水の精霊、都会へ行く
翌日、俺達は森を出た。
俺とエメラルドはスーに跨り、王都へと向かった。
エメラルドは森から出るのは初めてらしく、動物を見て、興味深そうに見ていた。
馬は知っているが、それ以外の動物に関しては、あまり知らないらしい。
魔物には遭遇しなかった。
どうやら精霊であるエメラルドがいることで、雑魚の魔物は近づかないらしい。
通常の魔物は精霊、あるいは精霊の力が溢れている場所に近づくと力が弱まる。
多くの魔物に影響を及ぼすようだ。
だが、森に来ていた魔物と、湖に住んでいた魔物にはその様子はなかった。
冒険者に変装していたこともあって、何かしらの対策をしたのではないかとエメラルドと話した。
数日かけて、王都へ帰還した俺は、下流街前の正門へ到着する。
門衛に冒険者カードを見せると、エメラルドを見て訝しがる。
まあ、エメラルドの容姿は目立つからな。
俺も多少は目立つけど、彼女ほどではない。
水色の髪とか、見る人を引き付ける奇妙な魅力とか。
色々な要素があるため、どうしても際立ってしまう。
エメラルドの通行料を払うと、門衛は俺達を通してくれた。
王都内に入ると、更に人々の視線が集まる。
「ここが街。大きい。変な形。人多い」
エメラルドは気にせず、街をきょろきょろと見回している。
しかし確実に見られている。
エメラルドを見て、明らかにざわめきが生まれている。
これはまずい。
俺は目立ちたくないのだ。
目立てば王の手が俺に届くかもしれない。
そうすれば多分、色々とまずい。
もう遅い気がしてならないが、まだいけるはずだ。
そう信じたい。
せめてあと少しくらいは時間が欲しい。
ギルドに貢献していたという事実があれば、少しは俺を擁護する声も上がるはずだし。
相手が王様じゃ、そんな声は握りつぶされてしまいそうだけど。
とにかく、俺の敵は魔王で、人間じゃない。
協力すべき間柄なのだ。
いがみ合うべきではない。
内心では、結構むかついてるけど。
それはそれ、これはこれ。
王様が気に食わないからといって、人を見捨てるつもりはない。
さて、それはそれとして。
馬に跨り、通りを進む俺達の後ろをなぜか野次馬たちがついてきている。
これは精霊の不可思議な魅力が作用しているのだろうか。
みんな惹かれるように俺達に追随している。
何これ。
アイドル? エメラルドはアイドルなの?
街中で芸能人見つけて、ゆっくりと近づいてきてスマホで撮影する情景なの?
当の本人は気づいてない、というか興味がなさそうだ。
エメラルドは人間なんてどうでもいいとばかりに、街中の様子を観察しているだけだ。
スーがちょっと怯えている。
「どうどう、大丈夫だからな」
大丈夫じゃない。
何がどうなってこんなことになってるのか。
走るわけにもいかず通りを進む。
ようやくギルドに到着した時には、後方に列ができていた。
本人たちもよくわかっていないだろう。
なぜか集まってきた人達はさすがにギルド内までは入ってこなかった。
ようやく一息ついたと思ったが、ギルド内の冒険者達が外の様子を見ていた。
何事かとにわかに色めきだっている。
半分近くの冒険者達はエメラルドに視線を奪われていた。
確かにエメラルドは美少女だ。
魅力的な女の子だと思う。
だがこれは異常だ。
そう思いながら、依頼達成受付に行き、マールさんに声をかけた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは。じゃなくて! ルイさん、これはどういうことですか!?」
マールさんは血相を変えて、叫んだ。
普段冷静なマールさんがこんなに取り乱すなんて。
「何のことですか?」
「な、何のことってその子、精霊ですよね!?」
マールさんは震える指先をエメラルドに向けた。
ふむ、マールさんにはエメラルドが精霊だとわかるらしい。
というかみんなわかっているんだろうか。
「どうしてわかったんです?」
「どうしてって! み、見ればわかります!
