《獣の咆哮》5.地獄の番犬
魔犬ケルベロス。
竜種の中でも特に危険度の高い、学院指定接近禁忌種の魔獣である。
それを、トウヤたちはたった3人で足止めしている。既に半刻は戦闘しているが、未だ増援は来ず、トウヤたちは依然として苦戦を強いられていた。
「桜花散華!」
桜の魔術が、弓から放たれ空を裂く。
桜色の燐光を伴った刃のごとき鏃となり、しかし、ケルベロスの皮膚を僅かに傷つけただけで消えた。それでも、ケルベロスの注意が桜に移る。
その隙を狙って、トウヤとミスティが両側から攻撃を仕掛ける。
「硬い…!」
四季祀鬼を組み替えて、紅山茶花には水属性が付加されており、真紅が透ける氷の刃となっていた。しかし、竜種の皮膚は弱点属性にすら一定以上の防御力を発揮しており、何度も斬りつけているが、ケルベロスの鎧皮を突破出来ていない。
「これじゃ埒があかないな…」
独り、零す。
魔術もダメ、物理も効果が薄いとなると、今の攻撃パターンを維持しつつ、攻撃の威力を上げなければならない。
しかし、攻撃威力を上げれば、当然、スタミナや魔力消費もあがる訳で。
「やっぱり保たないか…?」
トウヤはともかくとして、ミスティが保たないだろう。桜もだいぶ魔力を消費しているし、なにより、ケルベロスを倒せる確証が全くない。
(こんな時、レクレスとかフロウがいてくれると選択肢が変わるんだけどな)
魔弾を連射しつつ、トウヤはここにいないクラスメイトのことを考える。
黒騎士捜索には参加していたため、助けに来てくれる可能性はあるはずだ。特に、レクレス組は遺跡付近なので、トウヤたちから一番近い位置にいる。もしかしたらもう近くまで来ているかもしれない。そんな淡い希望を抱きつつ、トウヤは再び、ケルベロスの足を斬りつける。一部だが、やっと皮膚を裂くことができ、血が流れる。
桜が放つ捕縛と撹乱、その隙を縫うように傷口を氷で抉るミスティ。ジリ貧だった状況から連携が通じ、やっとケルベロスにダメージが入り始め、希望がみえた。
そんな時だった。
「ミスティ、下がれっ!」
ケルベロスの血液が、一斉に発火する。
攻撃に入ろうとしたミスティは慌ててその身を翻す。その身を焦がすはずだった炎は、残念そうに空を焼いた。
纏うは、漆黒の炎。
魔界を彩るモノクロが、絶望の太陽を呼び覚ます。
血液を糧に、巨大な魔力フレアを纏ったケルベロス。凶暴性は輪をかけて増し、黒炎もあって、近づくことも出来ない。
ここにきて、状況は振り出しよりも悪化する。
ケルベロスの三頭が、大きく息を吸い込んだ。
極大ブレスの前触れに、トウヤは桜とミスティを守るように立ちはだかると、紅山茶花を正眼に構えた。
その直後。
黒炎のブレスが、辺りを焼き尽くす。
「ぐ……ーーー」
紅山茶花は、あらゆる炎を無効化し、吸収する。
しかし、その刃を以てしても全てを受ける事は出来ないようだった。炎そのものは防げても、漂う灼熱の魔力はトウヤをチリチリと攻め立て、巻き起こされた熱波は肌を焼いた。魔力を放出して自分たちを守ろうとするが、竜の炎は弱者を認めない。水のヴェールは補充する度に剥がされ、トウヤの魔力は一気に目減りしていく。
そして。
「■■■■■■…」
ケルベロスが唸る。
無事にブレスを凌ぎ、トウヤは大きく息をついた。
トウヤは煉獄ブレスを防ぎきり、ケルベロスの魔力を多少なりとも削ったが、ケルベロスは流れ続ける血を代償に魔力を回復し続けている。煉獄ブレスを使われ続けるのであれば、状況はかなり厳しい。炎を纏ったケルベロスに近づくことも出来ず、大魔術を放つ魔力どころか、防御展開する魔力も底を尽きそうな状況。
