《鍛錬と友情と》8.魔術師としての差
「あれ?トウヤさん?」
散策していたトウヤとルビアの背中に声がかかる。
その声の主は、茶髪に短い兎耳の小柄な女の子だった。それは見知った顔であり、この前奏子から紹介されたヴェルザンディ生のミルシャ・クラフィニウだが、今は雑貨店のエプロンをつけており、アルバイト中のようだ。
「ミル?ここでバイトしてるんだ?」
「この子は?」
どうやらルビアとミルは初対面のようだ。
「あぁ、ヴェルザンディのミルシャって言うんだ」
「嵐狩りのルビウスさんですよね。ミルシャ・クラフィニウです。よろしくお願いします」
トウヤに紹介されたミルが会釈すると、ルビアもまた微笑む。
「ルビアで良いよ。よろしくね」
それからミルはハッとしたような表情になり、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「お二人は、えぇと…デートですか?」
どう答えようかと思案しかけたトウヤより先に、ルビアがさらりと答える。
「そんな大層なものじゃなくて、闘技場の帰りに買い物してたんだ」
「そうなんですね。ちょっと安心しました」
その様子に、ミルは言葉通り表情を和らげた。
「良かったら見て行って下さいな。うちは色々扱ってますよ」
「それじゃあ、少し見ていこうかな」
ミルに従って店に入ってみると、そこは護符やチャームなどを取り扱う雑貨屋だった。
「このお店は主にハンドメイドの雑貨と礼装を販売してるんです」
ミルが言うには、本格的な礼装ほどは効果が無いが、値段の割には高品質を売りにしているようだ。そう言われて棚を眺めて見ると、確かに小物で安価な材料のモノが多そうではあるが、トウヤでも判るほど綺麗な刻印がなされており、ミルの言葉にも頷けた。
「故郷でもこういったタリスマンは作ってたけど、やっぱり売り物となるとレベルが違うね」
故郷では羽飾りなどを作っていたルビアも商品の出来栄えを見て関心しているようだった。
「全部ハンドメイドなんだ?作った人はすごいね」
ルビアの問いかけに、ミルが照れたように言う。
「ほとんどは店長さんが作ってるんですけど、そのあたりの棚のものは実は私が作ったものなんです」
そのあたりの棚と言われた辺りには、確かに周囲とは少し毛色の違う物が多くある。なんというか、全体的に可愛い感じだ。そしてそれはトウヤたちが最初に見た棚であり、言われて改めて見て気付くほどの品質差しか無いように見えた。
「そうなんだ?器用なんだね」
店長さんと同じようなものを売り物として作れるのは、きっと誇っていい腕前だろう。しかし、ミルは頬をかきながら謙遜する。
「野兎は手先が器用な種族ですから。私なんてまだまだですよ」
兎の獣人には二種類いる。野兎は小柄で俊敏で手先が器用な方だ。確かに工芸品の作成を生業とする者も多い。
「賢兎なら魔術師として最適だったんですけどね」
そして、賢兎は魔術適性に優れ、魔術師となるべくして改良された種族である。遠足の時に現れた暗殺者も賢兎だったと聞いているが、リフィに怪我をさせる程の魔術師だった事からも、魔術師としての素地はかなり良いのだろう。
ミルが少し残念そうに呟いたのを聞いて、トウヤはミルを元気付けたくて精一杯フォローする。
「こうやって礼装を作るのも、立派な魔術師だと思うけどな」
だが、ミルはトウヤを見て、ルビアを見て、それからもう一度言葉を零した。
「んー、でもやっぱり華々しく魔術を使うのには憧れます」
それから笑って言う。
「だから、私はトウヤさんに憧れるんです」
ウルズとヴェルザンディのクラス分けは、魔術師としての才能の壁だ。
学院の規定ではウルズには定員の上限がない。しかし、毎期満席となることは無いし、むしろ空席だらけだ。今だってウルズは全体の一割にすら満たない。その事実が示すのは、相対評価ではなく、絶対評価により選別された最上のクラスであるという事。
