デートなのかも
二日後の昼。
俺は日差しを浴びつつ、窓の外を眺めた。
「……昼になってしまった」
宿の一室、その床には小さな桶が三つあり、それぞれ砂と土と水が入っている。
俺は固まった身体を強引に伸ばして眠気を飛ばした。
やってしまった。
二日間徹夜してしまったのだ。
魔術書なんて見る機会は日本ではないので、食い入るように読んでしまった。
全部説明すると長ったらしくなるので、要約する。
まず魔術書の冒頭には魔術とは何かが書かれていた。
大体はレミさんの言った通りだ。
魔術は万能ではなく無から有は生み出せない。
あくまで有を借り、魔力で変化させ、物理運動や化学反応を起こすだけ。
魔術の基本構造は、魔力を用いて属性対象に干渉して、変化させる、操るというもの。
だから基本的には属性対象そのものを活用することになる。
ただし光と闇は別物らしい。
そこら辺は詳しく記載されていなかったので、よくわからなかった。
土魔術書だし、しょうがない。
土魔術に関して。
まず土を操るという部分から始める。
そのため土と砂を用意した。
土魔術といっても、ただの土だけじゃなく砂も泥も岩も金属も操ることができる。
ただし重量、質量、硬度などが上がるにつれて、必要魔力量が変わるが。
ということで、まずは魔力を土に伝導することから始めた。
最初は手のひらから魔力を放出することが基本のようだ。
慣れれば触れずとも操作が可能になる。
俺は丸一日かかりようやく土へ魔力を伝播することができるようになった。
土に触れれば、土同士が触れているだけで、ある程度の範囲内にある土には干渉できる。
桶の中身くらいなら全部の土を操ることができた。
練度が上がれば、一帯の土を操ることもできるかもしれない。
ただし、ただ動かすことは簡単だが、思い通りの形にするのは難しい。
そしてその形をある程度の硬度を保たせるのもまた難しい。
しかし土の山を作るのは少し難しい。
その土の山を固めるのはもっと難しい、という感じだ。
ただ、さらさらと動かすことはできる。
一日でできたのはそこまで。
それから半日かけて、土から離れた状態で土に魔力を伝播させるところまでできるようになった。
二メートルくらいなら離れていても少しは操作できるようになったのだ。
そこまで可能になると、今度は手に触れた土が容易に操作できるようになった。
今では、桶の土すべてを触れるだけで持ち上げることが可能だ。
土が腕に纏わりつくような感じだな。
土そのものが生き物のように動く。
その土を腕から伸ばしていくにつれて、徐々に魔力が伝わらなくなりただの土に変わる。
魔力が完全に行き渡れば、鈍器くらいにはなりそうだ。
土を尖らせるのは無理だろうけど。
砂も同様だ。ただ土よりも砂の方が軽い。
その分、やや魔力の伝導率が高く、操作はしやすかった。
しかし反面、強度に欠けるため、砂の塊で何かを叩いても、やや軽い感触だった。
左手に砂、右手に土を纏って持ち上げる。
自由に形を変えていく。
そして離れた場所の桶に、落ちるように移動させた。
左手、右手で魔力の伝播効率はあまり変わらない。
魔力を消費しすぎると、目眩がして、さらに消費すると気絶するらしい。
魔力量は基本的に増えない。
だが俺にはテンプレーションがある。
ポイントを溜めて、改めてレミさんの店に行って鑑定するという儀式的なことをすれば魔力量が増えるだろう。
とりあえず第一段階がここまで。
これはまだ魔術所の序章部分。
まだまだやれることはあるし、魔術は奥が深い。
そして現在。
俺は土魔術を幾つか習得した。
一つ、シールド。
土の操作の応用だ。
ただし普通に集めては盾にはならないので、魔力を伝えて土の性質を変化させる必要がある。