そんな時だった。
巨大な魔力と風の刃が、森の中から飛来する。
それはそのまま、ケルベロスに被弾し、ケルベロスが一瞬怯んだ。
「よぉ、トウヤ。助けが必要か?」
刃の発生源。
ボロボロのレクレスが放った魔術。
その隣には、竜化したと見えるルインの姿もあった。
攻撃を受けたケルベロスが、すぐさま反撃のブレスを放つ。
だが、それを受ける者があった。
「食い荒らせ、《喰らい尽くす牙獣》」
森から飛び出た一つの影。
蒼よりも蒼き魔族の鋼爪が、圧倒的な魔力で煉獄ブレスを喰らい打ち消す。
大胆不敵に笑うアズと、森の端に現れたパトリシアだった。
さらに。
「僕らもいるよ!」
フロウに、奏子も現れた。
ウルズ生6人もの増援。
レクレスが叫んだ。
「ルインの魔術を合図に行くぜ!後に続け!」
ケルベロスを包囲するように、波状攻撃が始まる。
その口火を切って走るレクレスに合わせ、それぞれがケルベロスに向かって動いた。そして後方ではルインの魔術が詠われていく。
「その風、その光、その葉擦れ。全ては一つの時の中に切り取られ、永劫の加速が世界を止める。その歩みを緩めよ、《悠久の刹那》!」
竜種となったルインの膨大な魔力が、一瞬で蒸発する。
時の流れが、澱む。
炎で拓けた森の中、ケルベロスを除く魔術師たちだけが、時の流れを歩む。
加速を詠う竜の魔術。
時の擬似停止は、魔術師たちを究極の加速世界へと導いた。
「行くぞ、オラぁ!」
レクレスの魔剣が炎を斬って煌めく。
力はいつもより弱くとも、加速で威力は補われていた。
続いて加速を重ねた風が、神速でケルベロスに接近する。
「ってえぇい!」
気合い一閃。
フロウの巻き起こした風が、残った炎ごとケルベロスの脚を切り裂いた。
表面の鎧皮が裂かれ、みずみずしい肉を露わにすると、ランサー・パトリシアが飛び込む。
「そこ!貫きますわ!」
万物を貫通する、刺突、刺突、刺突。
魔力の載った連撃が、ケルベロスに傷を与え、肉が弾けた。
パトリシアのあとに続くのは、アズだ。
「裂けろ!」
蒼き稲妻が、走る。
捲りあげるように力任せに振るわれたデスサイズ。その刃はパトリシアの抉った傷を大きく広げ、骨まで見せる。その右の前足に向けて、とどめとばかりに奏子の鋼拳が炸裂した。
鋼鉄を叩く音に続いて、骨がへしゃげ砕けた音が響き渡る。
その間。
実に数秒足らず。
数秒足らずだが、それは殆ど奇跡と言っても良い。
最強クラスの竜種を倒し果せたのだから。
ルインの魔力をほとんど使い尽くした魔術が解けるのと、前足を折られたケルベロスがその巨大を支えることが出来ずに倒れ伏すのは同時だった。
「………やった、のか?」
魔獣ケルベロスを倒した。
その光景に、トウヤは言葉を失う。
そこに、レクレスとルインが言葉をかける。
「なんとか、間に合ったみてぇだな」
「皆、大丈夫?」
ここで、やっと気が抜けたのか、桜がへたり込む。
「ぁー…ホント、生きた心地がしなかったわ…」
そこへ、フロウや奏子もやってくる。
「大丈夫、桜?」
「“ノルンの導き”なら沢山あるけど、いる?」
奏子から魔術薬をもらい、飲み干すと、桜はミスティに問う。
「で、なんでケルベロスなんかいるのよ?」
「僕にもさっぱりさ。僕は単純に襲われただけだからね」
そこに、奏子が言葉を投げる。
「でも、ケルベロスなんて、魔界の奥地にしかいないはずだよね?」
つまり、何者かが召喚した?
