《転機》8.黒の夜の夢
その晩、学院上層部ではいつものように円卓を囲む職員会議が開かれていた。議題はもちろん、陽炎に絡んだ出来事だ。そのうちウルズクラスでの陽炎出現については先日報告済みであり、今回はエミリオとフィーリアの事である。
「以上が今回の顛末だ。結果として、エミリオ・シルバースミスは契約を交わし、天廻綾津日神の姿を持つフィーリア・ブラックランタンは使い魔として確立した」
今回もまた、円卓がざわつく。
「ウチのクラスからも遂に問題児発生、か」
エミリオの担任教師が嘆く声を皮切りに、リフィを責める声と担任教師を詰る声、陽炎の災厄を懸念する声がいくつも上がりはじめる。
「神無だけでは飽き足らず、災禍の魔神まで引き込むか!学院を破滅に導くつもりか?!」
「身の丈を考えぬ馬鹿者が居たものだな。担任教師はどう責任を取るつもりなのやら…」
「そんな事はどうでも良いわ。問題は、災禍の魔神がもたらす災いの方であろう!」
災禍の魔神・天廻綾津日神は、異世界を跨いで有名な魔神の一柱だ。魔術師たちにとって天廻綾津日神という魔神は、その司る力の通り災厄でしかない。殆ど無尽蔵の魔力リソースではあるものの、その力を利用する事もできず、制御不能な人格を持ち、場合によっては破滅をもたらす災禍の加護を与えもする。そんなモノを相手にするまともな魔術師はいない。いるとすれば、魔法使いレベルの魔術師かバカに違いない。
そして、そんな存在が学院に顕れたのならば、騒ぎにならないはずが無かった。
「静粛に。サー・アンシェンテ、他に報告すべき事はありますか?」
その声を抑えて、学長代理はリフィに問う。
「報告すべき事実は以上だが、私見を述べさせて頂きたい」
学長代理が沈黙を以て促すと、リフィは礼を言ってから語りだす。
「災禍の加護と呼ばれる魔神との縁故だが、アレは無差別に与えられている訳ではない」
陽炎がトウヤに『名を預けよ』という言葉と、アズに言った『お主に加護はやれん』という言葉。そこから推測するに、災禍の加護は陽炎の意志で与えられるもので、何らかの魔術契約のようなものだと思われる。陽炎が去った後、トウヤから本来備わっていないはずの炎の魔力を感じたが、それは陽炎との魔術的パスを伝う陽炎の魔力が僅かに漏れ出ているものと、トウヤ自身から発せられるものでもあった。
そこから導かれる仮説は、災禍属性を持つ陽炎とパスが繋がると新たな魔術特性に目覚め、付随して災禍属性を得るというものだ。
後天的な魔術特性の新規獲得は、真名覚醒を除けば奇跡に等しい事象だが、それも最上級の魔神にかかればあり得ない事は無い。災禍属性は様々な魔術特性の上位派生であり、複合属性でもある。時には炎であり、嵐であり、地震であり、凶星であり、その他あらゆる天災になりうる魔力の属性なのだ。手段はともかくとして、可能性の話でいえばあらゆる属性は災禍に繋がっているのだから、無理矢理繋げる事はできるのだろう。
そうして陽炎と繫がり、災禍の加護を得た者たちに発現した災いは、大元たる陽炎から分化してさえ強大な災禍の魔力を制御出来なかった故の破滅か、或いは無理矢理繋げられた魔術特性の反動が大き過ぎた結果なのかも知れない。
「推測するに、あれは一種の契約魔術であり、魔神から魔力を受けるもののように見えた」
陽炎とて制御する才の欠片も見えない者には加護を与えはすまい。リフィが除外された事からわかる通り、強さ以外にも基準はあるのだろうが、陽炎が加護を与える者の選別を自らの意志で行っている事に間違いはない。
「故に、学院自体の被災はあり得ない」
災禍の加護には余波はあれど、学院と陽炎が契約する筈はなく、直接被害は起こり得ない。あるとすれば、それは陽炎本人が被害を起した時だろう。
推論ではあるが、陽炎と直接言葉を交わしたリフィは、直感的にその事実を感じ取った。
リフィが言葉を終え、私見を聞き終えた学長代理が発現する前に、別の者が声を上げる。
「ちょっと待った。すると、うちのクラスのエミリオ・シルバースミスはどうなる?」
エミリオとフィーリアに関してはトウヤの影響による余波と思われるが、フィーリアの顔や姿形は犬と狐の差異こそあれど瓜二つ。元々黒犬として召喚されるべき所に陽炎の炎の魔力が混じり、変質したのだろう。人型になる際に残された黒炎の入れ墨は、まさしく陽炎の魔力であり、そこにエミリオ由来の銀の魔力が乗ってミスリルの鎧となっている。エミリオに対してオーバースペックである点は懸念されるものの、魔力管理を間違えなければ使い魔としての問題はない。
