《天の末席》6.神の刺客
「…そろそろ見えてくるんじゃない?」
ルビアの言葉に視線を向けると、湿原の広がる光景の中、遠方に黒い塊があるのが見えた。
「ヤツだ」
「あれがカトブレパスか」
けむくじゃらの身体を揺らし、ゆっくり歩を進めるその頭は低い。俯く者の名の通りに垂れた頭蓋はことさらに毛におおわれ、目的の藍色の魔眼は見えなかった。
「デカイな」
トウヤが呟いた。
目視できる場所に比較できる対象として、ルフ鳥の石像が転がっていたからだ。狩りの対象に返り討ちにあった成鳥のルフは翼を広げた状態だ。恐らく4メートル程の個体だろうが、側のカトブレパスはそれよりもさらに大きく、異常成長したランドワーム程もある。
「ヤツの周囲をよく見ろ」
アズが指し示す先には石像。
「犠牲者だらけだな」
よく見れば、カトブレパスの後方には点々と石像が転がっている他、即死した死骸や腐敗したモノも残されている。それらはカトブレパスから一定以上離れた場所にはなく、なんとなく魔眼の射程範囲が見て取れる。
「射程はそこまで広くないが、視野は広いし魔力も底無しだ」
魔術で防げるとはいえ、無尽蔵に魔眼を使われるのは骨が折れる。万が一防げなければ、先駆者たちと同じ道を辿る事になるだろう。
「やっぱり魔眼が一番のネックなのね」
魔眼が危険だとよく判る状況だった。
「だからこの面子だ。立体軌道と速度、魔眼への耐性の高さは十分な筈だ」
アズとしては、カトブレパス自体は問題ないと考えているらしい。
「防御力的にはどうなんだ?」
「頭以外は並の獣とさほど変わらん。だが、毛が堅い上に害意ある魔術を多少弾く」
頭蓋は鋼、毛皮はミスリル並らしい。
「じゃあ、安全をとって波状攻撃で削る?」
「いや、短期決戦で心臓を潰す。魔力源を壊せば、如何に魔種とて死に至る」
あの巨体を維持するには魔力の循環が必須らしい。
「雷撃か」
「潜り込んで、腹から通す」
魔眼を傷付けずに摘出するためにも、不用意な攻撃は減らし、最短で仕留めるという事だろう。
「私とトウヤは陽動だね」
「一瞬で終わらせる。貴様らは魔眼にだけ注意していろ」
***
結果から言えば、カトブレパスは一瞬で死に至った。
魔眼は数度放たれたものの、トウヤやアズには打ち消され、ルビアにはそもそも無効化された。天魔の抗魔力は伊達ではなかったようだ。
倒したカトブレパスは、既にアズが腑分けを始めている。ストレージから取り出した金属の瓶には、魔眼、脳髄、血液他が収められ、湿地は流れた血で赤く染まっている。
カトブレパス戦では特に消耗する事もなく、アズはここで召喚魔術を行うつもりのようだ。
「さて、何が呼ばれるやら」
アズに聞いたところ、魔界の獣とやらはカトブレパスの近縁種らしく、召喚条件はカトブレパスの死骸とアズの精製する魔界の瘴気に似た魔力で事足りるという事だ。なので、儀式の邪魔になる余計な魔術が少なく、死骸を新鮮なまま使えるこの場所で召喚するのが最適だと言う。
腑分けもそろそろ終わりだ。
血塗れのアズはカトブレパスの血液で幾何学模様を描き出し、それから腑入りの瓶たちを式の要所に配置していく。演習で使用した召喚魔術と同じ意味合いの式が形作られ、それが完成すると、アズは魔術を口ずさんだ。
「我、隔たれし縁を辿る者。異なる場所、異なる時、異なる世を手繰り寄せ、呼び声に応じる者よ。我が声を聞き、魂を感じるのならば、応え、我が元に姿を顕せ。《蒼血召魔》」
