第三章最終話(十一)神の怒り
「ここが私たちの邑、イラーネク」
シェーレは一行に向かって先にある集落を指差す。
場所はナイ・マイカから南西にコスザイル山脈を沢伝いに超えた山間だ。
昨日からラビナたちはシェーレたちスーン・ハーと夜遅くまで飲み明かしていた。
テオはジュークボックスのように楽曲をリクエストされ続けた。
――プロなんでしょう?
――どんなリクエストにも応えるのでしょう?
そう言うラビナに抗えなかったのだ。
テオはフラフラになりながら一行に続く。
ミケは心配そうにテオの横で歩く。
チャトラは皆の荷物を持ちながら最後尾を眠そうに歩く。
スーン・ハーたちは酷使されたテオを気遣い、イラーネクの邑に招待すると言う。
だからラビナたちはナイ・マイカに行くことにしたのだ。
ナイ・マイカの宿屋でベッドに潜り込んだのは明け方近く、昼過ぎに歩きで移動を開始した。
そして今、イラーネクの邑に辿り着く。
邑は緑の木々に覆われた山間の谷にある風光明媚な集落である。
人々が歩き、子どもたちがラビナたち一行を興味深げに距離をとって眺める。
極普通の生活、美しい景色。
ただし何れの住人の顔は薄い緑色をしている。
なるほどここはスーン・ハーの邑なのだろう。
村から一人の男がラビナ一行に駆け寄る。
そしてベルデグリに囁く。
「ベルデグリ!
我が神がサルナトを襲った!」
男は慌てているようだ。
「マラカイト、それはいつ?
なぜ?」
ベルデグリは問う。
「昨日の夕刻。
地球猫の少女が敵対行動を取ったらしい。
テールベルトたちがしくじった」
マラカイトと呼ばれた男が応える。
「ちょっとどうしたの?」
揉めている様子のベルデグリにラビナは問う。
ベルデグリがラビナに答えようとした丁度その時、何か仔馬ほどの大きさの動物がラビナたちのすぐ後ろに跳びこんでくる。
「うわ!
なんにゃ?
ガストにゃ!」
最後尾を歩いていたチャトラが叫ぶ。
ガストはラビナを見て、側に駆け寄る。
しかしそのまま四肢を屈して座り込んでしまう。
全身傷だらけで消耗しているのが見て取れる。
ガストはラビナを見、そして自分の右前足のハンカチを見る。
ラビナはガストの右前脚のハンカチに挿し込まれた紙片を取る。
ラビナは紙片に目を通す。
そしてガストの背を労るように撫でる。
「ご苦労様。
大変だったようね。
私たちが飲んだくれている間に」
ラビナに顔に自虐的な表情が浮かべ呟く。
ラビナは背負袋を下ろし、長い筒状の袋の端を握り直す。
「マラカイトていうの?
貴方、今、地球猫の少女がどうとか言っていたわよね?
訊かせてもらえるかしら?」
ラビナはマラカイトに向き直って問う。
なんにゃ? とチャトラはラビナの左横に並ぶ。
ミケも静かにチャトラの後ろでマラカイトの反応を待つ。
「冷静になってください。
私たちは貴女たちと敵対するつもりはありません」
ベルデグリが落ち着いた声でラビナに応える。
「貴方たちは地球猫の女の子に何をしたの?」
ラビナはベルデグリを無視してマラカイトに重ねて問う。
ジュニアの手紙は、サビが窮状にあるらしいことを伝えている。
――サビとマロンがサルナト地下で窮状にあるようだ
――サビたちを助けて欲しい
「マラカイト、順を追って説明できるかい?」
ベルデグリはマラカイトに優しく問う。
マラカイトは顎を引いて頷く。
「我らの神はサルナトの地下迷宮に続く湖の下の空洞にあられる。
我々は数千年にわたって神を鎮めてきました」
マラカイトは深呼吸をして語り始める。
「ちょっとちょっと、順を追ってって言っても数千年前から語られると日が暮れるわよ?」
「ええ、判っています。
数日前からサルナトは急激な復興を遂げました。
貴女たちの若き王がサルナトを復活させたのです。
サルナトの復興の速度は驚異的でした。
私たちがコンタクトを取る前に、周囲の環境は激変してしまいました。
「サルナトの復興自体は我らに異存はありません。
我らは時期を見て、我らの存在や我らの都合を知ってもらうよう使節を遣わせるつもりでした。
