《滲む陰謀》6.トウヤ
卑王竜は潰えた。
後に残るは骨と鋼の鱗、そして真紅の輝きを残す眼球が二つ。竜の身体にはない筈の、魔術を刻まれた金属塊もいくらか見受けられた。
トウヤはそれを見届けると、ようやく刀を納め、大きく息を吐く。
激情はなりを潜め、心底の扉は再び閉ざされた。
あれは本来、交わるべきでない神の類だ。
それでも、利用できるのなら利用してやる。
今回の戦いで、トウヤはそれについて少しだけ理解した。
力を持ちながら、実体は無く、他者に依存する。
触手と泥と知識を与える啓蒙の神。
陽炎との契約が無ければ、今回もかつての遠足と同様に呑まれただけで終わっていただろう。油断せず、慢心せず、必要なだけ魔力を与えれば、啓蒙狂化の呪詛とて制御できる。災禍の加護が下位の呪詛の侵食を防ぐからだ。
心底に潜む、化物。
その名前は、アルファ・クラーケン。
ありとあらゆる時代、次元に関与する触手の魔王。
決して現存する竜種海魔の延長などではなく、災禍の神話を抽出した精神体の魔神。
クラーケンは契約者に様々な知識を与える。それはクラーケンが契約者から吸い上げた知識の全てから引き出され、その者に禁忌であるかどうか、扱いきれるかどうかに関わらず、望むモノ全てを与える。そしてその知識の代償が供物の魔力と正気であり、クラーケンは契約者の心を喰って生きているのだ。
そのために、クラーケンは啓蒙し、狂気を与える。
いつでも飢えており、すぐにでも心を喰らいたいからだ。
そのために、災禍と呼ばれる。
だが、陽炎ほどの神格、精神性を持たないが故に、その魔術は陽炎の炎に阻まれる。
その正体は契約者にしか理解できず、文献には残らず、全てが狂気の海に沈む。
昏い海には幾千幾万の魔術師たちが沈み、狂気の笑いを浮かべて、手をこまねいているのだ。
幻覚であり狂気であり啓蒙そのもの。
力を持ちながら、朧げな存在しか持たない。
クラーケンはそんな神格だった。
トウヤがそんな思考を終えると、ちょうどリフィが近付いてくる。
「君の実力は凄まじいな」
お陰で私の魔剣は無駄になったよ、と肩をすくめリフィは魔術を解く。
リフィのいつも通りの態度を見ると、焼かれた3人も無事なようだ。
無事には終わらなかったが、誰も死ななかっただけ僥倖だった。
今この時ほど、神無の血に感謝した事はない。
「神無の血のお陰です」
クラーケンがその力を引き出したから、卑王竜を倒す事ができた。
「トウヤ。君は記憶を取り戻したのか?」
改めてリフィが問う。
それに対して、トウヤは偽りを告げた。
「まだです。今回は魔術を思い出しただけでした」
四つ目の血統魔術は知らない魔術だった。
元々習得できる可能性も資質もあったのだろうが、《朽ち爛れる心骨》は会得していた魔術ではなく、クラーケンが知識から引き出し定着させた魔術だ。でなければ、あんな風にぶっつけ本番で魔術を扱えなどしない。今回は上手く行ったが、出来ればこんな危ない真似はしたくないものだ。
とはいえ、誰かが死にそうになっていたら、きっとトウヤはそれを助けようとするだろう。そういう性分のようなのだ。今回のように、きっと激情に任せて走ってしまう。
魔術師としては甘すぎる。
これは身体という入れ物にまで染み付いた性分らしい。
トウヤは自身の事をそう評した。
「そうか」
リフィはそれ以上追求しなかった。
代わりに、後ろから歩いてきたルビアに声をかける。
「もう身体は大丈夫なのか?」
ルビアはリフィに既に事情を話したようだった。
「もう身体の精霊化は終わりました。今はちょっと魔力が薄いですけど、問題はありません」
そう告げたルビアの身体は、先ほどのブレスを受ける前とは完全に違っていた。