ミルの言葉はその事を裏に含んでおり、半ば諦めにも似た感情を感じた気がした。
「あ、でも憧れと決闘は別ですよ?いざ戦いになったら、トウヤさんやルビアさんでも容赦しないですからね?」
それを見せまいと付け加えた言葉に、トウヤもルビアも頷くしか出来なかった。
「えっと、私は店番してますから、何かあったら声かけて下さいな」
明るいうさぎ娘はそう言い残すと、そそくさと奥のレジカウンターに引っ込んでいった。
棚を挟んで顔が見えなくなっても、トウヤもルビアもしばらく言葉を見つけられずにいたが、やがてルビアが呟く。
「…私はウルズだけど、彼女の気持ちが少し解るよ。ミスティを見てる時とかね」
かつてルビアとミスティが戦った場面を思い出す。あの時はルビアが完敗だったが、今ではどうだろうか。少なくとも、前のように全く歯が立たない事はない。それでも、ルビアではミスティには勝てないだろう。そこには、相性や努力以外の才能が大きな壁となって存在するからだ。
それが魔術師というモノなのかもしれない。
しかし、それをルビアに面と向かって言うことは、トウヤには出来なかった。
「アイツは凄い魔術師だからな」
代わりに、ミスティの実力を認めた。
ミスティが凄い魔術師である事は事実だ。あれだけの多重詠唱をする生徒は恐らくいないし、魔術の完成度もすこぶる高い。演習の戦績も学院3位に引けを取らないくらい輝かしいものだ。才能とは別に努力をしているのを知った今では、素直に賛辞を送れる。
その賛辞を聞いたルビアは、小さく笑った。
「君もそうだよ」
学院1位の座を持つ者に。
しかし、その重みを理解していない者に。
「そう、かな?偶然も大きいと思うけど」
偶然は必然であり、真の偶然など存在しない。
そんな言葉が、頭の中に浮かんだ。
自身の血の力を、思った。
そんな思考はルビアに悟られることなく、ルビアは言葉を零す。
「運も実力だと思う。それに、ランキングの数字は誤魔化せない」
学院の魔術は、世界樹を利用することで最高強度と正確さを兼ね備える。
だからこそ昇降格戦に使用されるのだし、関係者がその数値を信頼するのだ。
「あれは陽炎さんのおかげさ」
例えそれが魔神の影響を受けていたとしても、その数値は今のトウヤを測った数値に違いはなく、魔術師としての力を示しているのだ。
「それでも君は学生一の魔術師だよ、少なくとも今はね」
ルビアの言うとおり、現在の学生1位は近衛トウヤなのである。
しかし、この時のトウヤには、その自覚が無かった。
「そんな自覚ないけどなぁ」
絶望的なまでに、その意味を認識していなかった。
ただの数字くらいの意味にしか捉えていなかったのだ。
「自覚はなくとも、多くの憧れや嫉妬が君に向いている事を忘れない方が良い」
そんなルビアの忠告も重みを伴う事はなく、トウヤは忘れることこそ無かったものの、それを重く考えることは無かった。
***
その夜、トウヤは自室で考え事をしていた。
『賢兎なら魔術師として最適だったんですけどね』
ミルの言った言葉か、何故か頭から離れなかったのだ。
魔術師。
ウルズの魔術師。
選ばれし23人の魔術師。
そこに選ばれなかった者の、生まれを惜しむ言葉。
例え賢兎でなくとも、ミルが才能に秀でた魔術師だったのなら、彼女はウルズにいた筈だ。
そうでないという事実は、正確で残酷だ。
リフィにはウルズたる資格があると言われたが、トウヤにはそれが疑わしく思えていた。
それは自身の実力を完全に疑っての事ではなく、正式な手順を踏んでの入学ではないという負い目が大きかったが、その中にさらに浮かんできた想いがある。
「俺は、いったい何だ?」
神無の魔術師。
記憶無き魔術師。
理想なき、魔術師。
流されるだけの男が、理想も持ちながらも這い上がれない者や、理想を追う者を阻んで良いのか。
記憶が戻らないまま、その血の力だけを振るい、あまつさえ志持つ者たちの席に座す。
その力に資格があるとしても、その心に資格はあるのか?
