第三章最終話(十)サルナトの災厄
「なにごと?」
激しい音にジュニアは驚く。
ジュニアは丸い屋根の白い寺院、彼の執務室の窓から、寺院前の広場を見下ろす。
見れば寺院の前の広場に突然穴が開いている。
地面が崩落しているように見える。
フリントもジュニアの肩に乗り、窓下の状況を見る。
後ろからレドとガストが窓を覗き込む。
「災害発生ですね!」
フリントは言う。
「そうだね、第一級警報を発令しておくれ。
その後はサプリとの連携をよろしく」
ジュニアはレドに短く指示を出す、
後ろに居るレドが、判りました、と言って消える。
サイレンが鳴り響く。
レドの声がサルナトの街中に鳴り響く。
『これは訓練ではない。
これは訓練ではない。
第一級警報を発令する。
サルナト執政官寺院前の広場に崩落発生。
寺院前の広場には近づかないように。
中から何かが現れる。
危険レベル最高。
総員東サルナトに退避せよ。
退避時は黄色い担ぎ袋一つだけの運搬が認められる。
それ以外は持って歩くのは禁止される。
警備はロボットに任せるように。
違反者はロボットの警備兵に拘束される。
身動きが取れないものは声をあげよ。
ロボットにより東サルナトに移送を行う。
繰り返す……』
放送は延々と繰り返される。
窓の下には人々がやや慌てたように黄色く染めた麻の担ぎ袋を背負って移動を開始している。
しかし現時点ではまだ混乱は見られない。
人々はサルナトの街を後にし、小走りで東サルナトのほうに向かう。
ものの十五分でサルナトの街から人影が消える。
後にはロボットたちのみが残される。
「城壁の扉を閉めてくれ!」
ジュニアは階下に向かって叫ぶ。
ロボットたちは窓の下で慌ただしく動く。
そして幾つか有るサルナトの城壁の入り口が閉ざされる。
「さて、鬼が出るか蛇がでるか……」
ジュニアは窓の下の広場を眺める。
広場の崩落は広がっている。
ドカーン、ドカーン、と大きな音が続いている。
「サビとマロンが地下の探索を行っています。
心配だ……」
フリントは呟く。
「サビが居るから大丈夫だと思うけれど。
地球猫はほぼ無敵だからね。
でも心配なら警護ロボットを付けるから行ってみるかい?」
ジュニアはフリントを安心させるように言う。
フリントは、ええ、行かせて下さい、と懇願する。
ジュニアはロボットに指示を出し、フリントを送り出す。
「サプリは溶鉱炉か。
暫くは戻れないな」
ジュニアは呟く。
見る間に眼前の広場の崩落が続く。
そして、ドゴーン、ドゴーン、という音とともに広場全体が崩落する。
「いよいよ本体を現すか?」
ジュニアは今や巨大な穴となったかつて広場だった場所を見下ろす。
巨大な何かが穴の縁に現れる。
同様に向かって左側に同様なものが現れる。
五本の棒状のものが付いた大きな塊、サイズを無視すれば掌に見える。
そして更にその間に巨大な物体が現れる。
それは部分を見ればよく分からないが、上から俯瞰すると大きな人形のなにかが、穴から這い出してきていることが判る。
「ええぇ?
ジャックのマシンゴーレム?
なんでだ?
サビはなんであんなものを起動したんだ?」
ジュニアは仰天する。
そしてマシンゴーレムの素材になっているものに思い当たる。
穴の周囲にいたロボットたちは逃げ惑う。
ゴーレムから何か小さいものがこぼれ落ち、周囲に撒き散らす。
それに触れたロボットは動きを止め、機械の塊に作り変えられてゆく。
マシンゴーレムは崩落の穴から這い出て、全身を現す。
そしてジュニアの居る寺院を背にして穴に向かって立つ。
マシンゴーレムが撒き散らす小さな物体は、寺院の壁をも機械の塊に変えてゆく。
ダメだ、このままでは城壁も機械の塊に作り変えられてしまう。
ジュニアは決断を迫られる。
「ロボットはゴーレムから退避せよ!
自律再生防壁起動!
