第三章第三話(九)濁流を下って
「あの地底巨人、二トン以上の目方がありましたよ?
その突進を止めるなんて常軌を逸しています」
パールは淡々とした口調で言う。
「あはは、ちょっと重かったね。
でもあれはタイミング芸だからそれほど力は要らないのよ」
ソニアはそう言ってはにかむ。
「確かに見事なものだった。
でもな、地底巨人は凶暴だが戦いに関しては莫迦じゃない。
さっきの膝を砕いた戦法、次回は通用しないぞ」
洞窟の道を歩きながらアルンはソニアに言う。
地底巨人は仲間の死体が膝を砕かれているのを見て、次回以降は膝を守りに来るだろうとアルンは言う。
「まぁ確かに初見でしか通用しないかもね。
でも二回目はこちらから願い下げよ」
ソニアは笑いながら返す。
洞窟の道は緩やかな上り坂が続く。
一行は足早に坂道を上る。
光苔が薄くなり、代わりに先が明るくなってゆく。
大きく曲がる道を抜けると先に眩しい光が見える。
外の明かりだ。
洞窟の外は崖に面している。
崖の下には木々があり、その向こうに水が流れる音がする。
洞窟の出口から右に向かって下り道があり、川へ続いているようだ。
ソニアは鏡で太陽の光を天空に反射させる。
人工衛星のカメラはユラユラと瞬く光を捉え、ソニアたちの精密な位置を確定させる。
「サルナトって湖の東側の大きな街?
なにあれ、ゴーレムが二体、大暴れしているわ」
ソニアは呟く。
アルンにも地下鼠の二人にもソニアが何を言っているのか判らない。
パールは坂道を下る。
道は川で止まる。
川には木でできた橋が架かっていたようだ。
今ではこちら岸に残骸だけが残り、途中から先は失われている。
ただ、ロープが十メートルほど向こうの岸まで左右二本掛けられている。
道は対岸に続いているようだ。
川の流れは早く、水量も多い。
「あらら、これじゃ向こう岸まで渡れないね。
泳ぐ?」
ソニアはアルンに訊く。
そうだなぁ、とアルンは頭を掻く。
「この橋の残骸で筏を作って川を下るか?
この川はムナールの湖に続いているから」
アルンは言う。
ソニアは、なるほど、と応え、川に降りてゆく。
アルンとソニアは橋の残骸を三つ重ね合わせる。
アルンは小さな折り畳みナイフをソニアに手渡す。
「え? ああ……。
ねえ、シメント。
このロープ、向こうまで渡れる?
このナイフで切ってきて欲しいのだけどお願いできるかな?」
ソニアは折り畳みナイフをシメントに渡す。
「切るのは良いけど、どうやって俺は戻ってくれば良いんだ?」
シメントはナイフを弄びながら不満そうに言う。
「筏で向こう岸方向に行くから、川岸を下って待ってて」
ソニアは言う。
シメントはナイフを持ってロープ伝いに向こう岸まで行く。
そして、切るよー、と大きな声で言い、右側のロープを切断する。
アルンは切られたロープを手繰り寄せていく。
「もう一本のロープも切っていいのかー?」
シメントは対岸から高い声で訊く。
「うん、お願い」
シメントはもう一本のロープも切る。
ソニアは、有難う、と言って手を振る。
アルンは残るロープも手繰り寄せる。
そして橋の残骸を重ねてロープで結び、固定してゆく。
「こんなもんかな?」
アルンは即席の筏を足で踏み、強度を確かめる。
続いてアルンは背負袋から鉈を取り出し、二メートルほどの木の枝を刈る。
余計な部分を削り落とし、一本の長い棒を作る。
続いてもう一本、やや短い棒を作り、ソニアに渡す。
ソニアは棒を握り、感触を確かめる。
「生木だから滑ると思うが……」
「ううん、大丈夫。
いい感じ。
それじゃシメント!
行くよ!
先に下流で待っていて!」
ソニアは右手で下流を指差し、向こう岸のシメントに向かって叫ぶ。
シメントは、判った! と叫び、すぐに姿が見えなくなる。
「じゃ、いきますか」
ソニアはアルンに言う。
アルンは無言で頷き、筏を押す。
筏は水流に流され、浮く。
ソニアとパールは既に筏に跳び乗っている。
アルンも筏に跳び乗る。
筏が大きく揺れる。
アルンは中央やや右後ろに立ち、棒の先を水流に漬ける。
ソニア先頭左に立ち、同じく棒の先を水の流れに浸す。
ソニアは棒を使って器用に筏を操る。
川の流れは大きく右に湾曲している。
ソニアは筏を進行方向左の岸に寄せる。
そこにはシメントが居る。
ソニアは左手を伸ばす。
シメントは折り畳まれたナイフを抱えてその手に跳び移り、直ぐにソニアの肩に移動する。
「この先に大きな滝は無いようね」
「うん、大きな落差が有る滝はないよ。
でも急流が続くんだ」
シメントは応える。
現在でもかなり流れは早い。
ソニアとアルンは棒で筏の姿勢と方向を操る。
ソニアは棒を操り、急勾配の濁流の中、器用に岩を避けてゆく。
ソニアは筏の前半分を適切に移動し、バランスを取ってゆく。
アルンは激しく揺れる筏を体重移動と棒捌きで落ち着かせる。
「アルン!