アズリィル式の召喚魔術は、すぐさまその効果を示す。
魔界の瘴気をふんだんに孕み、式に用いられたカトブレパスの血液が沸騰する。魔術式は蒼く輝き、幾何学は配置された臓物から生気を食らい、金属瓶は白熱して煙を上げた。血生臭く硝煙漂う最中で魔術式は確実に完成に近付き、やがて狂った角度を示す転移門が顕れ、ぐらぐらと揺らめく。
「さぁ!来い!」
アズの声に呼応するように、蒼の異次元はギチギチと音を立てて収縮と拡張を繰り返す。まるで金庫のダイヤル鍵の様だ。一つ一つ数字を確定させていくように、召喚式は規則的なその動きを徐々に減らしていき、それはゆっくりと終わりを告げた。
「ーーーーーーテ、…、フィ、ラ」
そして、背筋を這うような音が響いた。
蒼の門が異形の姿を吐き出す。
カトブレパスに姿のこそ似ているが、しかし全くもって異質な存在を。
それは全身が黒く長い毛で覆われていた。
6対の歪な翼をもたげていた。
四肢、尻尾はだらりと力無く垂れ下がり、その先端は不浄な赤染めの刃。
狼のようであり、猫のようであり、軟体生物のようであり、それらのどれでも無い異貌。
黒い毛の奥から、金色の光が漏れる。
その瞬間。
「ーーー!」
トウヤの身体が硬直した。
「狼狽えるな。停止の魔眼だ」
アズの言葉に意志を強く保ち、丹田に魔力を集める。
強張る感じが薄れて身体が自由になると同時、黒の異形が強い魔力を纏った。
「そら、来るぞ!」
滑るように宙を移動するソレは、一番無防備なトウヤに向かって一直線に詰め寄る。
「ケテケテケテケテケテ…」
不気味な声、いや、声とすら判断のつかない音を纏って、ソレは尻尾だけを振り回す。およそ機械じみた挙動に虚をつかれたが、トウヤはそれをなんとか躱して距離を取る。召喚式を中心に三人でソレを囲む形になり、トウヤはここでようやく刀を抜いた。
「ケテケテ、ケテ」
気味の悪い呻きを呟きながら、首を傾げる事もなく、羽を羽ばたかす事もなく、それは敵意すら感じさせずに鎮座している。金色に輝く魔眼はギョロギョロと視線が落ち着かず、その部分だけがこのナニカが生き物なのだと感じさせる唯一の点だ。
「喜べ、大当たりだ」
アズが雷撃を放ちながら笑う。
「フィ、クト?」
意味の判らない言語を呟き、スッと回転したかと思うと、雷撃は羽にぶつかって消滅した。
「コイツは魔王アズリィルへの刺客だ。報酬分は働いて貰うぞ」
アズがそう叫び、次の魔術を装填する。
「ー、ー、ー、ー、ー!!!」
その瞬間、ソレが吠えた。
認識出来ない音の奔流が全てを震わせ、掻き消す。周囲一帯の魔力がズタズタになり、魔眼の光がルビアを捉えた。ジグザグに宙を滑り、四肢の一つが跳ね上がる。鋭い刃爪を間一髪躱すが、異形は標的を変えない。
「守護の焔よ、燃え立て。《天魔護法:絶禍炎壁》」
天の力が無理矢理魔力を収束させる。ルビアの焔に阻まれてようやくその動きを止めるが、それも一瞬ですぐさま反転、今度はアズを見定める。
「《魔蒼の雷撃》」
迸る雷撃はやはり意味を為さない。避雷針のごとき翼に飲み込まれて消えるのみだ。それを見越してアズは大鎌を振るうと、獣の爪とぶつかって鋼を打ったような音が響いた。それを皮切りに、アズは魔眼を正面からうけながら格闘戦へとなだれ込んでいく。




