《魔女の胎動》2.風の仔
トウヤが刻印をあらかた終えた頃、教室の扉を勢い良く開けてフロウが現れた。
「ようやく見つけた!トウヤ、今日は僕と鍛錬する日でしょ!忘れないでよね!」
けっこうなご立腹だった。
それもその筈。この日のこの時間、と決めていた鍛錬を、トウヤがすっぽかしていたからだ。
「悪いな、鎧を引き取りに行ってたんだ。伝えるの忘れてた☆」
正確には、引き取るまでは覚えていたが、新しい鎧を見てテンションが上がり、そのままコロッと忘れていたのだ。
「テヘペロ!?反省なしか!」
さらにご立腹である。
「まぁまぁ、これを見てくれ」
ぷりぷり怒るフロウをなだめ、トウヤは自分の新しい鎧を見せる。
「な?」
妖しく艶めく紅い甲冑に、フロウの目が向く。
フロウにもこのカッコ良さが理解出来たようだ。
「な?じゃないし!確かにカッコいいけど!」
一瞬怒りを忘れたが、流石に騙されなかった。
もう少し押してみよう。
「だろ?」
トウヤのひと押しに、再びフロウが鎧に気を取られかけ、ハッとした表情になる。
「くっ!手玉に取られてる気がする!」
「まぁ、冗談はさておき」
さて、本気で怒られる前に止めよう。
「弄ばれた!」
フロウは涙目になって地団駄を踏んだ。
「ごめん、ごめん。鍛錬忘れてたのは謝るよ」
「まぁ、良いけどさ」
喜怒哀楽コロコロ変わる娘である。
学院内でこんなに軽いやり取りを出来るのはフロウか奏子くらいだ。トウヤ自身も真面目な方だが、他のクラスメイトたちはもっと真面目なのである。
「で、刻印は終わったの?」
フロウの問いに首肯すると、フロウはニッと笑った。
「じゃ、鍛錬行こうよ!」
***
場所は変わって演習場。
放課後の演習場には、自主鍛錬する生徒たちがまばらにいる。
トウヤたちも適当な場所を探し、一画に陣取った。
「今日はどうする?」
「んー、今日はルーナもいるし、久々に飛んでみる?」
流れでルーナも同席しているので、いつもの戦闘形式ではなく、飛行訓練にしようとフロウは提案する。
「良いね。そうしよう」
魔術学院の中でも身体の機能として飛べる者は少数で、ウルズにはルビアしか居ない。魔術で飛べる者はそれよりやや増える。フロウもトウヤもその中の一人だ。
「フロウちゃんはともかく、トウヤさんも飛べるんですか?」
「フロウほどじゃないけどね」
フロウから魔術を習ううちに飛行も魔術であることを知り、鍛錬の末に飛べるようになった。
「足の裏で風を踏むんだよ。ムギュってね」
「相変わらず感覚的だな」
感覚的なフロウから学ぶのは容易ではなかったが、それでも実際に魔術で自在に空を飛ぶ者を間近で見ていれば、それなりに理解は深まる。とはいえ、足裏に風を受けて浮き上がり、その強弱と姿勢制御で進んでいると理解できたのはついこの間。卑王竜の一件の前だ。
「風霊なんてそんなものだよ」
「フロウちゃんほどじゃないと思うけど」
フロウは軽く言うが、風の精霊でもこれほど自在に飛ぶ奴はなかなか居ない。そもそも、飛べるほど強い風を纏える方が稀だ。空中アクロバットを決める風の申し子はそれだけで才能の塊なのだ。
「簡単、簡単」
「軽く言うなぁ」
それを見てそれなりに追従できてしまうトウヤもまた異常だが、本人がそれを特別だと思っていないあたりタチが悪い。身近な友人に嫌われないのは、トウヤが人当たりの良い男だからだ。それに加えて、トウヤの身近には才能を持つ者の方が多い。才能に恵まれている事が普通なので、記憶を失っているトウヤからしてみればそれが普通であり、廻りからしても指摘するような事ではなく、トウヤの認識のズレは徐々に大きくなりつつあった。
「トウヤもおいでよ」
「はいはい」
トウヤが集中する。
渦巻く風。
下半身に魔力を集め、風を纏う。
足首から下に小さな魔弾を作るイメージ。
姿勢を崩さぬように腰廻りにも4つ。
ふわり、と足が地面を放す。
「だいぶ上手くなったよね」
「こないだルビアにも褒められたよ」
飛びながら会話出来る程には習熟していた。
四季祀鬼で飛び跳ねた経験値もあり、浮き上がるだけならすでに詠唱無しで行ける。トウヤは鎧の改修とともに追加したもう一つの礼装を起動する。
「新しい力、見せてやるよ」
そう言って、トウヤは紅いアンクレットに命じた。
「災禍礼装《四季祀鬼神装式》、展開」
