始まりは異世界転生からが基本
俺はどこにでもいる普通の高校生だ。
容姿、成績は平均。
ちょっとだけ運動が得意だが、他に特徴らしい特徴もなく、一般人を絵に描いたような人間だ。
今日も妹に起こされ、いつも通りに迎えに来てくれた幼馴染と学校に登校した。
妙に学校の女子の情報に詳しい親友と、いつも通り他愛ない話をして時間を過ごす。
海外から転校してきた可愛い女子の話題で持ちきりだったけど、三回目なので俺にとっては慣れたものだった。
俺の高校の生徒会はかなり力を持っている。
生徒会長は才色兼備、文武両道の完璧な大和撫子系の女子だ。
そんな彼女が、俺になぜか興味を持ち、書記として勧誘してくることもある。
学校の名称は高等学校ではなく、なぜか名前は学園だ。
マンモス校で、各運動部には超高校級の学生がいたりする。
そういえば最近、俺に干渉してくる女子が増えている。
理由はよくわからない。
後輩の小動物系の女子だったり、同級生の無口だけどかなり顔が整った女子だったり、新任の女教師、それに加えて幼馴染まで一緒になって、俺に関わってくるのだ。
妹の嫉妬心が激しくなっている気がするけど、気のせいだよな。
大したきっかけはないと思うんだけど、そんなことになっている。
なぜなんだろうか。
とにかく、俺はそんな普通の学生だ。
退屈な日々ではないが、平穏な日々。
恐らくはこれが幸福だったと思える日が来るだろうくらいには、満たされた日常――だった。
「あ、が、が……うぐ」
視界が赤で塗りつぶされる。
徐々に暗くなり、よく見えない。
全身が痺れている。
地面には赤い液体が広がっていた。
俺の体温が急激に下がっている。
寒い。
けれど、腕の中にはぬくもりがあった。
誰かの頭部が見えた。
ああ、そうだ。
思い出した。
俺は、珍しく一人で下校することになって何となく、開放感に浸っていた。
いつもは幼馴染やら妹やらが一緒に帰ろうと誘ってくるからだ。
悠々自適に道草でも食うかと思っていた。
そんな時。
通学路の途中で、道路に飛び出す子供がいたんだ。
走行中のトラックの運転手は子供に気づいていなかったようだった。
俺は無意識の内に道路に飛び出し、子供を庇った。
そして。
今に至っている、ということ。
なんだ、簡単なことだ。
車に轢かれたんだな。
背中が痛い。いや腹が痛いのか。どこが痛いのかよくわからない。
腕の中にいる女の子は無事だろうか。
気絶しているみたいで、身動ぎしない。
頭を打ってしまったのだろうか。
俺の身体ではクッションにならなかったのだろうか。
まだ小さい。小学生にもなっていないだろう。
こんな子供が死んでしまうなんて、絶対ダメだ。
でも、俺にできることはもうない。
俺はもうダメなんだろう。
段々感覚がなくなってきた。
体温も感じない。
意識も途切れていく。
ああ。
死ぬみたいだ。
そう思った時、俺の意識は暗い水底へと沈んでいった。
◆◇◆◇
――そこは白い世界だった。
何者も何物も存在しない。
生物の息吹を感じない空間には、俺一人だけが立っていた。
「……生きて、る?」
死んだはずだ。
死んだと思った。
それくらいの絶望感だった。
初めて覚えた感覚、恐ろしいくらいに残酷な喪失感。
命を奪われ、もう取り戻せないという実感。
抗えず、意識を刈られる、そんな感覚だった。
生物が死ぬときはみんな同じように感じるのだろうか。
人は死期を悟ると言う。
俺はその死の感覚を覚えていた。
自信を持って言える。
俺は死んだのだ、と。
でも俺は生きている。
身体は動くし、体中は血だらけでもないし、傷一つない。
安堵と不安が入り混じった心境のまま、俺は周囲を見渡した。
誰も、いないようだ。
「いるわよ」
「うおっ!?」
背後から声がした。
俺は思わず、その場から飛び退いてから振り返る。
そこにいたのは、同年代の女の子だった。
金髪碧眼で、恐ろしく顔が整っている。
腰まで伸びた少し癖のある金糸は、彼女が動くたびに揺らめいていた。
スタイルは抜群で、スカートから伸びている足が艶めかしい。
そんな目を奪われるような容姿の女の子を前にしても、俺の頭は一つの疑問で占められている。
「だ、誰だ? 君は」
