《紅と黒》7.風前の灯火
焔の夢を見た。
茜色の焔が、焦がす。
エミリオは、思考を茜色に炙られながら、たゆたう。
痛みを伴う、醒めない、夢の中で。
事実だけが、繰り返し流転する。
フィーはトウヤに敗北した。
その事実は、エミリオとトウヤの間にある魔術師としての明確な力量の差を示していた。
薄れゆく景色の中でみた、トウヤの姿。
純然たる魔術師。
エミリオには辿り着けない、領域。
黒く、脈動する。
黒く、抵抗する。
そこに、銀の輝きはなく。
“魔術師としては三流だね”
いつかの言葉が、紅く、疼く。
紅。
血の如き紅。
焔の如き、紅。
フィーリアを焦がす、焔の紅。
焔が、轟、と燃え上がる。
エミリオを焼却するように、激しく。
焼かれた痛みは、左腕から。
思わず視線を向けると、エミリオの腕は真黒に焦げ、炭化していた。
***
エミリオは、痛みとともに目を覚ました。
長い長い、夢を見ていた気がする。
「ーーーーーーーー」
“また”保健室か。
学院の保健室は独特の匂いがするから、すぐにわかった。
静寂。
誰も居ない。
時刻は夕方ぐらいだろうか?
“何故だか”左腕が酷く疼く。
頭痛もするし、身体がだるい。
(なんで、保健室にいるんだっけ…)
ぼぅっとする。
なにか引っかかっているような…感覚。
記憶が曖昧だ。
(確か…今日は、クラス対抗戦の日だったよな…)
頭痛が酷い。
(あぁ、そうだ…僕はトウヤと戦わないといけないんだっけ…)
思い出せるのは、それだけ。
何故、とか、どうやって、とかは抜け落ちた。
戦うという行為のみを見いだして、エミリオは熱に浮かされるように、ベッドを抜け出す。
ふらふらと、廊下を進む。
夕陽が作り出す、紅と黒のコントラストの中、進む。
右手には、ーーーー。
左腕は疼くが、何故だか動かないので、無視した。
トウヤは、どこだろうか?
誰もいない、廊下。
静まり返った中で聞こえるのは、自らの鼓動と呼吸音。
ハァハァと、荒い息。
少しだけ、苦しい。
終業時間は既に過ぎている。
トウヤは、きっとウルズの寮だろう。
重たい身体を引きずって、進む。
さっきから、ガリガリと、金属が石を傷つけているような幻聴がする。
魔力切れの、兆候に、違い、ない。
(あぁ…まどろっこしいな…)
紅と黒のゼブラは長く永く続いていて、酷く不安定だ。
「《ーーーーーー》」
短く詠唱すると、魔術が零れた。
ウルズの寮へと、駆ける。
驚くように軽い歩みで、寮へと駆ける。
熱い。
熱い。
トウヤの魔力香が、する。
寮の方じゃない。
校舎内だ。
方向転換する。
勢い余って、壁にぶつかった。
衝撃で、脳が揺れて。
…相変わらず、紅が酷く、気になる。
苦しい。
息が、止まりそうだ。
だけど、トウヤは、もう、目の前だ。
ウルズクラスの扉を開けると、そこには。
「…………?」
近衛トウヤが、いた。
驚愕の表情を、する。
そんなに、三流魔術師が珍しいかい?
エミリオは嘲う。
トウヤに向けて、エミリオは魔術を放つ。
「“破滅と勝利の魔剣”」
黒の刃が映し出し、形作る夕方の景色。
夕陽が映し出す黒い影、その頭には悪魔のような双角が生えていた。
ブッツリと、夢は途切れて、そして痛みが消えた。
***
「ーーーーーー!!!」
飛び起きた。
何だったんだ、今の夢は。
エミリオは全身汗びっしょりで、保健室のベッドにいた。
「…あれじゃ、まるで、僕がフィーみたいじゃないかーーー」
魔術、嗅覚、魔力偏差の感じ方、そして、痛みと苦しみ。妙にリアルな感覚を思考の隅に追いやり、エミリオは周りを見やる。
アレが夢であることを確かめたくて、フィーを探す。
ベッドから這い出る。
魔力が足りなくて、ふらつく。
あたりは茜色に染まり、黒と紅のコントラストも曖昧になりつつあった。
カーテンの閉まるベッドは、なかった。
もちろん、フィーの姿も。
「………いない」
無性に嫌な予感がする。
エミリオは焦る気持ちを抑えられぬまま、廊下に飛び出した。
身体強化して、ウルズの教室を目指す。身体は夢の中ほど軽くはなく、床には何か尖ったー例えば剣の切っ先のようなーものを引きずって傷付いた跡。
曲がり角。
何かがぶつかったような黒い墨が、壁に付着している。
血も、混ざって、いた。
ちょうど、フィーの左肩ぐらいの高さだ。
既に、予感は確信へと変わり始めていた。
走る足が、もつれそうになる。
ウルズクラスが、遠い。
動悸がする。
五月蝿いぐらいの心音。
ただの夢であってくれ。頼むから。
ウルズクラスに着くと、辺りは茜を僅かに残すのみで、既に暗闇に包まれていた。
ウルズの扉を、開ける。
音もなく、すんなりと開いた扉の奥。
「ぁーーーーーー」
声を失った。
黒いナニカが、横たわっていた。
ふらふらと近づくと、それはやはり、フィーで。
フィーの身体を、揺れないように抱き上げる。度重なる魔術行使により、フィーは魔力切れを起こして、熱病に犯されているように熱かった。
…だが、フィーを蝕んでいるのは、それだけではなかった。
頬から広がる黒い焔の刻印は、今やくすぶる炭のように明滅を繰り返し、フィーを焦がしていたのだ。
刻印は左肩から先全てを炭化させつつあり、顔の半分まで侵食している。
夢で感じたから、今なら理解出来る。
この刻印は自身を供物に魔力を供与するもので、諸刃の剣なのだ、ということを。
そんな刻印を、フィーは片腕が炭化して動かなくなるまで、使用し続けていた。
いや、違う。
決定的なのは、さっきの夢での魔力だ。
暴走したエミリオの願いが、夢でフィーを操り、魔剣さえ使わせたのだ。
「…僕のせい、だ」
フィーの身体を、強く抱きしめた。
無力感でいっぱいだった。
フィーを満たすほどの魔力を、エミリオが継続的に供給できる訳がなかったのだ。
だってそうだろう?