簡単に言えば、土の塊内部の隙間をなくす。
硬度を高め、防具として使うというわけだ。
魔力量によってかなりの硬度を保てる。
ただし俺はまだ『普通の木』程度の硬さしか作れない。触れていれば、だが。
それに所詮は土なので硬度にも限界がある。
俺はまだ、土と砂しか扱えない。
その内、鉱物や金属を使えるようになるだろう。
二つ、ブロック。
土の塊を作るという魔術だ。
塊を飛ばすことも、その場にとどめることも、複数作ることも可能だ。
ただし基本的に触れずに扱う魔術なので、シールドに比べると強度は劣る。
また作成個数も魔力と、熟練度によって変わる。
俺はまだ野球のボールほどの大きさの玉を二つしか作れない。
飛ばせるのは三メートルくらい。
それ以上の距離になると、ただの土になる。
三つ、スキャン
土、砂、泥、石、金属などを探す魔術だ。
近辺にある土属性の対象を感知できる。
この魔術を基本として見えない場所の物質を操作できることになる。
また、土に混ざった砂、石などを完全に分けることも可能だ。
これ単体で敵を倒せるようなものではない。
今のところはこれだけだ。
付与魔術は初級の最後辺りに載っていたが、まだ俺には使えない。
俺のレベルは初級の初級程度。
まだ魔術の実用は難しいだろう。
だがどれだけの効果があるのか見たい気持ちもあった。
ということで。
俺はギルドに向かった。
寝不足だが、これくらいならまだいける。
ギルドに入ると、ランクDの掲示板に目を通した。
と。
突然、肩を叩かれたので、俺は振り向く。
頬に何かが当たった。
マールさんだった。
「なんれすか?」
頬を人差し指で押されたまま喋ったのでうまく話せなかった。
その口調が面白かったのか、マールさんはくすくす笑う。
と、周囲の冒険者の視線が集まった。
おい、怖いからやめろ、その顔。大の男が泣くな。
そんな男達の羨望の眼差しに気づかず、マールさんは言葉を紡いだ。
「ふふふ、こんにちは。今日も依頼を探してるんですか?」
「ええ、そうれふ、そろそろ、これどけてもらえまふか?」
「しょうがないですねー」
悪戯っぽい顔をしてマールさんは指を話してくれた。
両腕を腰の後ろに組んで、首をかしげる。
「顔色悪いですよ? 体調が悪いんですか?」
「いえ、ちょっと寝てなくて」
「ダメじゃないですか。不調な時に依頼を受けたら危険ですよ」
「大丈夫ですよ。これくらい」
マールさんは真剣な顔で俺に言った。
「そうやって怪我をしたり、死んだりする人もいるんです。
何が起こるかわかりませんし、絶対に依頼を受けたらダメですよ」
「で、でもですね」
「ダ・メ・で・す!
今日、私は昼上がりでもう仕事は終わりなので、一緒に帰りましょう。いいですね?」
有無を言わさぬ口調に、俺は思わず頷いた。
確かに、魔術が使えたことで高揚していたけど、考えてみれば危険なことをしていたんじゃないだろうか。
王都付近の魔物は弱いが、それでも他に危険がないとは言えない。
何かがある可能性を考えるべきだ。
万全を期して行動すべきだろう。
すこし、気が緩んでいたのかもしれない。
たとえ、今まで問題がなくても、これから起こる可能性は十分あるのだから。
マールさんに会えてよかったな。
「じゃあ、行きましょう」
腕を掴まれてギルドの外に連れて行かれた。
本当は土魔術の効果を試したかったんだけど、まあ、これもいいだろう。
マールさんと一緒にいると楽しいしな。
外に出て中央通りを歩いても、マールさんは腕を組んだままだった。
離れて欲しいと言うのも憚られたので、俺は素知らぬふりをした。
というか、胸が当たるので。
そのままでもいいかなと、思ったのだ。
この誘惑に抗える男はいるんだろうか。いや、いない!