近衛トウヤは、神無の魔術師である。
故に、その力は魔術師として優れており、現に魔神をも召喚してみせた。
偶然ではなし得ないのは、トウヤも理解していた。
あんな魔神が偶然によって現れるわけが無い。そもそも、生半可な召喚魔術が魔神の元に繋がる訳がないのだから。例え召喚されたのが陽炎でなくとも、それに準じる神格や精霊だったに違いない。それでも、陽炎に繋がった事自体は偶然かもしれないし、無事に契約出来たのも偶然運が良かったのかもしれない。
記憶を失う前のトウヤだったなら、理想もあったのだろう。
魔術大家の中で実力を磨き、学院の世界樹を用いた防御魔術を蹴破ってまで学院に侵入した男なのだ。
他愛ない理由ではなく、そうすべき理由があり、魔術師としての理想があったに違いない。
今のトウヤには、確固たる理想も思想も無かった。
力だけが独り歩きして、振り回されているみたいだった。
「なんの為に、魔術を、扱う?」
自然と詠える魔術が、曇ったように感じる。
「俺が、魔術を使う理由は?その心は、なんだ?」
世界に干渉するための、心を顕す術を。
「どうしてだ?どうして俺はここに居るんだ?」
近衛トウヤは、その答えを見つけられずにいた。
その身に燻る炎も、その血に宿る遥かな意志も、呪いめいた記憶さえも、その問いに答えてくれる事は無かった。
***
同刻。
学生街のとある空き家。
「ハァ、ハァ」
複数の荒々しい呼吸が漏れ聞こえる暗がりの部屋。
雲間から時折入る月明かりが照らす。
そこにあるのはいくつもの身体。いずれもよだれと汗や涙のほか、あとは僅かに血に塗れた者ばかりだ。
そしてその中心には、一人の女がいた。
「ァハ、もっとよぉ」
その両の手を触手のように操り、絞りとる。
男たちの呻き声を嗜み、生命力を飲み干す。
蹂躙し、喰らい尽くす。
垂れ流される濃厚な魔力とイノチは、その部屋に於いては一点に収束し、漏れ出ることは無い。
生命力を吸い取り、魔力を奪い、貪るその様は、まさに淫魔の様。
複数の男たちに混じり女の姿もあるが、そこにいる全ての者たちが、中心の女王によって支配されていた。
「ゥウっ!ハァ、ハァ」
されるがままだった男。
「ァハ、たくさん」
淫魔は嘲う。
蕩ける笑みが、混沌をさらなる深みへといざなう。
果てた男に目もくれず、次の生贄を求めた。
淫魔の宴。
生贄たちはスクルドクラスの生徒たちや、学生街に住む卒業生たちが大半だった。生贄の質で言えばあまり上等とは言えないが、それでも一晩に十を超える人数を貪るのなら、上々の成果となるだろう。
それが一週間なら?
それが一ヶ月なら?
それが一年なら?
答えは自ずと見えてくる。
魔術師たちの力を吸い上げて、快楽を貪る淫魔は密かに力を蓄える。それは既にウルズに手を伸ばせる程に肥大化しており、器たる淫魔から溢れそうな量になりつつある。
それでも淫魔は宴をやめない。
そういうモノだからだ。
本能に逆らわず、淫魔は唇を舐める。
そんなむせ返るような空間に、唐突に現れる影があった。
「…首尾はどうだ?」
樹木の精霊木精が、話しかける。
「ァアん、とっても、イイです、よ」
淫魔その快楽について説明しかけたが、木精は苛立ちながらそれを遮った。
「そんな事は聞いていない。算段は付いたのか!」
「ァは、せっかちさん。その身体じゃ混ざれませんものね、クフフ」
嘲るように笑い、淫魔は誘うように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。アタシの魔力は最高潮に滾ってますもの、ァハハハ」
どこまでも頭のネジが抜けたような答えを返す淫魔に、木精は痺れを切らし、舌打ちをした。
「チぃ、もう良い。明日まともな報告をしろ。良いな」
言い終えるが早いか、樹木は跡形も無く消えてしまう。
あとに残された静寂には荒い吐息たちと、お楽しみを邪魔をされて不満げな淫魔だけだ。
「快楽を邪魔するなんて、無粋なヒト」
淫魔はやがて来るであろう未来を想像して呟く。
「アァ、貴方の蕩ける表情、早く見たいわ、トウヤ…」
その呟きは湿った空気をかき乱す風に溶けていく。
不吉な雲が迫っている、そんな夜だった。