そんな綺麗で幻想的な髪をしていて、人間離れした容姿をしているんですから!」
確かに髪は時折淡く光り、見た目も人間というには整いすぎている。
何より、蠱惑的な雰囲気がある。
しかし人間離れというのは言いすぎなような。
「わ、わかっていないようなので言いますが、精霊は独特の魔力を持っているんです!
人間を誘引するような強い魔力の持ち主で、神に近い存在なんですよ!?
普通は聖域になっている場所から出ないはずなのに、こ、ここ、ここにいるなんて!
ふ、普通じゃあり得ません! ど、どうやって連れてきたんですか!?」
「どうやってって……本人が一緒に行くって言ったから。な?」
「うん。ルゥと一緒に行きたいって言った」
「ほら、本人も言ってますよ?」
「せ、精霊が人間と対等に喋って……こ、これは夢なのかしら。
アメリア、私は幻覚を見てるの?」
マールさんの隣に移動してきたアメリアさんにマールさんは縋るように言った。
目を白黒させるというのはこういうことなのだろうか。
アメリアさんはアメリアさんで、目を泳がせて、冷や汗をかいている。
「お、おかしいですね。あたしは魅惑の湖畔付近で水妖精の涙を取ってきてほしいと頼んだのですが、なぜ妖精の涙ではなく、精霊を連れてきてるんでしょうか。
はっ! これは夢ですか。そうですね、そうに決まってますね。
ならばよろしい。夢よ覚めろ…………どうやら現実のようです。終わった」
「こ、これが現実!? 嘘でしょ」
なぜこんなに狼狽しているんだろうか。
理解に苦しむ。
俺は耐えられなくなり、混乱している二人に聞いた。
「何か問題があるんですか?」
「問題? 大アリです! いいですか? 精霊は本来人間と共に生きられないんです!
正しくは人間が精霊の強すぎる独特な魔力に影響を受けて、まともではいられないんですよ!
普通の人間は精霊の強い魔力に酔ってしまうんです!
ほら、見てください! 外! そこら辺の人達!
みんなこっち見て、ものすごい顔になってますよ!」
振り向くと、確かに冒険者達や野次馬達はエメラルドを朦朧とした顔で見ている。
なんか催眠か、洗脳か、マインドコントロールみたいだな。
でも全員というわけではないみたいだ。
理性を保っている人もある程度存在している。
「普通の、魔力がない、あるいは少ない人には刺激が強すぎるんです!
そ、それにですね、精霊がいないと聖域の魔力が薄れてしまいますし」
「あたしの魔力、十分染み込んでる。数十年は大丈夫。
むしろあたしが移動した方が、魔族が動きにくい。だから旅する方がいい」
マールさんは幽霊でも見たような顔をして、エメラルドを見ていた。
怯えているというよりは、おっかなびっくりしているというか。
アメリアさんも同じようにしているが、彼女は無表情を保とうと必死だ。
たまに頬がひくついているが。
「そ、それに精霊は人間に気を許しません。
というか他の生物になつくことも共感を持つことも、親しみを抱くこともないんです。
ど、どうしてそんなに親しくなったんですか!?」
「どうしてと言われても、誰かと親しくなるのに理由はないような。
強いていれば、一緒に魔物を倒したから?」
「協力関係。今は仲間」
「ってことです」
エメラルドの補足を経て、俺はマールさんに説明した。
だがマールさんの疑念を解消する様子はない。
「いくら魔力があっても精霊とずっと一緒にいて、しかも触れたりすれば、即座に意識を失ってしまいます。
でもルイさんは平気みたいですね……ど、どういうことなんでしょう。
どれだけ魔力が多くても、それこそ宮廷魔術師レベルでも精霊に触れるのは危険と聞きますが」
「ルゥは特別。別の存在。ルゥはあたしの魔力に影響を受けない。だから何もない。
だってルゥは普通の人間じゃない。どちらかと言えば、あたしに近い……かもしれない」
「それは一体どういう意味、なんでしょうか?」
「わからない。何となくそう思うだけ。ルゥは特別。わかったのはさっき。
他の人間見るまで、あたしの力が弱くなったのかと思った。でもそうじゃなかった。
やっぱりルゥが特別で、あたしの魔力に影響受けない。ルゥはすごい。そういうこと」
こいつ、もしかして俺が転生していることに気づいているのか?