「それで、なんで寝不足なんですか?」
俺の欲望に気づいていないのか、それとも知らないふりをしているのか、マールさんは普通に会話を続けた。
「実は、数日前に魔術書を買いまして」
「ああ、わかりました。魔術を覚えるのが楽しくて徹夜をしたんですね?」
「え、ええ、まあ、よくわかりましたね」
「大体、魔術を覚えたての人は、まず試したくなるんですよ。
冒険者なら、まず魔物に使おうとしますので。
まあ、往々にして効果に失望して帰ってくるんですけど」
「聞きたくなかった事実ですね……」
「ふふ、だから寝て休んだ方がいいんです。
あ、でも、数日なんて人はいませんね。
それまでに何か魔術の知識があったりしたんです?」
「いえ、まったく。
知り合いの魔術師に魔力測定を頼んだ時に、初めて魔術書を読みまして」
「じゃあ完全に数日前から勉強したんです?」
「そうですね」
「独学で?」
「ええ、一人で宿にこもって練習してましたよ」
「す、すごいですね。事前知識がなく、短期間に独学で魔術が使えるようになるなんて。
ち、ちなみにどれくらい使えるんです?」
「土魔術なんですが、シールドとブロックとスキャンですね」
「三つも!?
ふ、普通は一か月でようやく魔力伝播のコツを掴めるようになるくらいなんですよ!?」
「そうなんですか? そんなに難しい感じはしなかったけど」
「そんなに難しいんですよ! 私も少し魔術が使えますけど、一か月かかりましたし。
魔術を三つ覚えたのは三か月後くらいでしたよ。
たった数日なんて、すごすぎます!」
「そうなんですか? なんか実感がないですが」
興奮した様子のマールさんが俺の腕を引っ張ったり、上目づかいで語りかけてくる。
距離が近いとちょっとドギマギしてしまう。
「ブロックとかだと手を放して扱う魔術ですからね、魔力の伝播が難関ですし。
うーん、もしかしたらルイさんは、すごい魔術師になるかもですね」
「いえ、魔術師になるつもりはないんですけど」
「そ、そうですか。魔術師自体の数が少ないので希少で、お給料もいいんですけどね。
それに……冒険者よりは安全ですし、その方が私は嬉しいな、なんて」
「え? 何か言いましたか?」
最後の方が聞こえなかったので聞き返した。
するとなぜか、マールさんは慌てて首を横に振った。
「い、いえ何も! そ、そうです、お腹すきませんか?
この間、言ってたご飯に行きません? あまりに眠いなら無理にとは言いませんけど」
「いいですね、行きましょう。ずっと練習していたのでお腹空いてますし」
「よかったです、じゃあ行きましょう」
ニコニコしているマールさんを見ると、俺も嬉しくなってくる。
「私がよく行くお店でいいですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。むしろマールさんが普段行く店に行ってみたいですし」
「……そういうこと言っちゃんですよね、ルイさんって」
小声の上に、周りの喧騒がうるさくてまた聞こえない。
というか寝不足と疲労で感覚が鈍いような気がする。
「え? なんです?」
「何でもないです! さっ、行きましょう!」
俺はマールさんに腕を引かれて、中央通りにあるレストランに入った。
そこは下流街の割にはかなりオシャレでレストランというよりはカフェに近い。
オープンテラスもあり、見通しもいい。
若者が多いようで、店内も賑わっている。
俺達は店員に案内されて空き席に座った。
手書きメニューを見て注文を決める。
店員が下がっていった後、俺は口を開いた。
「人気みたいですね」
「ええ、今、かなり流行ってるんです。若い人が多いんですけど。
ご飯もおいしいし、見た目もオシャレですからね。
もしかして来たことあります?」
「いいえ、初めてですが、どうしてです?」
「なんか慣れてるというか……その、よく女性とこういう場所に来るのかなって」
過去に、そういうことは結構あったけど。
こっちでは初めてだ。
あえて隠すようなことでもないだろう。
「昔はそういうこともありましたけど、こっちに来てからはないですよ」
「……過去にはあったんだ。ルイさん女性慣れしてますもんね」
「たまたま女の子と一緒にいる機会が多かっただけですよ」
「あ、あの……その、お、お付き合いしている人がいたり……?」
「いないですよ。一度も交際経験はないです」
あまりに自然な会話だったので即答してしまったが、今の質問、結構踏み込んだ内容だったな。
うーん、気になるのかな。
「そうですか、よかった、私と一緒で」
「マールさんも交際した経験はないんです?」
「え、ええ、はい、まあ……。
その、年齢的にそろそろ結婚しろって言われたりもしますけど」
「あの、失礼かもしれないんですけど、俺と年齢、そんなに変わりませんよね?
