《魔術師》2.ルビア敗北する
結果、トウヤは5番、桜が13番、ルビアは1番だった。
トーナメント表を見てみれば、桜とはあたらなさそうだが、ルビアとはあたる可能性がありそうだ、とトウヤは思った。
戦うまで相手が解らないように、トーナメント表には名前は書かれない。桜やルビアとは初戦で当たらないのが唯一の慰めだ。トウヤは不安を抱きつつ、自身の番号が呼ばれる時を待つ。
そして、第一試合の生徒が呼ばれた。
「では、1番と2番、前へ」
リフィの声に、ルビアともう一人、ライオン頭と黒髪侍の二人と一緒にいたミスティが前に出る。
「相手を殺したり再起不能にしたりしない限りにおいては、いかなる魔術を使用しても構わない。勝敗は私が、決着がついた、と感じたか、どちらかがギブアップした時点で決することとする」
リフィの言葉に、ルビアもミスティも頷く。
「初参加のトウヤもいるので今一度言っておくが、この学院内に於いては、少々の怪我では死なない。例え死ぬような場合ですら此処でならば大概は治療可能だ。ま、様々に制約があるため、万能とは行かないがね。とはいえ、ここでは相手の事を心配せず全力の戦闘訓練を行う事が出来る。馴れ合いは捨てて、全力必殺の心構えにて戦いたまえ」
リフィの言葉に、桜は補足をしてくれる。
「この学院は世界樹の魔力を各所で利用してるの。此処でもそれは例外じゃなくて、シスター・フェイト直属の医療班が致命傷や魔術の傷も回復してくれるのよ。だから、よっぽどの事が無い限り、死者はでないようになってるわ。そのよっぽどが無いように、いざという時止めに入る先生達がいるしね」
魔術を教える学校だけあって、学院内での死亡や再起不能は、極力防がれるようになっているらしい。他のクラスが同じ時間に演習するのも、極力教師を集めておくためなのかもしれない。
「これまで大きな怪我はあった?」
聞いてみると、桜は思い出して身震いした。
「一番酷かったのは、今のところ片足切断ね。一晩で治ってたけど、治ると解ってても経験したいものじゃないわね…」
死ななかったし、治ってはいる。本人もケロッとしていたそうなのだが、その時の演習場は血の海で、リフィ先生が飛び出して止血、搬送と迅速に行われたらしい。死なないし、再起不能にならない体制は凄いとは思うが、正直この後の戦いに、トウヤは不安しか感じない。
「まぁ、ね。ただ、それは稀なことだから、普段は試合の範疇を出ないよ?…あ、そろそろ始まるみたい」
視線を戻すと、ルビアとミスティが演習場の中央に歩いていく。ルビアは背中の空いたトップスに、腰鎧を僅かに括り付けたショートパンツ。翼を最大限動かすための軽装備だ。対して、ミスティは常に水そのもの。当然武器も防具もなく、ヒト型である事をやめたら、ミスティであると判別すら難しくなるだろう。ヒト型を保つのは、ミスティの矜持なのかもしれない。
数歩分の距離を開け、ミスティは歩きながらルビアへと話しかける。
「ルビアさんとは一度、戦ってみたかったんだ」
視線は交わされること無く、ルビアは言葉に含まれる自信に苦笑する。負けるつもりなどさらさらなく、勝つ事を前提にしたセリフだ。
クラス分けが発表される前から、新入生には天才がいるともっぱらの噂だった。
「正直、君とはあまり戦いたくないかな。君ほど魔術に長けたクラスメイトはいないからね」
ウルズの天才。それが今回の相手、ミストラル・ザ・ウンディーネという存在だった。ルビアの、聞き様によっては皮肉に聞こえるその言葉に、表面だけでも謙遜するミスティ。
「そんなこと無いよ。僕なんてまだまださ」
そして、二人は演習場の中心で対峙した。
「そうかな。私はそうは思わないけど」
言って、ルビアは槍を片手に握り、背に隠すように構え腰を落とす。対するミスティは構える事は無かったが、代わりに辺りに手をかざし、自身の水を振りまいた。水は宙で珠となり、幻想が目を覚ます。
両者の準備ができたとみなしたリフィが、開始の合図を告げる。
「では…始め!」
その合図を皮切りに、ルビアが先手を取った。構えた槍、その鋭利な穂先を突き出し、羽ばたきによる一陣の突風を背後に、ルビアが吶喊する。同時に低音で歌う詠唱を始めた。《属性付加:土》と呼ばれる魔術は学院の基礎魔術の一つだ。槍の先端がミスティに届くまでには、槍の切っ先には土属性が付加されており、身体が水でできているミスティにも、魔術の介入によって物理的ダメージを与えられるようになる。
