水中戦
「――戦いの基本は、相手を知ることだ。
湖に住んでいる魔物はクラーケンということだったな?
どういう魔物か知ってるか?」
家に帰り、居間で俺達二人は向き合って話し合っていた。
俺の質問にエメラルドは首を縦に振る。
「知ってる。クラーケンは触手がいっぱいある魔物。
この家と同じくらい大きい。人間も食べるし獰猛。
分厚い肉があって傷を与えるのは難しい」
「急所は?」
「わからない。でも外からだと傷つけるのは無理かも」
イカの急所って目の目の間にあるんだっけか。
でもクラーケンはイカっぽいというだけでイカじゃないし効くんだろうか。
何より、湖の底に行く方法がわからない。
「エメラルドは戦えるのか?」
「無理。弱っている今は、戦うような力はない。でも水を味方にはできる」
「というと?」
「水の中で息ができる。水の中だと素早く動ける」
続きはなかった。
「……え? それだけか?」
「そ、それだけじゃない。ある程度は、同じことを誰かができるようにすることもできる」
ちょっとどもってる。
なんだ、やっぱり精霊も動揺するんじゃないか。
「ああ、じゃあ俺も水の中で活動できるのか」
「うん。でもあたしと同じくらいには無理。あくまである程度」
「どれくらい潜れる?」
エメラルドは首をかしげて、視線を落とす。
思考が終わると、俺に顔を向けた。
「多分、五分くらい」
潜っている最中に切れたとして、俺の潜水記録は四分だから、九分か。
ただ激しく動けばもっと短くなるだろう。
五分以内に決着をつけたいところだが。
さてどうするか。
行き当たりばったりで潜るのはちょっと危険な気がするけど。
「湖の深さを聞いてもいいか?」
「泳いで一分くらいで底に着く」
一分か。さほど深くはないらしい。
だが、水の精霊であるエメラルドの泳力は俺よりも上だろう。
と考えると、案外深いかもしれない。
どうするか。
このままここでぐだぐだしていても妙案が浮かぶとは思えないが。
かと言って、クラーケン相手に通用する攻撃手段があるのかどうか。
こういう時、テンプレだと誰か、あるいは何かの手助けがあって、ご都合主義らしく、問題が解決するんだが。
どうやら俺のテンプレ力は、思い通りの部分では発動してくれないようだ。
強制的テンプレ実現能力、テンプレーションを使うのは気が進まないし。
俺の、俺達の力だけでどうにかするしかないか。
「よし。じゃあ、とりあえず潜るか」
「大丈夫? 危ないよ」
「かもな。でも何とかなるさ」
いざとなったらテンプレーションを使おう。
ただ、危機的状況を回避できるような項目が出てくるかは運次第だ。
俺の能力は使い勝手が悪いからな。
よし。
覚悟は決まった。
やるか。
「もし、俺が死んだら、スーは森から出してやってくれ。
賢いから自分で街に戻ると思う」
「……ルゥは死なない。危なくなったらあたしがどうにかする。
協力するって、握手したんだから」
「そうか。頼りにしてる。でも危なくなったら逃げろよ」
エメラルドは俺の言葉に了承の意を返さなかった。
しかししつこく言い聞かせるのも、身勝手だ。
俺は嘆息し、家を出て、スーに話しかけた。
「悪いな、また出かける。
いいか? 俺が帰ってこなかったらエメラルドの言うことを聞くんだぞ?」
頬を撫でると、悲しげに俺を見つめてきた。
まったく、こいつは賢すぎる。
「大丈夫。簡単に死んだりしないからな」
目を伏せ、頭を擦りつけてきた。
俺はスーの頭と頬を撫でてやる。
しばらくして、手を振り、その場を後にした。
エメラルドと共に湖に行くと、俺は上着を脱いだ。
シャツ姿になると準備運動をする。
「何してる?」
「人間の身体は脆弱だから、こうやって伸ばしてやらないと、驚いて怪我したりするんだ」
「そう。じゃあ、あたしもする」