レベルスリー!」
ジュニアは叫ぶ。
ガストは長い首を持ち上げて顎を引く。
寺院の壁は欠けた部分を補うように周囲から素材をかき集めだす。
それは機械の塊に変えられた物体にも及ぶ。
今に至っては、壁を壊そうとするマシンゴーレムと、寺院の壁を修復しようと機械の塊を分解する壁との競争となる。
「サビ!
マロン!
マシンゴーレムを止めてくれ!」
ジュニアは穴に向かって叫ぶ。
しかしジュニアの叫びは虚しく、穴からの更なる異音に掻き消される。
――ドゴーン、ドゴーン
異音が崩落の穴から響く。
――シュダダダ
そして青緑色の強大な何かが穴から這い出る。
それはサイズを無視すれば蜥蜴のように見える。
しかし尋常ではない大きさはこのクリーチャーを神々しいものにしている。
蜥蜴のクリーチャーはマシンゴーレムと対峙する。
マシンゴーレムは右手を振り上げて蜥蜴のクリーチャーに殴りかかる。
しかし蜥蜴のクリーチャーは緩慢に躱し、巨大な尾でマシンゴーレムを薙ぐ。
マシンゴーレムは吹き飛ばされてジュニアの居る丸い屋根の白い寺院に激突する。
寺院の壁が激しく損壊する。
「うわあ、自律再生防壁レベルファイブ!」
ジュニアは叫ぶ。
寺院の壁はマシンゴーレムの体の一部を奪いながら再生してゆく。
マシンゴーレムはよろけながら壁から離れてゆく。
――ドゴーン、ドゴーン
崩落の穴からの異音は続き、轟音となる。
崩落の穴から二体目のマシンゴーレムが手を伸ばしてくる。
「サビ!
一体どうしてしまったんだ!」
ジュニアは窓に向かって叫ぶ。
二体目のマシンゴーレムは蜥蜴のクリーチャーに対して攻撃を行う。
しかし図体は蜥蜴のクリーチャーより小さいため、効果的なダメージを与えることができていない。
「地球猫の少女はスーン・ハーたちにより囚われている」
ジュニアの後ろで声がする。
低い女の声だ。
ジュニアは振り向く。
そこには黒い布を被った背の高い女がジュニアの至近距離に立っている。
「うわああ!」
ジュニアは声を発してしまう。
窓の直下に居るマシンゴーレムがジュニアの声に反応する。
マシンゴーレムの巨大な手がジュニアの居室の窓に伸び、窓を破壊する。
ジュニアは窓の側からガストの近くまで跳び退く。
ガストはジュニアを護るように長い首をジュニアの肩越しに伸ばす。
「もう何がなんだか!
攻勢障壁起動!
レベルマックス」
ジュニアはうんざりした顔で叫ぶ。
寺院の壁は修復されるだけでなく、マシンゴーレムの手を吹き跳ばす。
マシンゴーレムは蹌踉めきながら後退する。
マシンゴーレムの傷ついた手は周囲に集まる機械の塊を吸収しながら修復されてゆく。
ジュニアは黒い布の女を見る。
女はフードの下、形の良い口を吊り上げて笑う。
「サビは危険なの?」
ジュニアは問う。
「さあ?
それはスーン・ハーたち次第ではないか?」
ジュニアの問いに、黒い布の女は興味なさげに応える。
あの地球猫であるサビが窮状に陥ることなんてあるのだろうか?
ジュニアにはその状況が想像できない。
しかしサビに預けたマシンゴーレムの卵が起動されていることから、サビが窮状にあると予想する。
そしてゴーレムが動いている。
つまり命令者であるサビは生きている。
「サビを助けなくては!」
ジュニアがそう叫んだ瞬間、ドガ! と激しい音がしてジュニアたちのいる居室の外壁が弾ける。
「うわ!」
ジュニアは両手で顔を護るようにして部屋の奥に下がる。
ガストはジュニアを庇うようにジュニアの前に立つ。
壁はマシンゴーレムの手を吹き飛ばす。
そして壁は瞬く間に修復されていく。
ダメージを負ったマシンゴーレムの攻撃は暫し止むが、マシンゴーレムの手も修復され、次の攻撃動作となる。
「なんかもう無茶苦茶だな。
何でサビのマシンゴーレムが寺院を攻撃してくるんだ?
攻勢障壁を起動してしまったからサプリはもうこの寺院には入ってこれないし、困ったな」
ジュニアは呟く。
ガストがジュニアを振り向きしきりに頷く。
「何?
