強さとは?
「――ここは?」
目を覚ましたクラウスに、俺は答える。
「宿だ。王都の」
「王都……? サロック村ではないのか?」
「おまえ、一日以上目を覚まさなかったからな」
ここはクラウスが根城にしている、王都下流街の宿屋だ。
依頼を終えた俺達は、気絶したままのクラウスを運んで王都まで戻ってきていた。
すでに、報酬も受け取り済みだ。
時刻は夜。すでに月らしきものが昇っている。
「君が、あの魔物を倒したのか?」
「ああ」
「そうか……すごいんだな、君は」
殊勝な態度で、まるで別人のようだった。
生気も覇気もない。
あれだけ自信満々だったのに、今は元気がなかった。
目の前であれだけ無残にやられたのだ。
きっと取り繕う必要がなくなってしまったのだろう。
俺は無言で、クラウスの言葉を待った。
「君も何となく気づいていると思うけど、私は冒険者として未熟でね。
名ばかりランクC、なんて呼ばれていることも知っているよ」
自嘲気味に笑うクラウス。
「弱いって自覚もある。足を引っ張っていることも。
でも、それでも……これはただの執着心、なんだろうね。
諦めきれない、そんな情けない感情なんだろう」
クラウスは一拍おいて、言葉を紡ぐ。
「私の家、ギュンター家は由緒正しき上流貴族で、父も兄も官職についてる。
ご先祖様が爵位を賜ってから、誰もがずっとね。その中で私はこんなことをしてる。
上流貴族の中で冒険者をしている末子なんて前代未聞だよ。爪弾きものさ。
……普通に暮らし、教育を受け、親の言うとおりにすれば、婿入りでもして、最終的には男爵くらいにはなれただろうにね」
「それなのに、なぜ冒険者を?」
「私はね、昔から何不自由なく過ごしていた。勉学に励み、貴族としての嗜みを身に着けた。
疑問はなかったよ。十三歳になるまでは。
だが私は十三にして、自分の未来を悟ってしまったんだ。
きっかけは家族の話だった。みんなは僕の未来に関して話していた。
僕はまだ十三歳なのに、数十年先まで、僕の未来が決まったかのように話していたんだ。
僕の未来は決まっていた。そして僕の未来は僕ではなく他人が決めたことだった。
一般人から見れば、裕福で恵まれた人生だ。周りからはなんと贅沢な悩みだと詰られたよ。
でも私は気づいてしまった。このまま生きれば、私は何も得られないということに。
何をしても、何を得ても、それは父が、祖父が、祖先が築いたもの、この家柄があるからという前提条件がある。
それに気づいた時、私は自分を織りなす、自分が持っているすべてが与えられたものなのだと理解した。
不自由がない、ということはすべて揃っているということだ。死ぬまでずっと。
没落するようなことは決してない。父も兄も優秀だからね。
でも、私は彼らのように有能でもなく、誰かに尊敬されるような人間でもない。
だから、このままだと何も成し遂げられず、何も残せず、ただ生きて、死ぬだけの人生になる、とわかってしまった」
俺は黙してクラウスの会話に聞き入った。
クラウスは俺に言っているのではなく、自分に言い聞かせているように見えた。
「私は……何も勝ち取ってはいなかった。
家も家族も何もなく、その上で自分で勝ち取ったものがなかった。
私が、私そのものが得たものは一つとしてなかったのだよ。
だから私は数年後に家を出た。都市を出て、王都まで来て、下流層の冒険者になった。
持ち物や所持金は最低限で済ませ、必死で働いて、何とか生計を立てた」
「トマリは?」
「父が、私のお供をするように命じたようだ。まったく迷惑な話だとは思わないか?
…………私のわがままに巻き込ませるなんて。
でも父の命令は絶対。勝手に私から離れて帰れば、必ず厳罰に処される。
かといって、私は帰るわけにはいかなかった。
だから早くランクを上げて、有名になり、名誉と実績を持って、帰ろうと思った。
そうすればトマリのためにもなるし、私も自信を持てる。
でも、当然現実はそんなに簡単ではなかった。
苦労を知らない貴族の子供ができるような仕事ではなかったのだよ。
必死で依頼をこなした。しかし結局難易度の低い依頼ばかりになった。
二年だ。二年かけて、私は先日やっとランクCになった。
こんなに昇格が遅い冒険者は稀だ。誰でも時間をかければランクCにはなれる。
足掻いて、大丈夫だと言い聞かせ、自信があるように見せて、虚勢を張る。
そんな、そんなことを……してる自分が、情けなくて……しょうがない……ッッ!」
クラウスは歯を噛みしめ、布団を強く握った。
呻き声を漏らす。耐えきれない思いを漏らすように。
「四年間、毎日走った! 剣を振った! 鍛えた!
依頼も率先して受けたし、危険なことからも逃げなかった!
どんなことにも私が先んじて行動した!
諦めなかった。弱音も吐かなかった!
戦った。ずっと戦い続けて、休まず依頼をこなした!
でも……でも、私は……何も、何も勝ち取れていない……ッッ!
何も得ていない、何もできていない、何も何も何もッッ!!