奏子の問いに誰も答えなかったが、先日の卑王竜の件も印象に新しく、誰しもが学院反対派のワードを浮かべた。
「とにかく、先ずは学院に報告しないと。このケルベロスもなんとかしないといけないだろ」
このままでは話が進まないので、トウヤがそうしめる。
その時だった。
「全員、戦闘体勢ですわ…!」
パトリシアの声に、全員の視線がケルベロスに向く。
それはちょうど、アズがデスサイズを振りかぶるところだったが、アズの斬撃は惜しくも爪に弾かれてしまう。
「そんな…!足は折れていた筈なのに!」
奏子の叫びに、全員が状況を把握する。
「■■■■■■……!!!」
ケルベロスは激昂の雄叫びを上げるとともに、再び黒炎を纏う。折られた筈の前足は、魔力変換された血液によって、無理矢理治癒したようで、鎧皮は爛れ、多少再生したのか肉が見えていた。
「その程度の炎で私を止められると思うなよ!」
先手必勝とばかりに、アズの大鎌がケルベロスの脚を狙う。依然としてウィークポイントであることに変わりない脚。そこを狙うのは、弱点のないケルベロスにある唯一の狙い目だった。
だが。
「………っ!」
ケルベロスは、弱点を狙うアズをピンポイントで攻撃する。接近するアズの真正面から煉獄を浴びせ、アズはギリギリのところで回避した。
不利になりそうなアズを見て、パトリシアと奏子が援護に回った。
とりあえず、しばらくは保ちそうだ。
そう判断したトウヤが、3人以外に向けて言う。
「ケルベロスはただの魔獣じゃない。真正面から突っ込んじゃダメだ」
策を伝えようとするトウヤの言葉に、全員が耳を傾ける。
「遠距離から攻撃出来るやつは、波状攻撃で撹乱。近接攻撃組はブレスと接近に気を付けて、遠距離組の防衛に徹しよう」
遠距離組は、トウヤ、桜、アズ、レクレス、ミスティ。
防衛には、パトリシア、奏子、ルイン。
ここで名前を省かれたフロウが、トウヤに問う。
「僕は?何をすれば良いの?」
トウヤは、フロウに向けて言う。
「フロウは飛べるし最速だ。リフィ先生に報告して、ここまで連れてきて欲しいんだ」
頷いたフロウはすくさま空に飛び出していった。
「それじゃ皆、戦闘体勢だ」
トウヤの言葉に、それぞれが四方に散る。
ケルベロスを囲んだことを確認すると、トウヤが叫ぶ。
「3人とも、引けっ!」
アズ、パトリシア、奏子が、トウヤの声と周りの状況を見て、ケルベロスから距離を取る。
それを合図に、遠距離攻撃による包囲が始まった。
桜の魔術、ミスティの魔弾、トウヤの魔弾にレクレスの刃。波状攻撃で、ケルベロスは攻撃対象を定められず、状況が膠着する。
恐るべきは、ケルベロスの耐久力と保有魔力だった。
これだけの魔術師ー例えそれが学院の生徒レベルであれーを相手に、全く底をみせることなく戦い続けていることが、竜種たる由縁なのだろう。或いは十人にも満たない魔術師程度、本来は戦いにすらならないのかもしれない。
この状況に至ってなお、トウヤたちにはケルベロスを倒しきる手段が見つけられなかった。
「おい、トウヤ」
そんな中で、トウヤのところへ、アズが下がってきた。
「貴様の指示は、奴の撹乱だけか?」
暗に、倒すべきだろう?と挑発するアズだが、そんな言葉にのるトウヤではない。
「あぁ。現状じゃ、ケルベロスを倒しきる手段がないからな」
アズが納得するとは思えないが、ケルベロスを倒す手段がないのは、確かだった。
「ならば、手段があればやるということだな?」
そう言って、アズは不敵に笑う。
「奴が魔力を使い続けられるのは、代償変換で魔力を得ているからだなのは流石に理解しているだろう?」
代償。
流れた鮮血や、身体・礼装の生贄による、魔力供給の手法の一つだ。
そのモノが内包する生命力や魔力を、不可逆に破棄・破壊することで引き出す。
ケルベロスは、傷口から流れた鮮血を魔力に変換し、奏子に折られた脚の骨を代償に、強力な魔力供給を得た。
「つまり、奴を傷つけることなく弱体化させれば良い」
アズの言葉に、トウヤはケルベロスの魔術耐性を考えるが、現状では、ケルベロスを弱体化できる魔術が易々と行使できるとは思えなかった。それを口にしようとすると、アズがそれを制す。
「私と奴なら、出来る」
アズが説明したのは、かつてのアズならば、絶対に提案しなかったであろう方法だった。