「見てわかんない?」
女の子は両手を広げて、自分の姿を見せつける。
かなりの美少女と言っていいだろう。
それ以外に、特筆すべき点はない。
俺は首を横に振った。
すると彼女は、おかしいな、とばかりに口を尖らせた後に答える。
「あたし、神様」
「神様……?」
「うん。神様。ここは天界。あの世。涅槃。その手前。そんなところね」
女の子は淡々と話していた。
だが、俺はその言葉のすべてが呑み込めない。
一言で表現すれば、何言ってんだこいつ、である。
俺の表情を見て、女の子は更に怪訝そうに言った。
「あんた、テンプレみたいな人生なのに、こういうテンプレ的な展開はわかんないの?」
「……テンプレ、ってなんだ?」
「え? 嘘……自覚ないの!?
あれだけテンプレラノベ主人公みたいな生活しておいて!?
可愛い幼馴染とか妹とか生徒会長とか転校生とかから言い寄られているのに!?
それでも自分は平均的な高校生だ、とか言っていた癖に!?
いくらでも情報なんてネットに転がってるのに!?
なのにテンプレ人生だって気づいてないの!?
まさかネットから隔絶された生活してるわけじゃないわよね……?」
「失礼だな。ネットくらいするぞ。そのラノベ、とかテンプレとかは知らないけど」
「あ、あー、まあ、そういう人もいるか……。
いや、でも、うーん、さすがに気付くもんじゃないの? 逆に気付かないのかな……」
独り言を漏らしている女の子を前に、俺は焦れてしまい、問いかける。
「あ、あのさ、ここはあの世なんだよな? ってことはやっぱり俺は死んだのか?」
「え? うん、死んでるわよ?」
あっけらかんと答えられたので、何を言っているのかわからなかった。
しかし言葉の意味を理解すると、急に腹の底に重い物がのしかかる。
死んだ。
俺はやっぱり死んだんだ。
落胆し、視線を地面に落とすと、女の子は続けて言った。
「まあ、交通事故から神様に会うのもテンプレだし、しょうがないわよね。
あんたほど、テンプレに愛された人間なんて他にいないし、無理もないというか」
「無理もないって……俺、死んじゃったんだぞ!?
もう、みんなと会えないんだぞ……なんだよ、それ」
「あ、そこの反応は結構、普通なのね。知らないから逆にそこはテンプレじゃないわけか。
まっ、それはそれで新鮮だしいいかも。
なるほど、ネット小説にあるような展開か……みたいな感じですぐに順応されると白けるし」
「……君が何を言ってるかわからない」
「まあまあ、そこは説明してあげるわよ。
あ、言っておくけど、あんたが死んだのはあたしのせいじゃないから。
自然死、というかテンプレ死みたいな。ある意味、幸い中の不幸みたいな感じね」
何を言っているのかわからなかったけど、俺が死んだことは覆らないことはわかった。
もう、日本には戻れないらしい。
みんな元気で。
寂しいし、気がかりだけど、もうどうしようもない。
だって俺は死んでしまったんだから。
ああ、このまま天国へ行くのだろうか。
いや、そんなに善行をした記憶はないし、もしかしたら地獄か。
せめて普通に、今までのような平凡な生活ができればいいけど。
というかあの世では意識があるんだろうか。
「それで、その、どうして俺はこんな場所に?」
「まあ、実はお願いがあるのよね」
「お願い……?」
「ええ。ちょっと、異世界を救ってきて欲しいのよね」
「うん?」
何か今、おかしなことを言われたような。
気のせいかと思って、聞き返したが、女の子は答えない。
「実はあたしの管轄の世界――あんたがいた世界とは別の世界だから、異世界ね。
そこで強大な魔王が生まれちゃってさ。人間が滅ぼされちゃいそうなのよね。
あたし神様だから、世界に過干渉できないし。
本来はこうやって直接お願いすることなんてないんだけど。
でも、異世界の力のある王族が召喚魔法を使っちゃってさ。
まあ、いわゆる勇者召喚って奴ね。世界を救ってほしい、っていう奴。
そのまま放置すると、ただの人間が召喚されちゃうわけ。
まったく、術式も大して理解してないのに、すぐに使っちゃうのよね、人間って。
とにかく、善良な一般市民が異世界に行って勇者として生きていけるはずないじゃない?