腱を伸ばしたり、背を伸ばしたり、いっち、にい、さん、し。
隣でエメラルドも同じようにストレッチをしている。
なんだこれ。
柔軟を済ませると、俺は水辺に移動した。
「水に触れると奴に気づかれるんだっけか」
「うん。だから入ったらすぐ中央付近に行って、触手を避ける」
「その後、水底にいるだろう奴に向かって潜って叩くって感じだな」
「わかった。それじゃ」
エメラルドは俺の正面に立ち、両手を広げた。
何をしてるのかわからず、俺は訝しげな視線を彼女に送った。
「何してるんだ?」
「あたしの力は、触ってないとできない。触ってる面が多い方がいい。
だから、んっ」
ん、ん、と言いながら両手を広げ続けるエメラルド。
可愛らしいとは思うが、望む行動は大胆である。
「つまり、抱きしめろと?」
「そうなる。早く抱いて」
「その言い方やめなさい!」
俺は自分の動揺を隠すために、声を荒げてしまった。
だがすぐに口を抑える。
どうやら魔物には聞こえなかったらしい。
まあ、水の底にいるしな。
「早くする。抱きしめて、早く、むぎゅっとして」
「お、おまえわざと言ってるだろ……はあ、わかったよ」
こんなことで時間を消費する余裕はない。
俺はおずおずとエメラルドに近づいた。
なんだろう。
今まで誰かに抱き着かれたことはあった。
まあ、ふざけてだけど。
でも自分から抱きしめることはなかった。
なんか緊張して来たぞ。
いかん、考えるな。これは仕方ないこと。
別に恋人同士で抱きしめ合うわけじゃない。
俺は無心でエメラルドを抱いた。
体温は低いが、柔らかい。
壊れそうで、力をこめて抱きしめることに抵抗があった。
「もっと強くしないと、離れてしまう。こうする」
と、エメラルドは遠慮なく抱き着いてくる。
やや慎ましい胸が腹部分に当たる。
これは色々とまずい。
「じゃあ、入る。早く。走る」
「あ、ああ。そうだな」
動揺を抑えつつ、俺は湖に入った。
留まっていると危険なので、エメラルドに抱き着いたまま走った。
何とも滑稽な姿だが、仕方ない。
あれ?
これ両手で抱えればよかったんじゃ。
いや、おんぶでもよかったのでは。
なんて気づいた時にはすでに、水は腰辺りまで来ていた。
もう後戻りはできない。
俺はそのまま水に潜り、濁った湖の中に入った。
息を止めながら泳いだ。
しかし視界が悪い。
これでは相手の姿も見えない。
しかし突然、視界が明瞭になり、水の透明度の高くなった。
『見えるようにした。これで潜れる。息も苦しくないはず』
頭の中で声がした気がする。
エメラルドが俺を見ていた。
これはエメラルドの力?
『そっちの声は聞こえない。でもルゥにはこっちの声は聞こえるはず』
俺はエメラルドに頷いた。
彼女は満足そうに首肯する。
『クラーケンの位置は大体わかる。湖の底、洞窟がある。そこ』
透明度が高いといっても、ある程度離れてしまえば見えない。
まだ水底は見えなかった。
と。
『来る!』
言われて、俺は気配に気づいた。
視界にうねる何かが、入ってきたのだ。
俺は水中で身をよじり、泳いだ。
触手は凄まじい速度でこちらに向かっている。
本体が見えない。
水底の洞窟内にいるというのに、これほどの浅瀬に触手が伸びるのか。
そういう性質の魔物なのか聞き忘れていたが、恐らくは間違ってはいない。
この湖全域が奴の領域なのだ。
ヒダのついた触手が蛇のように蠢き、俺の眼前に届いた。
瞬間、俺の移動速度が上がる。
普通に泳いだ状態の数倍。
その速度で、俺は触手の軌道から逃れた。
エメラルドの力らしい。
回避と同時に刀を抜き、水中で一閃。
触手には綺麗な断面をできた。
寸断された触手はうねうね動きつつ、沈んでいく。
だが、それだけだった。
触手の根は、自分の分身を気にもせず、俺へと迫っている。
