《転機》5.黒犬との契約
エミリオの召喚した魔神は、保健室の中でも、よりシスターの私有スペースに近い、魔術式の敷かれたベッドに寝かされていた。
「最後の確認だよ、エミリオ」
真面目な顔で、リフィが言う。
「契約は魔術だ。しかも、召喚よりも危険を伴う事が多い」
契約魔術は、自己と他を結ぶ魔術だ。自己という枠が広がる一方、繋ぎ方を間違えれば、自己を失うことも有り得る。また、契約内容は相手との交渉であるため、相手が強力なほど、優位に立つのは難しい。
故に、契約魔術は危険なのだ。
「特に、今回の相手は得体が知れない。私やシスターすら助けられないかも知れないが、それでも契約するんだね?」
魔術師としての決断の時だと、エミリオは感じていた。
何も成せず、ただ流れるように生きるだけの人生だと思っていた。
魔術を扱えても、所詮は並か、それ以下しかなれないと、諦めていた。
「はい」
自身の意志を、世界に反映させるための決断。
エミリオは、魔術式の端に立つ。
魔術式はぼぅと光り、エミリオと意識なき魔神のみが相対する。
「“我が名はエミリオ・シルバースミス、汝と契約を結ぶ者なり”」
古よりの契約詠唱。力の無いエミリオにとって、今は歴史の重みが味方だ。
光が濃さを増すと、魔神の身体が宙に浮かびはじめ、やがて魔神は直立した。やはり魔神に意識はなかったが、意志なき瞳が薄く開かれ、その唇が言葉を零す。
「“我が力を欲する魔術師、汝、我を統べるに足るや否や、その魂を持ちて示さん”」
紡がれる言葉は魔術。
同時に、エミリオの魔力が吸い上げられていく。その奔流は魔神へと流れ、失われていた魔神の力が充填される。
「――――――…!」
一方、エミリオは急激な魔力放出に、既に魔力切れの症状が見え始めていた。ここ一番の集中力で、辛うじて踏みとどまっているが、魔神の吸い上げる魔力量は尋常ではない。
エミリオはとっさに儀礼用ナイフで自らの手を切り、魔術式へと血液を捧げる。滴り落ちる血液は、魔術式に触れるや否や蒸発し、魔力へと変換されていくが、それでも魔神は魔力を吸い上げる。それならばと、エミリオはさらに腕を切りつけて血の量を増やすが、意識を保つのがやっとだった。ぐらぐらと視界が揺れる。魔力切れで手足は痺れ、出血で傷は熱く、痛みのみが意識を繋ぐ。負けるものか、と自らを奮い立たせ、エミリオは歯を食いしばる。
しかし、魔神の試練は先が見えず、魔力も血液損失ももはや限界と見えた。
そんな時だった。
「“我が器は、汝に満たされた。この時より、我は契約の続く限り、汝の僕となろう”」
ふわり、と、魔神が舞い降りる。
エミリオの眼前へと。
そして、エミリオの腕の傷にそっと指を這わせ、血をすくうと、それをおもむろにエミリオの唇へと塗った。
そのまま。
「“さぁ、契約の証を”」
魔神の唇が、エミリオのそれと重なって。
銀と黒の交わりが、結ばれた。
***
それは、黒の煉獄を切り取ったかのように鮮鋭な存在感を放っていた。まるで、漆黒の幻灯のように。
焔から召喚された魔神。
その名はフィーリア。
フィーリア・ブラックランタンという少女、その正体は黒犬であった。
異常な程までに強力な力を持った、黒き災いの犬。本来は死や災いに近い者へそれを告げるだけの精霊で、普通は物質化もしないような存在だ。
精霊は一定以上の神格値と魔力保有量を越えると、その存在の情報が集合した精霊核が中心となって魔力構造体を成し、身体を含めた全体が物質化を遂げる。物質化しており人型ともなると、もはや属性精霊と同格であり人間と同等の存在なのだ。その証拠に、フィーリアの精霊核は人間の心臓と同じ程もあり、間違いなく属性精霊クラスに並ぶ。
何故あんなにも激しい焔を纏っていたのか。そもそも、本来の黒犬には焔の属性などないはずだし、何故犬であるはずが人型なのか。あの異常なほどの魔力量と神格値はどういうことなのか。
一番気になっていた、頬から首にかけてを覆っていた火傷のような刺青も、本来は黒犬にはない象徴なのに、強烈な存在感は依然として変わらない。
結局、契約して解ったのは、彼女の名前とちぐはぐな存在であるという謎。
けれど、エミリオとフィーリアの契約は確かに結ばれたのだ。