纏う魔力はそもそも火属性に変化しているし、巡っている量も多い上に流れが乱れていない。元々はうねって流れており、量も少なかったのを知っているので、余計に変化が目立つ。
「そんなに視られると恥ずかしいな…」
ルビアのそんな言葉にハッとなり、トウヤは魔力偏差を視るのを止めた。
「見慣れたルビアとは別人みたいだ。それくらい、変わった」
実際、見た目も大きく変化したのだ。
イメチェンどころの騒ぎではない。
髪色は紅に、翼は純白になり、肌の色も白くなった。服が燃え尽きて、今は魔力顕現によるロープのみを羽織っているため、余計にイメージの乖離が大きい。
しかし、その微笑みはいつものルビアと変わらなかった。
「私はもう天魔になったから」
天魔は、今は存在しない天使の力を持つ者たちの総称だ。
かつて様々な種族と交わった天使たち、その子孫には遥か遠い天使の因子を受け継ぐ者がおり、天使が存在を消した今でもその力に目覚める者がごく稀に存在する。天使の存在の証拠であり、堕天の証拠でもある彼等は、覚醒時に天使の加護が与えられ、天魔としての魔術特性を獲得する。魔術を強制的に上書きできる程の魔力掌握能力を有する場合が殆どで、長命さもあって魔術師として大成する者も多いが、全身が貴重な触媒にもなるために狙われ、人間不信となって隠遁する者も多い。
そんな種族が、天魔と呼ばれる者たちだった。
トウヤは、その真っ白な翼を見て、零す。
「…俺とルビアは、昔に出逢っていたんだな」
髪を結ぶ羽飾りは、明らかにルビアの覚醒に呼応した。
それが無ければ、トウヤは復活することは無かっただろう。
羽根に含まれた天魔の魔力が、僅かにトウヤを癒やしたお陰で魔術を詠えたからだ。そして、その魔力で確信した。
雪の降る庭園で出会った少女は、神隠しに遭って異世界で遭難したルビアだった。
クラーケンに視せられた記憶と、魔力によって思い出した一瞬のみの記憶が重なる。
あれは確かにトウヤの記憶の断片であり、ルビアの記憶だったのだ。
「そう、だね。トウヤは、やっぱりトウヤだった」
幸せそうに微笑むルビアに、トウヤは何も告げる事が出来なかった。
トウヤの記憶は未だ闇の中で、ルビアとの出逢いを隠し、言うべき言葉をかき消す。
ルビアから全幅の信頼を寄せられていると感じるのに、トウヤにはそれに酬いる事が出来ないのだ。
もどかしかった。
「さて、感動の再会を邪魔するようで申し訳無いのだが、君らは一時謹慎だ。詳細な聞き取りもしたいが、今はやるべき事がある」
だから、雰囲気を断ち切るリフィの言葉はありがたかった。
「暁の騎士たちに寮まで送って貰いたまえ。また連絡するから、大人しく帰るんだぞ?」
***
生徒たちが去り、すり鉢に独り立つ。
「さて、始めようか」
リフィは呟いた。
念話が繋がる感覚から、すぐにフェイトの声が届く。
『状況は監視していました。竜の亡骸は解析開始していますから、リフィは竜の穴を調べて下さい』
魔術念話は通常通り機能するらしい。竜が死んだせいなのか、すり鉢に流れていた魔力帯は消えていた。フェイトの言うとおり、木精が数体生えて、鱗や骨、魔術を刻まれた鉄板を調べ始めているようだ。フェイトから依頼を受けたデビアス翁の使い魔だろう。卑王竜の亡骸はフェイトとデビアスに任せて、リフィはすり鉢の中央へと降りていく。
竜が鎮座していたすり鉢の底には、地下に降りる階段があった。
『その中までは観測できません。卑王竜種の改竄を見る限り、世界樹の介入を最大限弾くようになっているようです。気を付けて』
フェイトの忠告を聞いて、リフィはレイピアを抜き、階段を降りていく。
闇は深く、自然の洞窟を利用した通路はあるきにくい。
乾燥地帯の洞窟だが、地下水脈があるためか湿気っている。