『無駄。触手は斬っても意味ない』
やっぱりそうか。
本当にイカみたいな奴だな。
俺はそれ以上は触手に構わず、下へと潜る。
『浅いところには一番長い触手しか届かない。
あれは伸びれば細くなって威力が弱くなる。
掴まれないように気を付ければいい』
この触手の動きは大して早くない。
今の速度であれば、追いつかれることはないだろう。
まだ数十秒。余力は十分。
俺は急ぎ、水を掻き、更に深い場所へ向かう。
『二本目。来る。今度は大きい』
正面、水底が見え始めた時、巨大な何かが伸びていた。
一本目の触手に比べ、かなりの太さがある。
動きは遅いが、質量が大きい。
一本ならば回避は容易だが、複数ならば厄介だろう。
俺は二本目の触手を避け、そのまま水底へ到着する。
『あっち』
後方から迫る触手を気にしつつ、エメラルドの指差す先へ泳いだ。
俺が泳いでいる間、エメラルドはずっと俺にしがみついている。
なんかこういう動物いるような。
余計なことは考えないようにしよう。
俺は急ぎ、底に沿って泳ぎ続ける。
しばらく行くと崖があった。更に下に底が見えた。
潜り始めると、俺は殺気を感じ取り、瞬時に身をよじった。
『あっ!』
エメラルドが何か言う前に、俺がいた場所を、何かが通り過ぎた。
先の二本とは圧倒的に速度が違う。
だがサイズもかなり小さかった。
直径十センチ程度の触手が、異常な速度で俺に迫っている。
『危険。早すぎる。逃げて』
相手は触手。戦っても意味はない。
しかし縦横無尽に動く触手に、俺は翻弄される。
逃げるにしても、早すぎて、いずれ追いつかれる。
遠く、崖の下に洞窟が見え、そこから触手は伸びていた。
上方には、最初の二本の職種もこちらへ向かっている。
同時に四本を相手にしていたら、時間が足りない。
だが、回避に精一杯で、洞窟へ向かうこともできない。
そんな中、先の二本も俺の下に辿り着いてしまった。
計四本が俺に襲いかかってくる。
『ルゥ! 一旦、岸に戻る! 危険すぎる!』
エメラルドの叫びが脳内に響いた。
確かにそれも手だ。
だが、一度目は奇襲になるが、二度目は相手も警戒するだろう。
そうなると洞窟に入ることも厳しくなるだろう。
このまま倒してしまう方が後を考えても、もっとも成功率が高いはず。
俺はエメラルドの言葉を聞かず、そのまま洞窟へ向かった。
俺に迫る四本の触手。
『無茶! 殺される!』
そうはならない。
超速の触手が俺のすぐ後ろに伸びた。
瞬間、俺は速度を緩め、その場に留まり、触手を避けた。
必然、俺を追い抜いた触手は俺に向かって戻ってくる。
俺は上方に向かい泳ぐ。
太い触手と細い触手は俺の後方から迫っていたが、俺が急に上方へ移動したので、急に曲がれない。
超速の触手と向かい合い、行き交って、軌道が歪む。
俺を追う触手達は交錯し、ぐねぐねと蠢いて、尚も俺に迫る。
俺は上下左右に移動し、触手を回避し続けた。
やがて。
触手の動きは止まった。
『すごい、絡まってる……』
四本の触手が、比較的狭い場所で動き回れば絡まるのは必然だ。
いくら長くとも無限に伸びるわけではないのだから。
互いに押しのけあい、動こうとする触手をその場に置いておき、俺は洞窟まで潜った。
時間はまだ半分はあるか?
思ったよりも時間を食ってしまった。
早く倒してしまわないと。
俺は洞窟前に降り立つと、中を覗いた。
洞窟といっても規模は大きい。
穴の高さは二十メートル程度だろうか。
奥は暗くて見えない。
だが、触手が洞窟から出ているので、本体が中にいることは間違いない。
俺は逡巡なく、洞窟の中へと入った。
●リンクログ
▽ログ
…150:触手同士を絡ませて動けなくする
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