しかしサルナトとその周囲の変貌の速度は我らの常識を遥かに超える早すぎるものでした。
「ご存知かどうか判りませんが、貴女たちにとってヒ素化合物が猛毒であるように我らにとってリン化合物は猛毒なのです。
我らにとって命であるムナールの湖が急速にリンによって汚染されていったのです。
無論、これは我々側からの見え方です。
サルナトの王はムナールの湖の浄化を目指し、ヒ素濃度を下げたので相対的にリン濃度が上がったのでしょう。
「我々の神は神々の中でも至極温和な神です。
しかしムナールの湖が汚されるのを最も嫌います。
過去、我々の神は二回サルナトを滅ぼしたと聞きます。
しかしそれは千年における忍耐の結果でした。
「ムナールの西側には高濃度ヒ素を含む川が湖に流れこんでいます。
ムナールの湖の全体におけるヒ素濃度を下げることはかなり至難なことなのです。
かつてのサルナトもそう簡単には湖の水質を変えることはできなかった。
それこそ千年に及ぶ難事業でした。
それを今回はたった数日で浄化してしまったのです。
「昨日から我が神が眠りから覚め、動き始めました。
我らはムナールの湖地下の空洞で、我が神を鎮める儀式を一昨日から行っていました。
そこに地球猫の少女が現れたのです。
地球猫の少女は我らを敵対者として取り除こうとしました。
我らは、サルナトの協力者に地球猫たちがいることを知っていたので、イヌハッカのハーブの粉を大量に用意していました。
我々は地球猫の少女をイヌハッカで眠らせて捉えたのです」
「にゃんだと!
サビは捕まっているのにゃ!」
マラカイトがそこまで語ったとき、チャトラが激昂する。
ミケはチャトラの手を掴み、まぁ、話を聴くのにゃ、と宥める。
「ご安心下さい。
地球猫の少女に危害は加えていません。
イヌハッカで眠って頂いているだけです。
地下鼠の少女も近くに居るようですが何もしていません。
ただ、地球猫の少女は眠りに就く前に、二体の巨大な機械のゴーレムを呼び出してしまいました。
そのゴーレムが我らの神を襲い、神とゴーレムはサルナトの街中に出てしまった。
今では収拾がつかない状況になってしまっています。
「今のサルナトの街の壁はまるで生き物のようです。
壊されても勝手に修復されるだけではなく、出入りしようとするものに対して攻撃をしかける酷く危険なものになっています。
そのせいで我らの神は街を滅ぼすことも逃げることもできなくなってしまっています。
我々も凄く困っているのです」
マラカイトの話にラビナは、ふうん、と短く応える。
――城壁は危険だから触らないように
ジュニアのおもちゃがジュニアでも制御できなくなっているということらしい。
「なんか凄く面倒くさいことになっているようね」
ラビナは呟く。
「ええ、正直我々にも何がなんだか」
マラカイトは項垂れる。
「なにはともあれ、サビを助けにいかなければね。
案内してくれる?」
「判りました。
湖西側の秘密の入り口から地下に入ります」
マラカイトは応える。
「我々の望みは共存共栄です。
ムナールの湖に手を加えないでください。
我々の命の源なのです」
ベルデグリはラビナに乞う。
「それはジュニアに言ってよ。
私は別にムナールの湖の色なんか気にしないわ。
多分ジュニアだって貴方たちの事情は斟酌するんじゃないかしら?」
ラビナは笑う。
「現サルナト王は聡明な方だと伺っています。
良い関係を築ければ良いのですが。
後、我が神も鎮めなくてはなりません」
ベルデグリは付け加える。
「まあ、いいわ。
私たちは徒歩で山を下るから、ミケ、ひとっ走りジュニアの様子を見てきてよ。
サビだけではなくてジュニアもピンチよ。
湖の西側で合流しましょう」
「判ったにゃ」
ラビナの言葉にミケは短く応える。
「俺もジュニアを見てくるよ」
テオも志願する。
ミケは嬉しそうにテオを見て頷く。
ミケはテオを空中に差し上げると、軽く身を沈め、タッ、と跳び、空中に消える。
テオと共に。
 