君がサビの所に行ってくれるの?」
ジュニアはガストの言いたいことが分からないまま聞いてみる。
ガストは、そうじゃなくて、と言うように首をプルプルと振る。
「じゃ、ナイ・マイカに居るラビナたちに連絡してくれるの?」
ジュニアの問いに、ガストは、そうそれ、と言うように大きく首を縦に振る。
「そうか、そうだね。
有難う。
お願いするよ。
でも、地上からはこの寺院を出るのもサルナトの城壁を超えるのも危険なんだ。
地下を通って出るしかないけれど大丈夫?
地下は南のコスザイル山近くまで続いているそうなんだけれど」
ジュニアは心配そうに訊く。
ガストは、がんばる、と言うように顎を引く。
ジュニアはガストの首を、悪いね、と言いながら両手で抱く。
ジュニアは紙片にラビナ宛の短いメッセージを認め、ガストの右前脚のハンカチに落ちないように挿し込む。
ガストは部屋のドアの前にポーンと跳ねる。
そして一度ジュニアのほうを振り向き、そして部屋の外に出てゆく。
「それにしても面白い嵌り方をするものだな」
黒い布の女はジュニアを見下ろしながら、感心するように言う。
またも外からの衝撃で壁が弾け飛ぶ。
「確かにこんな嵌り方をするとは思いませんでした。
ある意味預言通りの自滅」
ジュニアは認める。
黒い布の女は目を細めて笑う。
ジュニアは壁際にいくつか置いてある黄色い背負袋の一つを拾い上げる。
「ここは放棄します。
俺は尖塔に登る」
ジュニアはドアを出て、廊下を歩く。
黒い服の女はジュニアの後に続く。
「俺は貴女を何と呼べば良いのですか?」
ジュニアは後ろの女に問う。
「それをお前は訊くのか?
その覚悟があるのだな?」
長身の女は笑う。
そして応える。
破裂音やペチャペチャとした音韻を含む女の声は人間の発声には聞こえなかった。
あえて表音すればニャルラトォホェプであるか。
ジュニアは既に訊いたことを後悔している。
「すみません。
訊いたのは間違いでした」
「もう遅い。
お前は我が名を聞いてしまった。
とはいえ、発音はできまい。
ナブーと呼べば良い」
ナブーと名乗る女は右手をジュニアの右肩にのせる。
「ナブー……、運命の書を書く知恵と書記の神……」
ジュニアは女が名乗る古代の神の名を復唱する。
ナブーとは人の運命を石版に刻み記す神の名だ。
水星の別名でもある。
水星は無双の光輪に伴い、薄明にのみ気まぐれにその姿を現す遊星。
主神たる太陽に一番近い従神。
捉えどころのない使者。
「案ずるな。
お前と私は出逢うと唇を交わす仲ではないか」
ナブーは歩きながら体を屈め、ジュニアの頭に自分の右の顳かみを押し付ける。
身長の割に小さなナブーの端正な貌は回転するようにジュニアの前に横になり、その唇はジュニアの唇に重なる。
「あの、歩き辛いです」
ナブーは妖艶な笑みでジュニアを見つめながらもジュニアを離す。
ジュニアとナブーは尖塔の内側、長い螺旋階段を登る。
登っている間にも、ドゴーン、ドゴーン、という音が下から聞こえてくる。
二人は尖塔の上、石でできた部屋にでる。
開放窓が四方にある小部屋だ。
ジュニアは下を見る。
日は既に暮れている。
尖塔の下では一体のマシンゴーレムが尖塔の壁を攻撃し、尖塔の壁の反撃を受けている。
そしてやや離れた場所ではもう一体のマシンゴーレムが緑色の蜥蜴のクリーチャーと小競り合いをしている。
街は衝撃により壊され、復旧し、一帯の外灯が消え、また灯る。
そこには既に秩序はない。
「カオスだ……」
ジュニアは呟く。
ナブーは後ろからジュニアを抱く。
身長差で子供を後ろから押さえつけているように見える。
「カオスこそ我が本質。
なあに、長い夜の始まりだ。
ここで共に楽しもうではないか」
ナブーのジュニアを抱く力は万力のように強い。
ジュニアの長い夜が始まる。