空間転移系魔術を利用した圧縮ストレージが、刻印したての紅い甲冑を吐き出し、トウヤの然るべき場所へと装着させる。鎧の重量がトウヤの高度を一時的に落としたが、鎧の刻印が発動し、強化と飛行を自動制御に切り替え、再び安定する。
「おぉー!カッコいい!」
フロウが歓喜の声を上げて、ちょこまかと改めて鎧を観察する。
「やっぱ鎧は着ると印象かわるよねー」
紅の夜叉。
刀は仕舞ったままだが、身体強化が効いているので徒手空拳でも戦えるだろう。
魔力の消費は多いが、鎧に強化や飛行の術式を刻んだ分、より多くの魔術にキャパを割り振れる。稼働時間とはペイオフの改修だが、そこは今後の調整課題だ。
「この状態なら、多分素でレクレスとも殴り合えると思うよ」
「それは凄いとは思うけど、一体何を目指してるんだか」
鬼状態でそんな事を言うトウヤを笑い、それからフロウは地上から見上げるルーナに言う。
「ルーナも飛んでみる?」
地上に降りたフロウはルーナの手を取り、ルーナごと浮き上がる。
「ちょ、ちょっと、フロウちゃん!待って!」
言い終える前にフロウはルーナを引き上げて、フロウの風がルーナを浮かせていた。二階ほどの高さなので落ちても大した事はないが、急に飛び上がるのは少し怖いかもしれない。特に、自分で飛んでいるのではなく、他人の魔術で浮いているのだから余計に不安だろう。
「大丈夫、大丈夫。僕が支えてるから」
「うぅ…絶対離さないでよ?」
涙目でフロウにしがみついたままのルーナに、イメージを伝える。
「ルーナ、足裏で上向きの魔弾を受ける感じだ」
「簡単に言わないで下さい」
簡単にいかないのはトウヤも解っている。
ルーナはしばしの瞑想のあと、ゆっくりと詠い始めた。
「ーーーー」
詠唱とともにルーナの足元に粉雪が舞う。続けて上昇気流が起こり、つむじを巻く吹雪となってルーナの足裏を押し上げる。
「その調子だよ」
しがみついたフロウにかかる重さが徐々に減っていく。
しかし、浮き続けるには風の威力が足りないようで、フロウに寄りかかるのを止めると高度を維持できない。
それを見ていたフロウはルーナに提案する。
「んー、足裏だけでダメなら、翼で受けてみる?」
氷を作り出す事は出来るルーナなら、氷の翼も作れる筈だ。イメージさえ出来るなら、翼で風を受ける面積を確保出来れば飛べるかもしれない。
「やってみるね」
ニコニコと提案するフロウにルーナは頷いた。
「ーーーーーーー」
ルーナは再び詠う。
旋律は冬の風。
凍てつく氷が寄り集まり、ルーナの背中に翼を授ける。
透き通った歪な彫像。アズと同じような、しかし全てが氷の翼。
氷の魔女が吹雪を受けて、大きく飛翔する。
トウヤはその光景を見て、未来を幻視した。
一面の雪景色に、無数の朽ち果てた骸の山。
存在を奪い去る氷の魔女が起こした大量殺戮。
そして、最期には自壊する運命の断片。
それを、トウヤは防ぎたいと、願った。
スイッチが切り替わり、時も場所も知れぬ有り得ざる座に在る神と繋がる。
『視ろ』
ルーナ・スノゥブライトという魔女の未来を。
『識れ』
狂える魔女たる可能性を。
『捧げよ』
その可能性を識りたいのなら、代償を捧げよ。
啓蒙の異形が囁いた。
(いいぜ、くれてやる)
途端、内側から魔力を食い荒らす。
深淵、混沌、未知なる虚から伸びゆく触手に身を委ね、魔力を捧げて知識を授かる。
(…寄越せよ、クラーケン)
流れ込む。
食われた魔力の分だけ、知識が膨れる。
氷の魔女の可能性。
暴走し、殺戮し、死にゆく可能性。
魔女の凄惨たる最期の可能性を、トウヤは引き出す。
同時に、トウヤは奇妙な感覚も得る事となった。
“近衛トウヤは、防ぐべき事を防ぐ存在である”
いずれ起こるであろう悲劇を防ぐため、トウヤは此処に居る。
そんな感覚とともにクラーケンとの接続は途切れ、トウヤは目の前のルーナを見やる。
暴走するのか?
本当に?ルーナが?
だが、今までの未来視を振り返れば、それが実現する可能性は高いのだろう。
そんな事を考えていたその時、背後に強烈な殺気を感じた。
誰かはすぐに思いあたり、それが正しい事はすぐに証明された。
振りかぶられた大鎌の刃が、トウヤの構えた氷の盾に食い込んだのだ。
「面白そうな事をしているな、トウヤ」
「相変わらず血気盛んだな、アズ」
トウヤが振り返ると、蒼の魔族アズュール・アズリィルの鋭い笑みが、そこにあった。