自分に言うまでもない。儀式の時にあれだけ血を捧げておいて、普段はそうしなくていい訳が無い。
それを、フィーは無意識のうちに知っていたのだろう。
だから魔術で繋がっているエミリオから魔力を引き出さず、わざわざ刻印を用いて魔力を調達していたのだ。そこへ戦闘演習による魔力放出が重なり、ダメ押しにエミリオが魔力を使わせて、限界を迎えてしまった。
最大級の魔術を行使してまで勝利を求めたのは、エミリオがそれを望んだからだ。言葉にしなくとも、フィーはその意志を感じて、実行したのだから。
フィーはわかっていたはずだ。
少なくとも魔剣を連続で発動できる程の魔力の余裕などない、と。
それでも、マスターであるエミリオの望みを叶えようと、魔術を使った。左腕を代償にして、かなりの苦痛を伴ったはずだ。
それを微塵も見せず、フロウには見事な勝利を上げた。トウヤ戦では敗北したものの、十分すぎるほどの戦果をあげてくれた。
なのに、エミリオは。
「僕は、なんて馬鹿なんだ…!」
そんなフィーの苦痛も知らないで、戦いを任せっきりにして、いたずらにフィーを苦しめていた。
使い魔を持つという事の重さを知らず、フィーを使い潰したのだ。
挙げ句、意識が回復しない程にすり減ったフィーの残り少ない魔力を、勝手に使った。トウヤに負けたくないという、身勝手な自己満足のためだけに、フィーの身体に鞭打ってまで、だ。
あれは、夢なんかじゃない。
エミリオが、意識のないフィーを、魔術で操っていたのだから。
フィーを使い潰した自身の愚行に、フィーを抱く腕に思わず力が入る。
名前を、呼ぶ。
「…フィー」
応える声は、もちろん、なかった。
後悔と懊悩は絶えず、けれどフィーをこのままにしておく訳にはいかない。
そう思ってフィーをなんとかして連れて行こうとした時だった。
「その娘をお主が連れていくのは、妾が赦さぬ」
いつの間にか、エミリオを見下ろすように立つ者がいた。
その背後には無事な姿のトウヤも、そしてリフィやフェイトの姿もあった。
エミリオが見上げると、そこにはフィーそっくりの顔をした魔神が立っている。
使い魔の刻印が震えた気がした。
かつ、とブーツが床を叩く。
1歩だけ、その魔神がエミリオに近付いたその時、エミリオは自分の身体が動かない事に気付いた。
すぐに理解した。
身体が動かないのは、魔力そのものに近いほど濃密で強い魔力香にあてられたからだ。
「…妾の魔力で失神しない程度には根性があるようじゃが、災禍を扱うには到底足りぬな」
凛とした、よく通る声。
フィーと似た声で、まったく違う温度の声。
そこには、紅の魔神がいた。
黒髪は竜尾のようになびき、その頂点には金の獣耳。
衣は胸より下のみを真紅で包み、腰には山吹の帯。それより下は金毛の九尾に持ち上げられ、黒のガーターベルトを腿の半ばまで露わにする。両の腕は蒼の覆いに包まれ、その右手には抜き身の刀を無造作に下げていた。
そして、露出した左肩には“真紅の焔”の刻印が、首を通って、頬を染めていた。
まるで、フィーリアと同じみたいに。
その魔神の名前を、エミリオは知っていた。
なんせ、フィーを形作る大きな因子の一つだったのだから。
「ーーーーーあまね、あやつひの、かみ」
震える声でエミリオは呟いた。
その災禍の魔神の祀り名を。




