は同時にゲートに向かって踏み出す。
次の瞬間、二人は空中に身を踊らせる。
その下にシャンタク鳥が身を滑らせる。
アムリタとエリーはシャンタク鳥の羽を掴む。
「ああ、有難。
良い子ね」
アムリタはシャンタク鳥の首筋を撫でる。
「貴方は私が借り受けたのだから私のものよ」
アムリタはシャンタク鳥の首筋に抱きつきながら大声で叫ぶ。
シャンタク鳥は心なしか嫌がっているように見える。
「貴方は借り物だけれど、いつ返すかは決めていないの。
だから私が良いと言うまでずうっと私のものよ」
アムリタは続けて言う。
「貴方はマーヤ!
名前をあげるわ。
私が呼んだら直ぐに来ないと駄目よ。
判ったわね?
マーヤ!」
――ヒィィィィ
シャンタク鳥は長い首を捩り、泣きそうな目でアムリタを見る。
だめよ、言うこと聞かないと、アムリタはシャンタク鳥に向かって言う。
ヒィィィィ、シャンタク鳥は泣くような声で鳴く。
「アムリタ?
時間が無いのではなかったのか?」
エリーは咎めるように言う。
「え?
ええ、そうよ、行きましょう」
シャンタク鳥は空中に浮かぶ銀色に光る巨大なゲートに下を飛ぶ。
エリーとアムリタはゲートに向かって跳ぶ。
二人はそのまま消える。
シャンタク鳥を残して。
シャンタク鳥は暫く巨大ゲートの下を舞うが、高度を増し、空に消えてゆく。
ゲートの円は半径を縮め、その代わり六芒星を浮き上がらせる。
六芒星を形作る正三角形の一つが砕け散るようになくなり、銀色に輝く正三角形を残す。
そして残る正三角形も銀色の破片に砕け散り、後には藍色に染まった空が残る。
――ボクルグ! スーン・ハーラ、イバク、イハサ!
緑色の亜人たちの歌は続く。
いつの間にか巨大な緑色の蜥蜴のクリーチャーは消えている。
一体だけになったマシンゴーレムは塔の下で掬った水を差し上げるかのように尖塔の上に両掌を突き上げたまま静止している。