私楽しい!」
ソニアは前を見たまま叫ぶ。
「ああ、俺もそう思っていた!」
アルンもソニアの後ろ姿に叫び返す。
シメントとパールも楽しそうに笑っている。
激しい水飛沫がかかる。
しかし誰も気にしない。
筏は速い速度で急流を下ってゆく。
流れは右に大きく湾曲する。
そしてゆるやかな流れになり、視界が開ける。
左手に大きな翠色の湖が遠くに見える。
そしてその先の湖畔に白磁の街が浮かび上がる。
「見えた!
あれがサルナトの街!」
シメントが叫ぶその瞬間、筏は再び急流を下り、視界は木々に阻まれる。
「うん、私にも見えた!」
ソニアが嬉しそうに応える。
筏は数十センチの落差を落ちる。
ソニアとアルンは器用に棒を捌き、体重を移動させて筏を着水させる。
筏は左右に屈曲する川の形に従い流れてゆく。
川幅は徐々に広がり、流れは緩やかなものになってゆく。
いまや川は河となり、両岸に河岸のある真っ直ぐな流れとなる。
ソニアは筏を河の中央に乗せ、流れに従う。
「びしょびしょだね」
ソニアは自分の服を見て言う。
厚手の貫頭衣であるが水に濡れてソニアの肌に張り付き、体のラインが露わになっている。
「服、脱いで絞るから少し後ろを向いていてくれるかな?」
ソニアは顔だけアルンに向け、言う。
アルンは、ああ、と言って後ろを向く。
ソニアは棒を筏の上に横たえ、貫頭衣を脱ぐ。
白い肌、たわわな乳房が現れる。
ソニアは服を絞り、体を拭き、更に服を絞る。
そして空中で服を叩き、水を飛ばす。
そして再びそれを着る。
「もうちょっと待って」
ソニアは、今度はズボンを脱ぐ。
丈の長い貫頭衣はソニアの太腿まである。
それでも白い足が露わになる。
ソニアはズボンを絞る。
水が下に滴り落ちる。
ソニアは絞ったズボンで下半身を拭く。
「少し右にお願い」
ソニアはアルンに言う。
アルンは前を見ずに棒を使って筏を右に寄せる。
河は緩やかに右に湾曲する。
ソニアはズボンを手に持ったまま棒を足でおこす。
そして筏を流れに沿って誘導する。
右に曲がりきったとき、突然視界が開ける。
「あれがムナールの湖!
そしてあれがサルナトの白磁の都!」
ソニアは大声で言う。
アルンは反射的に前を見てしまう。
ソニアはズボンを右手に握りしめ、左手に棒を持ち、前を見ている。
ズボンは向かい風の中はためいている。
筏はいつのまにか緑色の湖に続く河口の上を流れていて、ソニアの向こうには荘厳な白磁の街が浮かんでいる。
ソニアの貫頭衣の下、二本の足が白く艶かしく浮かび上がる。
風は向かい風、川の流れと真逆に吹く。
ソニアは、アルンに振り向く。
「未だ四時間も経っていない!」
ソニアは感嘆するように言う。
「アルン、貴方を食事に誘ってから四時間でここまで来てしまった」
ソニアは両手を広げて前を向く。
ソニアは続ける。
「僅か四時間弱。
このスピード感が堪らない!」
ソニアはアルンを振り返り、見る。
「アルン!
貴方は本当に凄い人ね!
感謝している!
有難う!」
ソニアは泣いているような、笑っているような、複雑な表情でアルンに言う。
「パール!
シメント!
そして地下鼠の皆!
有難う。
貴方がたの助力と寛容に感謝します。
皆に助けてもらって私はここまで来れた!
有難う!
本当に有難う!」
ソニアはそう言って笑う。
そして前を見る。
アルンはソニアの眼に涙が浮かんでいるように見えた。
ソニアの貫頭衣に似た服の裾が風に揺れる。
ソニアの長い白い脚が、太腿が見え隠れする。
ソニアは向かい風を受けながら白磁の街を見る。
第三章 第三話 地下世界の重力列車 了
続 第三章 最終話 白き都市の王と外からの神