つまりは、縁が出来たということ。
世界を焦がす程の、大きな縁が。
それだけは、揺るぎない真実だった。
けれどその事実を、エミリオはまだ知らなかった。
***
「――――――――」
唇が離れて、エミリオは現実に引き戻された。こんな時でさえーこんな時だから、エミリオは彼女の唇の感触を思い返してしまい赤面するが、当のフィーリアは未だ意志なき瞳をしたままで。
契約の黒犬。
フィーリアの情報が、魔術を通じて伝わった。なんとなく聞き覚えのあるような、そんな感覚を覚えて、知らず、エミリオはその名を零す。
「…フィー、リア」
その名を呼んだ刹那、エミリオの左手に鋭い痛みが走った。その痛みは、契約による一時的な痛覚麻痺を飛び越えるには十分だったようで、思わずエミリオは左手を押さえ、見やる。そこには、フィーリアの頬と同じような刻印が、赤黒く光っていた。
「“ここに我らが契約は為された…”」
魔術が途切れ、収束する。
使い魔の仮人格、あるいは魔術による仮想人格と思われる気配が消えていく。
そして。
「―――――――――――ぁ、…」
フィーリアの意識が目覚めた。
そしてすぐに、目前の主の姿を認めると。
「…エミ、リオ」
確かめるように、呟いた。
「――――エミリオ」
存在を認識して、それから、エミリオが自身にとってどのような存在なのかを確定するように、フィーリアは次々と単語を零す。
主、ご主人様、お兄さん、貴方、君、エトセトラ…。
しっくり来る言葉が、やがてフィーリアから零れた。
「―――――マスター」
ぞくり、と深く繋がる感覚。
同時に、フィーリアの左手甲にエミリオに現れたものと同じ刻印が浮かび上がった。
「マスター」
もう一度。
フィーリアが呼ぶと、エミリオの刻印が熱く脈を打った。まるで、魂を焦がすように。
「これからよろしくお願いします、マスター」
だけどそれは、綻ぶように微笑むフィーリアにはまるで似つかわしくない、不吉な鼓動だった。
そこに、契約を終えた事を確認したリフィが声をかけてくる。
「さて、無事に契約が完了したようだが、この娘の正体は解ったかい?」
その問いに、エミリオは契約から得た情報を開示する。
「黒犬です。変異しちゃってますし、属性精霊並の核持ちですけど」
エミリオの答えに思案顔になるリフィは、続けてエミリオに言う。
「彼女の因子を探ってみてもらえるかい?その原因が知りたくてね」
確かに原因は不明だが、リフィの言うとおり、契約の魔術パスを通じてフィーリアの情報を読み解けるかもしれない。
早速エミリオは、左手甲の刻印とフィーリアを重ね、魔力の流れに意識を向けた。魔力感知能力の低いエミリオでも、強固で太い契約の魔術パスを通じてならば、フィーリアの事がよく視えた。
一つずつ理論立てて、フィーリアを視る。
情報解析、開示、展開開始。
エミリオが念じると、頭の中に情報が拡がる。
基本概念、黒犬、地属性、有質量核精霊、死を告げる者、変異体。
付帯属性、聖別、定着率良好、黒炎、定着率良好、親和性高水準。
身体能力、良好、状態異常なし、魔力量正常、精神異常なし。
術者との適合性、良好。
素体履歴、展開。
契約済。契約者、エミリオ・シルバースミス。魔力パス正常。
召喚者、エミリオ・シルバースミス。術者以外からの干渉あり。
変異。異常あり、干渉あり、不明な魔力反応あり、感知不能。
原因、不明。解析、不能。異常な魔力パルスあり、情報解析、不能。
そこまで読み解いて、集中力が途切れる。
熱い息を吐くと、エミリオは深呼吸した。
「ダメでした。干渉があった事は判別出来ましたけど、どうして黒炎が混じったのかは解らなかったです」
エミリオの答えに、リフィはそうか、とだけ呟いて、それからエミリオに告げる。
「フィーリアの姿はとある魔神と瓜二つなんだ。黒炎の影響の原因は、間違いなくその魔神だろう」
災禍の魔神、その祀り名を天廻綾津日神と言う。
その名前に、何故だが悪寒が走った気がした。
だが、リフィはそれ以上言葉を紡ぐ事はなく。
「幸い、フィーリア君自体は安定しているようだし、詳しくは今度ゆっくりと教えよう。今日のところは帰りたまえ」
エミリオたちは帰宅することとなった。