私は、うっ……ううっ……今も、最初からずっと、弱いままだ……ッ!」
泣き叫び、布団に顔を埋めるクラウス。
俺は何も言わない。
ただ心情を吐露する彼の言葉を聞いた。
しばらく嗚咽が漏れていたが、やがてそれも治まる。
「……す、すまなかった。出会ったばかりの人間にこんなことを」
「いいさ。これも何かの縁だからな」
「話したら、少しだけすっきりした。ありがとう」
目を腫らしながらも、礼を言った。
すっきりしたようにはまったく見えない。
「これからどうするんだ?」
「もう少し、頑張ってみようと思う。
トマリは……どうにか問題なく帰れるように取り計らっている最中だから、もう少し時間がかかるが。
何年も私の尻拭いをしてくれたんだ。戻っても何も言われないようにはできるだろう」
「そうか」
一人でもまだ立ち向かうのか。
これだけ打ちひしがれてもまだあきらめないのか。
そんな男を前に、俺は何もしないのか。
俺は後頭部を掻いた。
嘆息し、眉根を寄せて、手を出した。
「なんだい? 依頼の報酬かい? それなら後で」
「いや、報酬はもう貰った。あんたの分はトマリが持ってる。手を見せてくれ」
「なぜ?」
「いいから、見せろって」
怪訝そうにしていたクラウスは緩慢に手を差し出してきた。
俺はその手を掴むと、観察する。
「手の皮は厚い。何回、いや何十回もマメが剥けた証拠だな。
骨格はやや細いが、筋力はそれなり。鍛えているという言葉は事実らしい。
あれだけの怪我を負っても、動けるなら打たれ強いということでもある。
筋肉の付き方や先日の戦い方を見ると、剣術の基礎はできているみたいだ。
ただ身のこなしと、技術がまったく身についていない」
「な、なんだ、急に」
「強くなりたいか?」
「突然何を」
「いいから答えろ。どうなんだ?」
「つ、強くなりたいに決まっているだろう。私はそのために、ここにいるのだから」
「そうか、じゃあ、俺が鍛えてやってもいい」
俺の言葉にクラウスはきょとんとしていたが、やがて立ち上がり、俺の肩を掴んだ。
「ほ、本当か!? い、いや、しかし、私は君の力量を知らない。
師事を請うべき人物なのかまではわからない」
「それなら僕が保証しますよ」
扉を開けて部屋に入ってきたのはトマリだった。
まったくなんてタイミングで入ってくるんだ、こいつは。
「トマリ? 聞いていたのか」
「たまたまです。それより、カンナさんの強さは僕が保証します。
彼はクラウス様の剣であのフロッグを倒しました。無傷で、しかも数秒で」
「何だと!? そ、そうか。おまえが言うなら信じられるな。
では、カンナ、いやカンナ殿。あなたは私を鍛えてくれる、と?」
「ああ。ただし条件がある。
一つ、弱音を吐かない。二つ、逃げない。三つ、金を払え。四つ、死ぬな。
この四つを守れば、鍛えてもいい。金は雑用依頼を参考にして決めてくれていい」
「さ、最後以外は自信があるが……わかった。
だが言っておくが、私は才能がまったくない。
過去に手ほどきを受けたことも何度かあるが、全員が諦めてしまったほどだ」
「あのな、武術も剣術も、才能なんてなくても強くなれるんだよ。
必要なのは根性。絶対に逃げない心。そんだけだ。
一定以上の強さを望むならは才能がいるけどな。
そこまでは健康な身体があれば、到達できる」
じいさんの言葉だけどな。
クラウスはわかりやすいほどに、表情を明るくさせた。
だが、取り繕うように顔を背けてしまった。
「で、ではよろしく頼む!」
「ああ。まずは怪我を治せ。鍛錬はそれからだ。時期が来たら連絡する」
「わ、わかった。頼むぞ、いや頼みます、師匠」
敬語はいらない、師匠もいい、と言おうとしたが、寸前で思いとどまる。
誰かを教育する際、できれば上下関係があった方がいい。
その方が素直に指示を聞けるからだ。
俺達の付き合いは数日だし、半ば強制的にでも関係性を構築した方がいいだろう。
俺はゆっくり休むように指示をして、部屋を出た。
次いでトマリも外に出ると廊下を共に歩き、途中で止まった。
「で?」
「……何ですか?」
「聞いてたんだろ、話」
気まずそうに視線をそらすトマリだったが、それでは肯定しているようなものだ。
「少なくとも、あいつの本心は聞けた。
おまえの苦労を俺は知らないし、あいつを擁護するつもりはないけどな。
おまえ、別にあいつのこと嫌いじゃないんだろ?
じゃなけりゃ、ここまで世話をしない。気にしない。もっと適当にあしらうだろ」
「それは……」
「意固地になる理由もわからないでもない。
けどあいつも自分のことを理解して、できるだけのことをしようとしてたと思う。
ジークは、まあヘタレだったけど、多少は腕に覚えがあった。
クラウスが本当に自分に自信があるのなら、わざわざ前払いで報酬を払ってまで強い奴を集めたりしないだろ。
おまえのためなんじゃないのか?
俺には、クラウスがおまえに感謝してるように見えたぞ。
それに、おまえに迷惑をかけて悪いとも思っていた」
トマリは何も言い返さない。
これ以上は言うべきではないだろう。
俺はトマリの肩をポンッと叩き、廊下を進んだ。
「じゃあな。クラウスが帰れるようにしてくれるって言ってたし、故郷に戻れるかもな」
俺はそう言うと、宿を出た。
そのまま安宿に向かう。
夜風が気持ちよかったが、心にはしこりが残っている。
これでよかったんだろうか。
何か厄介ごとを背負った気がするけど。
まあ、いいか。
後悔先に立たず。後悔するくらいなら前を向いた方がいいだろう。
そう思い、俺は邪念を振り払って、帰途に就いた。
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