ルビアの戦いは速度一辺倒と言っても良いくらい特化型だ。ルビアによる神速の突きは瞬く間にミスティの眼前へと迫る。しかし、ミスティはそれを予期していたのか、刃先が届く直前にサイドステップでかわし、さらに後ろへ跳んで、滑るようにルビアとの距離をとった。跳びながら複雑に組まれた音の詠唱を経て、ミスティの得意魔術である水を用いた魔術が発動する。
空気中の水分を凝縮し、搾り取られた空気が流れる。水滴となった水たちはミスティを守るように集まり、そして、そのまま詠唱の示す標的へと、鉄砲水のように押し寄せた。
それを桜とともに見ていたトウヤは、ふと疑問を抱く。
「音を使った魔術は、複雑な術を使うのが難しいんだよな?」
音を使ういわゆる詠唱魔術は、音の組み合わせによるため、即興で魔術を行使できる反面、複雑な魔術は詠唱が長くなり過ぎ、また複雑化しがちなため、実戦では詠唱出来るような工夫をしないと使えない。リフィはそう説明していたが、トウヤの目にはどう見ても、ルビアの使った魔術とミスティの使った魔術が同じ次元にあるとは思えなかった。
共に短い詠唱時間で編まれた魔術ではある。しかし、見た目の地味なルビアの基本的な属性付加と、空気中から魔力と水分を吸い上げてしまうほどの水操術。どちらが高度なのかは素人であるトウヤから見ても一目瞭然に思えたが、その疑問は桜の回答によって解決した。
「それはミストラルが多重詠唱してるからよ」
桜は当たった相手が悪かった、とばかりに説明を始める。
「ミストラルは、水霊族で、水を司る精霊の一族なのは見て解かるよね。水霊は身体が水でできているんだけど、彼らは水そのものだから、当然自身の形を自由に変えられるのよ」
そして、視線をミスティに向けて、聴いて、とトウヤを集中させる。
ルビアの詠唱と、ミスティの詠唱。そのどちらもが、淀みない歌声で歌われていた。
ルビアの詠唱は、多くても両手の指で事足りる数の音で編まれているようだ。その詠唱にあわせて地面に落ちている小石を槍の石突きで弾き、即席の弾丸としてミスティに撃ち出すという魔術を行使している。これも先程の魔術と同じで属性付加魔術の応用だ。リフィの言っていた通り、詠唱が短いが効果も簡素な魔術なのだと解かる。
対して、展開した氷盾でルビアの攻撃を防ぎつつ、鉄砲水を操り続けるミスティの詠唱は高音を主体とした旋律で、辺りによく響いている。その音に耳を傾け、そしてトウヤは気付いた。
「あれ?ミストラルの魔術は複数音で編まれてる?」
トウヤが答えに至り、桜が説明を再開する。その間にも、ルビアの撃ち出す弾丸は氷の壁に防がれ、逆に迫る奔流を避け、空を縫うように舞う。
「彼は魔術を使う時、身体を変化させて複数音での詠唱をしてるの。複数音にする事で難易度は上がるけど、短時間でも高位の魔術も詠えるわ」
口笛より楽器の方が演奏できる曲が段違いに多いのは明らかだ。言われてみれば、ミスティの身体には複数の孔が空いており、そこに空気が通ることで音を紡いでいるようだった。
「水霊は水を司る精霊だけど、彼らの中でもミストラルは異端よ。水から上がるのも、あんな風に魔術として水を操るのも、例外中の例外」
水棲種族たる水霊は、陸にいるだけで消耗していく。身体を構成する理論純水が逐一汚染され、異物を排除するのに魔力を食うからだ。事実、ミスティの接地面は薄い氷の膜を維持することで地面に直接触れないようになっていた。水を操るのも、彼らにしてみれば感覚的に行う行為で、普通は理論立てた魔術として堅苦しく扱う事など無い。そもそも、水霊は内向的かつ閉鎖的な種族であり、住処から出ることすら稀なのだ。
そんな水霊族のミストラルという魔術師は、本来の身体の周りにさらなる純水を纏って汚染を遅らせ、緻密な魔術操作によって魔力管理を徹底し、陸での活動を維持している。そして、その上でウルズクラスに選ばれ、ウルズの天才とまで呼ばれる程の魔術の腕を持つ異端者だ。