普通の人間は適応できないし、特殊な力を扱う素質もない。
つまり、まず間違いなく死んじゃうわけね。それじゃあかわいそうじゃない?
でもテンプレに愛されたあんたならたぶん使いこなせる力があるのね。
それに子供を助けるような善人でもあるわけだし、適任だと思ったのよ」
矢継ぎ早にまくしたてられ、俺の頭はついていかない。
しかし重要だろうことはわかったので、必死で理解しようとはしていた。
「で、あたしが陰ながら助力しようと立ち上がった!
あたしの存在はあっちの世界の人間は知らないわ。
一応、崇められてはいるけど、かなり美化されちゃってるし。
とにかく、異世界の人間に手を貸してあげようと思って、あんたをここに呼んだわけ」
「ちょ、ちょっと、待ってくれ。
その、よくわからないけど、つまり、その、俺は異世界とかいう場所に行くのか?
そこで、魔王とかいう奴を倒す、ってことか?」
「端的に言えば、そういうことね。
行きたくなければ断ってもいいわよ。その場合、このまま死ぬけど」
「し、死ぬ?」
「ええ。だって交通事故自体は運命づけられたものだもの。
あたしみたいな神が決めたんじゃなくて、世界そのものが決めたこと。
だから絶対に覆らないわよ。あんたは何もしなければこのまま死ぬ。
けど、あたしの申し出を受ければ、生き返してあげるわ」
「ほ、ほんとか!?」
「ただし、あんたがいた世界には戻れないけどね。
死んだ人間が同じ世界で生きているなんて、因果律が歪んで、世界の法則が破壊されちゃうから」
俺は肩を落とした。
もしかしたら生きて帰ることができるのではと思ったからだ。
でも。
もう無理だとも思っていた。
多分、この提案を飲まなければ本当に死ぬんだろう。
なぜか、彼女の言葉は真実だと、俺は直感していた。
これも神様とやらの力なんだろうか。
「死ねば無になる。意識がなくなって、魂なんて存在もないわ。
ただの無。あんたという存在は消えてなくなる。今感じている感情もすべてね」
なくなる。
すべてなくなる。
魂も何もなく、ただ無に帰す。
その冷徹な言葉に、俺は恐れおののいた。
死後の世界なんてなかった。
天国で普通の人間のように暮らすなんてことはなかったのだ。
死ねば何も残らない。
だったら。
選択肢はないじゃないか。
だって、俺は死にたくないんだから。
「…………どうすればいいんだ?」
「あら、意外に気持ちの切り替えが早いわね」
「そうしないとどうしようもなくなるだろ。
だったら、やるべきことを明確に理解しないといけない」
「ふーん、ただのテンプレ王子じゃなかったわけか。
ん? いえ、もしかしたらこの方がテンプレっぽい?
