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《獣の咆哮》7.つかの間の平和

学院のとある地下室。

魔術結界の檻に囚われた少女の前に、リフィはいた。

「さて、そろそろ私の話を聞く気になったかな?」

囚われた少女ーフルアーマーに金髪赤眼、頭には漆黒の犬耳が生えているーは、魔術結界を破ろうと長い時間暴れた結果、かなり疲弊していた。

「小生、魔界に帰りタイ…」

少女ーケルベロスの変成者はうなだれたまま呟く。頭頂の犬耳も、本人と同じようにへたっていた。

彼女には、リフィから与えられた選択肢が2つあった。

一つは、使い魔となって、学院内での自由を得るもの。

もう一つは、学院の研究部に引き渡され、実験材料となるもの。

ケルベロスは郷愁の想いでいっぱいのようで、未だにリフィの問いに答えていない。リフィが円卓に顔を出している間もなんとかして脱出しようと努力していたようである。

「君を魔界へ返すことは出来ない。それは説明しただろう?」

魔界へ返せない理由は、ケルベロスを召喚した魔術の帰還妨害に起因していた。

召喚魔術は一時的に何かを呼び寄せる魔術だが、これには明確な弱点が存在する。それが強制的な帰還だ。

帰還妨害とは、その名の通り召喚魔術が途切れたり終了した際に、被召喚対象を元の場所に戻す対の術式だ。普通は召喚魔術自体に組み込まれた術式の一部にあたり、これを削除すると魔術自体が不安定化するため、バランスを取るのに無くてはならない文言だ。

しかし、一定の力量があれば、無理矢理制御したり代償を増やす事で省く事もできなくは無い。それが帰還術式の削除、妨害で、術式の逆探知による強制送還ができなくなる。召喚魔術を使用して使役を考える場合、必ずと言っていい程この術式は削除されるのだ。学院講義ですら、実力を自動判断し、対応出来ると判断されれば起動しないようになっているのだから、学院反対派の魔術師が考慮していない訳がなく、ケルベロスの送り先は端から解らないのだ。