いや、物言いからそこまではわかっていないのだろう。
ただ普通の人間じゃないことは察しているらしい。
多分、一度死に、生き返って新たに異世界に転移したという特異な体質だから、何かしらの作用が働き、精霊の魔力に悪影響を受けないのではないだろうか。
いや、知らないけど。
「とりあえず、彼女がここに来ることになった経緯を説明します。
単純に仲間になったというだけじゃないので」
「わ、わかりました。お願いします。あ、ちょっと深呼吸させてください。
すーはーすーはー、はいどうぞ」
俺はマールさんに、妖精の森での出来事を話した。
冒険者に扮した魔物達の行動、それにより湖に魔物が生まれたこと。
エメラルドと協力し魔物を倒し、湖には澄めなくなったついでに俺と旅をすることになったこと。
「ク、クラーケンを倒した!? そ、それもほぼソロで……。
ランクBクラスの冒険者が複数人いてやっと倒せる強さなのに!?
し、信じられませんが、ルイさんが言うんなら真実なんでしょう。
それに魔族が人間の姿で妖精の森に侵入していたなんて……。
こ、これはギルド内だけで消化できる問題ではありませんね。
騎士団の方に報告を上げておきます。
もしかしたらルイさんにお話を伺うかもしれませんが」
「まあ、それくらいなら」
別段目立ちはしない、と思う。思いたい。
俺は諦観の中、懐から小瓶を取り出した。
「それとこれ、精霊の涙です」
「これが精霊の……え? 水妖精じゃなく精霊の涙ですか?」
「ええ、精霊の涙ですが」
マールさんは突然天井を見上げた。
「もう、やだ……ルイさんと話していると生きた心地がしないです……」
なぜか泣いている。
俺は理由がわからずエメラルドと顔を見合わせた。
するとアメリアさんが一歩前に踏み出す。
「説明しましょう。精霊の涙とは妖精の涙よりも数百倍価値のあるものです。
妖精は幼く涙を流すことも多いですが、精霊は泣きません。感情が薄いからです。
というか普通の人間は精霊と接することさえ難しいですし、相当な魔力があっても泣いてもらうことなんてまず無理です。
噂では涙一粒で、致命傷も完治するとかしないとか。
死んだ人間も生き返るとか、斬った腕が生えるとか言われるくらい、ものすんごく高価な治療薬にもなるんです。
水妖精の涙の代わりに精霊の涙を提供するなんて、もう無茶苦茶です。
小屋と豪邸くらいの違いがあります」
「そ、そうなんですか」
言われても実感が薄い。
隣を見ると、エメラルドは俺を見上げて、こてんと首をかしげる。
本人もわかってないみたいだけど。
「しかし、参ったな。水妖精の涙は持って帰ってないんですけど」
「カンナさんの話が事実なら、妖精の森の危機を救ったのですから、今回の依頼に関しては、こちらから補填し、依頼者には納得頂きます。
精霊の命と、聖域の安全の確保をしたのですからね。
これはギルドの依頼ではなく、最早国からの依頼レベルですよ。
やったね、カンナさん。これでランクアップ確実。いえーい」
いえーい、じゃないよ!