「天廻綾津日神からみたフィーリアの定義が不明だが、魔神の影響が無いとは言い切れない。使い魔としては現状問題ないが、その点だけは不明瞭だ」
不明瞭かつ、危険。災禍から生まれた炎をその身に宿す使い魔は、今のエミリオの実力ではいつか暴走や枯渇を引き起こすだろう。それは陽炎の影響に関わらず、エミリオの実力が足りないからだ。今は辛うじて制御が効いているだけで、いつエミリオにフィーリアの魔力が逆流するかも解らない。
それを災禍と呼ぶのなら、きっとそうなのだろう。
「魔神の影響があると判っていて契約を勧めたのか」
エミリオの担任教師は、リフィの答えに怒りを滲ませた。
「変異黒犬の召喚を成功させたのはあくまでもシルバースミスの実力だ。私は魔術師として才覚を示した彼の自由意志を尊重する」
リフィの助けなく召喚を成功させたのは、紛れもなくエミリオ・シルバースミスという魔術師だ。意志を示し進み続ける者を、リフィは止めない。
「それが明らかに危険だとしてもか!」
「そうだ」
それが生徒であれ。
それが生徒だからこそ。
学院教師たる者が、その歩みを止めてはいけない。
例えそれが危険だとしても、魔術師の意志決定を軽んじる事は、学院の思想に反する。
例えそれが、己の心を痛ませるとしても。
「お前は、生徒を進んで危険に晒すのか?!」
学院教師ならば。
「では逆に問うが、貴女は彼の何だ?親や保護者か?魔術の教師だろう?それがどうして成長を望まない?自分の生徒に自信が持てないのか?」
その問いに、エミリオの担任教師は答える事が出来なかった。
「これ以上問答を求めるなら、次からは手袋を用意しておきたまえ」
その後会議が終わるまで、誰もリフィに口を出すことは出来なかった。
***
夢を、見ていた。
黒い、黒い夢だ。
身体の感覚はなくて、上下左右どころか自身さえ、曖昧な…ユメ。
「マスター…」
だから、その呼び声は、大きく響く。
フィー、リア…。
馴染みはじめたその名を呼ぶと、いつの間にか目の前には紅蓮の炎が煌々と燃えていた。何か黒い“芯”を燃やしながら勢いを増していくソレは、安心を与えるものとはほど遠く、むしろ本能的な恐怖を与えるものだ。
全てを喰らい尽くす、真なる紅蓮。
紅い災禍の炎は、やがてゆっくりと黒く、芯を溶かすように変色していく。
「マス、ター…」
苦しげに、狂しげに、呼ぶ声は誰のものなのか。
身体を焼くような炎は、いまや黒炎となり視界を埋め尽くす。いや、もはや視界だけでなく、炎は意識をも刈り取ろうと、侵食を始めていた。
そんな息苦しい、炎の中で。
「―――――――」
最期に聞いたのが、誰の断末魔だったのか、エミリオには解らなかった。
***
苦しくて目を覚ますと、エミリオは全身に嫌な汗をかいていた。覚えてはいないのだが、夢見でも良くなかったのだろうか?と思いかけたエミリオは、自身の状況を把握して、静かに呟いた。
「…どうしてこうなった」
ベッドの上は空っぽ。
代わりに、床に敷いていた毛布には、エミリオの他に、幸せそうな寝息をたてるフィーがいた。しかも、エミリオを抱き枕のようにして、だ。
身長の低いエミリオの頭は、当然のようにフィーの胸に抱かれており、しかも、フィーの片足がエミリオの腰あたりをがっちりホールドしているため、朝方の生理現象を抑えることができない男子的に、大変まずい状況になっていた。
追い討ちをかけるように、耳元の寝息、フィーの甘い汗の匂い、何より、押し付けられる柔らかい胸の感触が、寝起きだったエミリオのギアを一気にフルに切り替える。
「…マスタぁー」
加えて、この寝言である。
ごくり、と喉がなる。
エミリオは、一度だけ…深く息を吸った。
「だーっ!起きろ、このお馬鹿!」
理性が欲望に勝った瞬間、というのを、エミリオはこの時身を持って体感した。
自身の意識を切り替えるためにも、エミリオは叫びとともにフィーを引き剥がし立ち上がる。その際フィーの胸を触ったのは内緒だ。
「わふ…、ぉはようございます、マスターぁ」
結局、しばらく寝ぼけたままの天然悩殺使い魔に、エミリオは朝から振り回されるのだった。