俺は十七歳ですが」
「そ、その、恥ずかしながら、私は二十一歳です……」
俺は思わず首をかしげる。
「恥ずかしがる必要はないと思うんですけど」
「そ、そうですか? 一般的には二十歳を過ぎると結婚していることが多いので」
そうか。時代や世界が違えば結婚観も変わる。
二十歳くらいなら、まだ結婚するのは早いと俺は思っているけど、マールさんやこの世界の常識的には遅いということらしい。
俺が言うのもなんだけど、マールさんはまだ若いし、美人でしっかりしている。
焦って結婚する必要もないと思うけど。
周りの人間がせっついて、それが常識となれば、本人も焦るんだろうか。
俺にはまだわからないな。
「俺はまだ結婚を考えたりはしないですが、マールさんなら良い人に巡り合えると思いますよ。
マールさんは魅力的ですし、話してても楽しいですからね」
「そ、そうですか……あ、ありがとうございます」
マールさんは視線を泳がせて、少し困ったように笑った。
おかしいな、褒めたつもりなんだけど。
食事が来たので食べながら談笑した。
もちろん咀嚼しながら口を開いたりはしないけど。
そこら辺のマナーはこの世界でもあるようだった。
楽しい時間を過ごす。
会話は途切れることはあまりなかった。
俺が異世界から来ていることを話してはいない。
話しても信じてはくれないだろうし、俺を召喚したのが王様だと知れたら大事だ。
しかし、あの王は俺が吹聴するとは考えなかったのだろうか。
短絡的な行動をとる性格に見えたし、考えてないかもしれない。
あるいはそうなったら、もう容赦はしないと思っているのかも。
姫の進言があったから俺は助かったみたいなものだし。
まあ、それはいいだろう。
マールさんのことを色々と聞けた。
彼女は田舎の出で、わざわざ王都に出て働き始めたらしい。
ギルドに就職するにはかなりハードルが高いとか。
その上で突破し、働いているのだから、素直に称賛に値すると思った。
女性が自立するのは、異世界では難しく、だからこそ努力が必要だ。
マールさんは、実家にお金を送ったりもしているらしい。
一人っ子で、親も独り身の娘を心配している、とのこと。
まあ、笑いながら話していたけど、マールさんも気にしているんだろうか。
俺が話せることはあまりないので、聞くことが多かった。
ただ、マールさんは俺のことを慮ってか、あまり踏み込んだ部分の質問はしてこなかった。
こういう気遣いは、嬉しくもあり、申し訳なくもある。
そうして食事を終え、食後の紅茶をすすりながらも話した。
「――あ、すみません。長く話しちゃって。
寝てくださいって言いながら、私が引き留めては意味がないですよね……」
「いえ、大丈夫ですよ。楽しいですし」
それは本心だった。
マールさんとの会話は突出して面白みのあるものではなかったが、心地よく、もっと話したいと思うものだった。
俺の言葉に、マールさんは苦笑する。
「でも、寝た方がいいですよ。目の下のクマ。すごいことになってますよ」
鏡がないのでわからないが、マールさんが言うならそうなんだろう。
それに身体が異常に重い。
彼女の言う通り休んだ方がよさそうだ。
「すみません、それじゃそろそろ帰ろうと思います」
「ええ、そうしてください。食事ならまた来れますから」
「そうですね。よかったらまた来ましょう」
「ふふ、是非、お願いします」
店員にお会計を頼み、支払いをする。
以前に言った通り、俺が奢るつもりだったが、マールさんは自分の代金は出しますと言ってくれた。
あの時は、会話の流れでああ言ったが、奢ってもらうことは好きではないらしい。
こういうところが可愛げがないんですよね、と笑っていたが、俺はそういうところが彼女のいいところだと思った。
店を出て、マールさんと別れると、帰路に着いた。
一人になると、なぜか少し寂しかった。
疲れているからだろうか。
そう思い、俺は宿に向かった。
さっきまでの楽しい時間を思い返しながら。
●リンクログ
▽ログ
…200:魔術がすぐ使えるようになる【限定的:魔術を勉強して数日】
…400:女性キャラの言葉が聞こえず聞き返す【限定的:好意的な会話の一部】
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