『念話が切れます。ここから先は用心してください。ご武運を』
深く潜っていくと、完全に念話は届かなくなった。
洞窟全体に竜の魔力の残りが充満しているせいだろうか。
ここまで罠の類はゼロ。竜への信頼からか警戒は手薄に感じる。
「さて、誘いか油断か。どちらだろう、ね」
独り言は少しだけ反響して消えた。
油断はしない。
学院さえ欺く敵の魔術師が、どこかに潜んでいるやもしれない。
ヒタヒタとした足音が反響する。
奥に進むと、閉じた扉が見えてきた。
「此処が最奥か?」
魔力の動きはなく、仕掛けられた罠も無さそうだ。
扉はすんなりと開き、リフィは研究室を見つけた。
竜によって集まった魔力は、ここで使用されていたのだろう。
隠蔽術式を敷いていた痕跡があり、魔力が溜まっていたのはそのせいだったようだ。卑王竜とリンクした術式だったようで、竜と同じように虫食いで術式が壊されている。
「ものけの空、か」
棚や机には、有益な証拠は残っていないだろう。
余裕をもって撤収したように見受けられる。
そんな中で、これみよがしに残されたものが目についた。
「襲撃計画か。撹乱目的か?それとも、竜を倒されないとでも思ったのか…?」
学生街から学院、学生寮、学院中枢を襲撃する計画書だ。
竜種や魔獣を召喚し、調教した上で襲わせる計画だが、卑王竜クラスを連発されれば被害は甚大となる所だが、計画にはケルベロスが最高位に置かれ、残りはそれ程でもない魔獣が並ぶ。これを見る限り、卑王竜はまぐれで召喚できたモノだったのかもしれない。
読み進めると、学院の情報などの肝心な部分は抜けており、結果的にこれだけでは役には立たない代物だった。抜けている部分の情報は機密に近い情報のため、必要な情報が集まらず破棄された計画なのかもしれない。
(いずれにせよ、ここは放棄された拠点だったようだな…。竜を置いたのは隠蔽の実験のつもりだったのか、それとも監視のためか?)
リフィは周囲の魔術痕跡を調べる。
魔術式は崩れているが、おおよその内容は読めそうだ。
(学院の術式に似せてあるな。竜の魔力を引用した自立式か)
魔術的隠蔽効果、視覚齟齬、音響遮断、ルビアに見えたのは天魔の力故か。すり鉢ごと隠す術式で、世界樹を含む龍脈まで干渉する大きな魔術だ。学院式に似た術式で龍脈まで介入できるとなれば、さぞ力のある魔術師が描いたものだと思われる。卑王竜という自然の頂点があってこそ介入できたのだろうが、それでもこの規模で学院が探知出来ないような魔術はそうそう無い。どこかへ情報を送っていたようだが、その発信先は拠点が廃棄された時に削除されていた。
(…厄介な魔術師が居るものだな)
一通りの調査を終え、リフィは地上に戻ると念話を繋ぐ。
『私だ。魔術も無く、魔術師は居なかった。大きな収穫はない』
ややあって、フェイトが応答する。
『了解しました。ペイルウッド氏に、地下にも木精を派遣して貰いましょう。工房解体に土木班ゴーレムも手配しておきますので、リフィは帰投して下さい』
念話を切る。
リフィは今日の出来事を反芻し、トウヤの正体とルビアの覚醒、そして蠢く陰謀について考えを巡らせる。
(トウヤの正体は、確定だな)
リストにある十数名のうち、トウヤと読める名前は一人しか居なかった。
かつて天魔として覚醒したルビアを助けたのがトウヤであり、神無の嫡子だったのだ。
奇妙な運命だ。
魔術大家の嫡子が次元転移するだけでなく、過去に助けた天魔に再会し、強大な龍種すら討伐して見せた。それ以前にも様々なクラスメイトたちを助け、変革をもたらしてきたのだ。
作為めいた運命を、感じざるを得ない。
神無冬弥。
災禍の加護を受けた古き魔術の末裔は、一体どんな運命を背負っているのか。
リフィには想像もつかなかった。