もしかしてとんでもないことをしでかしてしまったんだろうか。
エメラルドが、精霊がまさかそこまで高位な存在だとは。
いや、考えてみればそれくらい重宝されるだろう。
魔族に対抗しうる力を持っているわけだし。
しかしそれにしてもここまでとは。
目立つとかいうレベルじゃない。
もう、俺が自ら目立って行ってるよな、これ。
しかしエメラルドを放っては置けないし、そんなことをする気は毛頭ない。
これはもう受け入れるしかないだろう。
「しかし、これはまずいですね。エメラルドさんの力でかなりの人が惹かれてますし。
このままだと街中の人達はまともに生活できません」
確かに、エメラルドがいるだけで、こんなに影響を与えてしまうとなれば、問題だ。
さすがに多くの人に悪影響を及ぼすのに無視するわけにもいかない。
「あたし、魔力抑えられる。そうした方がいい?」
「おお、できるのか。だったらそうしてくれ」
「わかった。ルゥの頼みならそうする」
言い終えると、途端に周囲の人間に変化が生まれた。
理性を失っていた人達は我に返り、きょろきょろと辺りを見回して、立ち去って行ったのだ。
「あれ? 俺達何してたんだ?」
「あたしいつの間にここに」
「なんだ、何か催し物か?」
前後不覚になりながらも、状況を把握して、どこかへ行ってしまった。
そうしてギルド前はいつも通り、ある程度のにぎわいを取り戻した。
「なんで、最初から魔力を抑えなかったんだ?」
「なんで? そうする必要あった?」
「いや、あったかと言われれば、あったと思うぞ」
「あたしはルゥに言われたから魔力を抑えた。他の人間は別にどうでもいい」
おっとこれは。
なるほど、そう来たか。
精霊と人間の考えの違い。
両者の隔たり。
それが少しだけわかった。
人間は精霊に恐怖というか、何か神聖なものと感じている。
精霊は人間に対しては何も感じてない。
ただそこに生きている物としてしか、見ていない。
でも俺を見るエメラルドの目には明らかに信頼や好意があった。
俺は人間とは違う、か。
もしかしたら精霊であるエメラルドは、俺の特異性を感じ取ったから、なついてくれたのだろうか。
何とも複雑だが、それだけではないとも思う。
だって最初に出会った時、エメラルドにはそういう感情は一切なかったから。
今俺やエメラルドが感じている親しみはきっと、俺の境遇だけによるものではない。
そう信じよう。
でないと、ちょっと悲しいからな。
精霊であるエメラルドには人間特有の気遣いや優しさはない。
その感情、いや習慣や概念はきっと教育によって生まれるものなのだ。
そして根本から構造が違う精霊には余計にそれが理解できないのではないか。
今後、何か問題にならなければいいが。
とにかく、俺が気を付けるしかないだろう。
「……一先ずは場は収まりましたが、本当に精霊と行動を共にするのですか?」
「そのつもりですが」
「そうですか。色々と大変だと思いますが……まあ、カンナさんなら大丈夫でしょう。
きっと、たぶん、そんな気がします。がんばれ」
無表情無感情で言うアメリアさん。
俺は苦笑しながら答えた。
「ど、どうも。あの、この精霊の涙、どうした方がいいんでしょう?」
「売ればかなりの価値になりますが、持っていても有用かと思いますよ。
さっきも言いましたが、相当な回復効果があるので、いざという時に使えますし。
あたしなら売りますけどね。
それなりの家なら買えるくらいの値段にはなりそうですし」
家か。今はまだ欲しいとは思えないな。
しかしそれくらいの収入があればこれからかなり楽になりそうだ。
でも、この二十日程度、依頼を受け続けて、実入りはかなりよくなっているし、金に困ってはいない。
このままランクを上げれば報酬は増えるし、すぐにお金が欲しいというわけでもない。
色々と思うところはあるが、今のところは保留にしておくか。
「ではこちらの依頼は補填完遂としますので、報酬をお渡しします。
後日、妖精の森の件について何かしらの報告なりが行くと思いますので、それまでお待ちください」
俺は白金貨五枚を受け取ると、皮袋の中に入れた。
「わかりました。それじゃ俺はこれで」
「おつかれさまでした。ゆっくり休んでください。マール、カンナさんが帰りますよ」
「うふふ、精霊……はっ!? あ、ル、ルイさん、お、お元気で!」
俺は二人に手を振ると、エメラルドと共に外に出た。
街中は賑わっているが、先ほどと違い、エメラルドに視線が集まったりはしていない。
時折、彼女を見る人もいるが、それだけだ。
見た目は確かに浮いてるからな。
格好も薄着だし、何か服を買ってあげた方がいいだろう。
「よし、じゃあ一旦、俺の宿に行くか。
二人は住めないから、普通の宿に移住しないとな」
「よくわからないけど、わかった。ルゥが行くとこ、あたしも行く」
俺はエメラルドの頭を軽く撫でて、宿へと向かった。
数日ぶりの王都だが、なぜか久しぶりだなという思いに駆られた。
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…2000:精霊に好かれるのは主人公だけ【対象:水の精霊】
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