鉄砲水はルビアを襲い続けている。空気中から水を吸い上げたせいで水自体の絶対量は多くない。おかげでルビアは辛うじて避け続ける事が出来ているが、それでもルビアが劣勢である事は間違いなかった。元々速度重視で速攻型のルビアは、長時間のアクロバットで徐々にスタミナが切れてきていた。迫る鉄砲水を横薙ぎにし、後ろに飛んで着地すると、大きく荒く息を付く。斬られた鉄砲水は辺りに散らばるが、再び集まるまでの時間は長くない。息が荒いままルビアは腰のホルダーに引っ提げていた投擲槍を一振り握り、大きく息を吸って呼吸を整え、属性付加の魔術を施す。投擲槍は既に2つ擲った後であり、もはやこれが最後の一振り。再び凝縮し、ルビアに向かってきた鉄砲水を跳んでよけ、ミスティ目がけて、渾身の力で土属性の投げ槍を投擲した。
「《属性付加:土投槍》」
ルビアの魔術は空を裂く一条の線を描き、ミスティへと直進する。貫通性能を重視した槍の穂先は一枚目の氷の盾を貫いたが、ミスティは詠唱をさらに増加しており、二枚目の氷の盾がその穂先を留める。それと同時、鉄砲水がルビアを挟み込むように正面と背後を埋めた。
辛うじて上空に飛び上がるも、そこには氷の棘が浮いており、陽光を浴びて光る氷槍にルビアは自身の敗北を確信した。
その瞬間、反射的に声をあげる暇も無く、逃げ場のないルビアに氷の棘が降り注ぐ。胴を守るように槍を構えようと藻掻く腕を嘲笑って、氷の棘は狙い澄まして翼を射抜き、落下の勢いそのままにルビアを地面にたたき落とす。棘には返しがついており、羽ばたく努力も虚しく空を落ちる。行きつく先は水のキューブで、ルビアが落ちる地点だけに鉄砲水がキューブを作っていた。ルビアを内包し、じゃぼん、と飛び散る水。落ちた際に、ルビアは槍を取り落としてしまった。
「チェックメイト」
ミスティは詠唱を止め、水の牢獄に落ちたルビアに敗北を促す。ルビアの首筋にはキューブから伸びた水の縄。手足は水に縛られ動けない。
「私の負け、か」
ルビアの完全敗北だった。
そこに、リフィの声がかかる。
「勝負あり。ミスティの勝ちだな」
その言葉にキューブはうごめき、ルビアの足が再び地面と出会う。ご丁寧に貫かれた翼は氷の膜で止血されており、氷の軋む音と翼の鈍痛が治療を訴えるのみだった。
ルビアが無事なのを確認すると、勝者たるミスティはそれを誇ることなく、ただ自然に自分の居場所に戻っていく。まるで勝つことが当たり前だというような態度に、ルビアの中に暗い気持ちが芽生えた。
そんなルビアをよそに、リフィは次の生徒を呼ぶ。
「次は…5番と6番」
呼ばれたトウヤは歩きだし、入れ違いに戻って来るルビアに声をかけようとする。けれど、どういった言葉を掛ければいいのか解からず、曖昧な表情になり、結局一言だけナイスファイトと告げ、トウヤは戦いの場へと歩いていった。
トウヤのそんな気遣いを受け止め、試合に負けたルビアは桜の元に戻る。
「負けちゃった…」
やや脱力した感じで、ルビアは微笑む。傍目には、負けたこと自体あまり気にしてはいないように見えただろう。けれど、それが間違っている事は、桜には解っていた。
今のルビアは満身創痍だった。
「ミストラルももうちょっと加減しなさいよね。傷が残ったらどうするってのよ」
ルビアの頬を走る赤い傷は、砕けた氷片が飛来してできた傷だ。それを見て、桜はレクレスや流雅とともにいるミスティを軽く睨む。自然とルビアの視線も桜と同じようにミスティに向き、清々しい様子でルビアは呟いた。
「やっぱり強いなぁ…」
対峙してわかった彼我の差に、ルビアは途方もない努力を垣間見た気がした。
ミスティの実力は、決して才能のみで築かれたものでは無い。天才と呼ばれる魔術師ではあるが、日々の弛まぬ鍛錬と向上心がミスティをウルズのトップたらしめている。その求道の奥には、きっと魔術師の信念がある。
それに比べて、自身はどうなのか。
『強さの差は、此処に在る理由の差だ』
ルビアの心によぎる声。
映し出される自らの過去。
一人ぼっちの自分。
言葉も解からず、途方に暮れ、悲しみが全てを押しつぶそうと迫ってきた、かつて。
そこに現れた、救世主のような黒髪の少年。
雪の景色と少年の眼差しが、脳裏に蘇る。
ただもう一度会いたいという、ちっぽけな願い。
そこまで思い返して、そこに桜が声をかけた。
「まぁ…次、頑張ればいいと思うよ」
過去。全てを語った、親友。
全てを解かっていて、桜は絶妙のタイミングでルビアの思考を止めた。なので、ルビアは過去を振り返るのを止めて、努めて明るく言う。
「そうだね。次、頑張るよ」
そうして、ルビアは試合の続く演習場の中央を見やる。
そこには、ここにいる理由などなく、ただ在るだけの…けれどとても強い、黒髪の少年“トウヤ”がいた。