選択肢など、最初から学院への隷属しかない。

それがハードか、そうでないかの違いだけだ。

「小生、(あるじ)、要らナイ…」

ケルベロスは大盾に顔を隠し、すんすんと鼻を小さく鳴らして涙を零す。そんな様子のケルベロスを見て、リフィはあることに気付いた。

「…………ーーーー」

ケルベロスは、無意識なのか、大盾の匂いを嗅いで、安心したような表情をしているのだ。

リフィはしばし考えて、ケルベロスに聞こえるように呟く。

「君が承諾してくれれば、いずれその盾の持ち主にも会わせてやれるんだが…仕方ない。研究部に引き渡すか」

その言葉にケルベロスの犬耳がピクリと動いたのを見逃さず、たたみかけるようにリフィは囁く。

「研究部では、とても痛くて苦しい実験をずぅっとしているらしいし、鎧皮がない今だと辛いだろうなぁ…。私も心が痛むが…本人が嫌だというなら仕方ないなー…」

リフィの誇張したセリフと身振りに、ケルベロスは焦って、リフィに言う。

「じ、実験…痛いの、要らナイ…!」

檻にすがりつくように焦るケルベロスに、リフィはうっすら笑う。

「そうか。ならば、使い魔になるしかないな…」

そこまで言って、リフィはケルベロスの言葉を…誓約を、待つ。

ケルベロスも、ここに至り覚悟を決めたのか、リフィを真っ直ぐ見つめる。

「小生…遣イ魔に、ナル…」

ケルベロスの言葉に、リフィは笑みを深めた。

「ならば、今から君は、アニエス・ブラックグラタンと名乗りたまえ」

リフィが告げた名前を、復唱する。

「小生は、アニエス…ブラック、グラタン………」

魔術が組み込まれた名前をアニエスが自ら口にした瞬間、魔術が効力を発揮する。

「ではアニエス。今から君の主に会いに行こうか」


     ***


闇色にに染まる夜の学生街。

その中のとある一室から、料理をする良い香りが漂う。

コンコン、と扉を叩く音に、キッチンに立つエミリオが気付いた。

「フィー、ちょっと出てくれないか?今、手が離せないんだ」

エプロン姿で食材を炒めるエミリオに、了解でーす、と、フィーリアは干しかけの洗濯物をいったん置いて、玄関へと向かう。

こんな時間に誰だろう?と、疑問に思いつつ、フィーが扉を開けると、そこにはリフィが立っていた。

「や、フィーリア君。エミリオ君はいるかね?」

そこへ、リフィの声が聞こえたエミリオが顔を出す。

「あれ、リフィ先生?どうしたんですか、こんな時間に」

不思議そうなエミリオより先に、フィーがその理由に気付く。

「…あれ?リフィ先生の後ろの子は誰です?」

フィーの言葉にエミリオも、リフィの背中に隠れるように少女がいることに気付いた。

リフィは、その少女を前に出して言う。


「君にこの子を預けたい。二人目の使い魔としてな」


短めの金紗をサイドテールにまとめた頭頂には、漆黒の犬耳。リフィと同じくらいの矮躯に漆黒のフルアーマーを着込む姿は、その小動物的な上目遣いも相まって、危うげな愛らしさを醸す。

「小生は…アニエス・ブラックグラタン。不束な小生ですガ、よろしくお願いシマス…」

その瞬間、夜の学生街にエミリオの叫びが響き渡る。

エミリオ邸に新しい住人が加わった夜は、まだ始まったばかりだ。


     ***


「相変わらず、フィーリアちゃん、可愛いよなぁ…」

学生街のとあるカフェ。

ナイスミドルな髭マスターによる、味の確かな紅茶だけが密かに有名だったのは、既に昔の話。

今は給仕服に身を包んだ看板娘のいる洒落た有名店となり、店内はフィーリアが忙しく動きまわる。そして店には当然のように、新しい看板娘が入っていた。

「フィーリアちゃんも良いけど、新入りのアニエスちゃんも、いじらしくてタマラン…」

「あんなナリしてウルズクラスレベルの魔術師らしいぜ?」

フィーリアと対比するような豪奢な金髪。赤眼犬耳のアニエスは真新しい給仕服に袖を通してまだ数日。シルバートレイで品物を運ぶ姿は危うげで、最近はアニエスを皆で見守るのが、この店の暗黙のルールになりつつあった。

「アニーちゃん、頑張れ」

フィーの言葉に背中を押され、アニエスがフロアを歩む。トレイの商品に集中するあまり、アニエスの手は震え、カップの紅茶は激しく波うつ。一歩一歩、そっと進むアニエスは真剣そのもので、客たちの目線を独り占めしていた。

「小生は出来ル子、小生は出来ル子…」

小さく自身を応援するアニエスは、もうあと2メートルといったところでバランスを崩してしまう。足を挫いて、アニエスが倒れかけたのだ。

「ァっ……」

震えていた両手が、トレイを手放す。

空を落下する紅茶のカップ。

アニエスは、トレイとカップが落ちて割れる音を想像して、思わず目を瞑った。

その時だった。

「《揺らめく炎破(ブラックミラージュ)》―――」

魔術の風が、店内にふわりと渦を巻く。

アニエスの想像した瞬間は、訪れなかった。

魔術で加速したフィーがトレイをキャッチし、水音ひとつ立てずに空に舞った紅茶とカップを回収して、アニエスまでも抱き留めたのだ。

「アゥ……」

目を瞑ったままのアニーに、フィーが声をかける。

「アニーちゃん、大丈夫?」

「あ、有り難うごさいマス、姉サマ…」

嗚呼、美しき姉妹愛。これには、お客も拍手した。

そんな店内で、厨房に向けてマスターが呟く。

「エミリオくん、お店が大繁盛するのは嬉しいんだけど…僕の紅茶より彼女たちが主役なのが悲しいんだよね、最近…」

紅茶の美味しさを推したいマスターは、複雑な心境をエミリオにしか打ち明けられなかった。

「まぁ…僕は、それが日常ですけどね…」

エミリオも同じ以上の状況だった。

そんなカフェの外。

カフェの行列を見て、ふらっと立ち寄ったミアが呟く。

「………………帰ろ」

今日も学生街のカフェは平和だった。



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