よくわかんないわね、こういう時は……。
ま、いいわ。あたしとしては助かるし。
あんた、えーと、名前なんだっけ?」
「……神奈累」
「こりゃまた、主人公っぽい名前ねぇ。
あたしはリザ。長ったらしい名前があるけど、リザでいいわ。
敬語もいらない。って、あんたはタメ口だから、別に言う必要もないか」
リザは本当に神様なんだろうか。
だったら同年代に見えても、敬意を払った方がいいような気もしてきた。
しかし、本人が敬語はいらないって言うなら必要ないだろう。
神様っていうぐらいだから、見た目に反して、中身は結構な年齢なんだろうか。
「何か言いたいことがあるみたいだけど?」
何か踏み込んではいけない領域のような気がして、俺は頭を振る。
だって、リザの顔が明らかに不愉快そうだったからだ。
「いや、何も」
「そう? ならいいけれど。
じゃあ、累。こっちを向いたまま、正面を見なさい。目をつぶっちゃダメよ」
「わかった」
今は、素直に従うしかなさそうだ。
自分でも不思議だが、なぜか状況を受け入れつつあった。
強い動揺もなく、ただ漫然と現実を飲み込んでいる。
これは相手が神だからなのか、それとも俺自身の心の作用なのか。
リザは俺の正面に立ち、つま先立ちをする。
俺よりもやや身長の低いリザだったが、今は俺と同じ目線になっている。
そのまま近づいて来たので、俺は思わずのけ反りそうになる。
「動いちゃダメよ」
言われて、身体が硬直する。
動悸が激しくなり、発汗が促された。
彼女の双眸が目の前にある。
月並みだけど、吸い込まれそうなほどに澄んだ瞳だった。
見惚れていると、突然目に熱が込み上がってきた。
痛みとは違う違和感に、俺は目を閉じそうになったが、必死で堪える。
そのまま数秒我慢していると、涙と共に不快感は消えていった。
リザが俺から離れて、小さく頷く。
「はい、終わり。これで、あんたには特殊な力が備わったわ」
俺は瞼を半分閉じながら、何度も瞬きをした。
まだ違和感が残っている。
「……特殊な力、って?」
「ふふふ、教えてあげましょう!
その力の名は『テンプレーション』!」
「てんぷれーしょん? さっき散々、テンプレとか言っていたけど、その関係か?」
「そうね。まあ、造語だけどね!
テンプレの星の下に生まれたテンプレ王子が扱う、テンプレ展開を実現する、テンプレ操作能力、それがテンプレーションよ!」
涙が止まり、視界も明瞭になった。
視界の中央で、リザが仁王立ちしてふんぞり返っている。
よくわからないが、満足げだ。
俺は首を傾げた。
「何を言ってるか、わからないんだけど」
「テンプレ自体を把握していないあんたに言ってもわからないでしょうね……。
とにかく力を与えた時にテンプレに関する情報もあげたから、あとは自分でどうにかしなさい。
その時がくれば、自然に理解できるはずよ」
「い、いや、せめてどういう世界に行くのかとか、力の説明をしてくれないと困るぞ!?」
「いい? 累。甘えてちゃ厳しい世界では生きていけないわ。
だからすぐに誰かに頼ったらダメ。自分で考えるの。
それが力になり、あなたの糧になる。そうして人は強くなるのよ」
過剰なほどに優しいまなざしを俺に向けている。
なんかいいことを言ってる風に思えるような気がしないでもない。
「……ってか面倒くさいし」
本音が聞こえてしまった。
俺は問い詰めようとしたが、それは叶わなかった。
自分の身体が薄くなっていくことに気づく。
「な、なんだこれ!?」
「安心して。転移が始まっただけだから。
ちゃんと肉体もあるし、元の身体と一緒だから。
ちゃっちゃと異世界に行って、ちゃっちゃと魔王を倒して、ちゃっちゃと救ってくれたら、後は好きに生きていいわよ。
じゃ、がんばんなさい。
あ、できるだけ早くね。猶予は三年くらいしかないから」
「お、おい! ちょっと! 幾らなんでも不親切すぎるだろっっ!」
「時に、現実は非情なのよ……。
ってか、登場人物が一から十まで説明したら、物語が進まないでしょ。
さっさと行って、実地体験して、自分でなんやかんやしなさい!
じゃあね、ルイ! 死なないようにね!」
最後に、危険な言葉が聞こえたが、聞き返す前に、俺の視界は黒く染まった。
もしかしたら、あのまま死んじゃった方がよかったんじゃないか、という後悔を抱いたまま。