《兆し》7.ルーナの決断
アズが走り去った後、最初に正気に返ったのはトウヤだった。
慌てて隣の二人を見れば、二人はまだアズの消えた方を向いたまま立ち尽くしていた。
「お、おい…!二人とも、後を追うぞ…!」
咄嗟に追わなければと思ったトウヤは、そう二人に声をかける。
ところが。
「……別に、追う必要なんてないんじゃない?」
ミスティのそんな言葉に、トウヤは思わずミスティの顔を凝視した。
その表情はいたって無表情で、声色すら平坦だったが、トウヤにはミスティの感情の渦が空気すら震わせているような感覚を覚えた。
ミスティはトウヤに告げる。
「彼女は独りで十分だと言ったんだ。その責任くらい勝手に取るがいいよ」
つまりは、勝手に野垂れ死ねばいい、と。
もっともであるが故に残酷な布告に、トウヤは咄嗟に言葉を紡ぐことができなかった。
その沈黙を是と取ったのか、ミスティはアズの消えた方向とは違う方向へと足を踏み出す。
が、ミスティはすぐに立ち止まることとなった。
「あの………」
ルーナの消え入りそうな声が、ミスティの耳朶に届いたからだ。
「私も…追うべきだと思います……」
ルーナはいつものように自信なさげで控えめな様子だったが、それでも引き下がるつもりではないようだった。
心境の変化。
トウヤとミスティが、アズの強さに羨望と恐怖、尊敬と蛮勇を感じたようにーその割合はさておきールーナにも、アズの狩猟の様子は衝撃を与えていた。蒼の死神の苛烈な様は、魔術師とはかくあるべきと言う理想像、その断片の着想をルーナに与え、まさに啓蒙の如く思い描かせたのだ。
今まで自身の魔術特性を疎み、自身の無力さを嘆き、打算的に、周りの目を気にするだけだったルーナは初めて、ここまで身勝手な、言い換えれば、何者にも縛られないような自由を見た。
自由の意志の体現者。
魔術師たる者、自由な意志の元で、奔放に振る舞うべく、魔術を使うべし。
簡単に言ってしまえば『もっと自由に、簡単に考えていいんだ』と、感じた。
過去にしでかした事に対する罪悪感も後悔も消えやしないし、実際には一歩を踏み出すのは容易ではないだろう。しかし、今のルーナには、未だ僅かながら、意志を示す心が芽吹いていたのだ。
ルーナの言葉を聞いたミスティは、無表情を崩すことなく言葉を返す。
「君…あれだけバカにされてさ、散々好き勝手やって居なくなった奴を、それでも追った方が良いっていうの?」
自分に向けられた鋭い無表情に、ルーナは僅かに怯んだが、それでもやはり引かなかった。啓蒙の元を与えたアズを、散々自身を罵ったアズを、ルーナは連れ戻さなければならない。彼女に対して何を言いたいのかは解らないけれど、アズとここで別れてはいけないと、ルーナは強く思う。
「はい。私はアズさんを追うべきだと思います」
ルーナの言葉は、二人の間にしばしの沈黙を落とし、ミスティはそんなルーナの意志を受けてルーナを見つめていた。
そんな様子で、二人の間にしばしの沈黙が流れた。
そしてそれを破ったのは、しぶしぶといった体のミスティの溜め息だった。
「君がどうゆうつもりで彼女を追うのかは知らないけどさ…後で後悔とかしないでよ?」
ミスティは呆れた声でそう言うと、そそくさとルーナに背を向ける。
「行くならさっさと行くよ」
そんなミスティの背中には、先程までのアズへの憤りはなりを潜め、いつもどおりの冷静さが戻っていた。
***
3人で急いでアズを追う。
アズの行方は幸いにも、獣道に零れた菌竜の体液を辿れば良かった。時折、青い血を踏んだ足跡が着いており、道に迷ったりアズを見失ったりはせずに済みそうだ。
森の木々や地面に、点々と不気味に落ちる青。
血痕と足跡を見る限り、菌竜は翼を失いつつも歩幅は変わっていないようだ。やはり竜種の生命力は侮れない。
トウヤは、身体が寒さに震えているような感覚を覚える。
マナを内包した体液と、アズの凍りつくような魔力の残り香。ただでさえ濃厚な森の魔力が、血液とアズの魔力でむせ返るような程に高まっている。
身体の反応と、目で見ている現状の考察から、トウヤは改めてアズの強さを認めていた。
事前に識っていた菌竜の強さ。
竜種として恥じない生命力と戦闘能力を持ち、パーティを組んだ魔術師たちを蹴散らせる強さ。学院の並の生徒であればひとたまりもない脅威。その強力さから誰も戦いなど挑まないはずの菌竜を、ここまで一方的に傷つけてしまうアズの強さ。
そこまでの強さを持っている理由は、彼女が魔貴族の出だからなのか。
ふと、そんなことがトウヤの頭をよぎり、そして即座に、その思考は唐突な頭痛に遮られてしまう。
嗚呼、さっきの呪いが、再び打ち寄せる。
ズキリ、ズキリ。
最初は風邪のときの頭痛のように。
アズリィルという名。
呪いがもたらした知識が鍵となり、扉が開く。
キーワードが思考に刻まれるごとに、痛みは増幅していく。
魔術大家と、純血。
ギリ、ギリ。
頭のナカミを直接焼かれるような痛み。
けれど、頭痛が酷くなればなるほど、トウヤは深みに沈んでいく。
魔貴族アズリィル家。
ドクン。
細かな血管に流れる血液すら、痛みに変わる。
トウヤは、その魔貴族の家柄を識っていた。
それを自覚した次の瞬間。
魔族に―る貴―――、膨――魔力、蒼――王、―食――毒、死――家系…………――――――――――――――――――――――!!!!
巨大なハンマーで四方から頭を砕かれたような衝撃を受ける。
それは杯から溢れる水のようで、杯そのものを溶かしてしまうような、そんな知識―記憶の奔流だった。
アズリィル。
魔族の中の魔族。
高貴なる魔王に連なる真魔。
喰うに値する、呑むに値する、大いなる魔。
壊せ、引き裂け、噛み千切れ、叩き潰せ、砕け、喰らえ、呑み干せ、殺せ、滅ぼせ!
血が求めるは、その力。
血に眠る魔術の欠片、その扱い方が流れ込む。
ありとあらゆる神魔を喰らう魔術が、呪いの如く識れ渡る。
そんな奔流に、とうに理性は流され、トウヤは見せられる知識だけを吸収していく。けれど未だに治まらない頭痛はノイズとなり、杯を守るように持ち主の吸収を徐々に拒絶していった。
また一つ、魔術を識った。
それ意外は断片的で、今のトウヤでは扱い切れない。
識った魔術も、到底使おうとは思えない魔術だった。
《嘆き叫ぶ濁刀》
属性付加に類する魔術ではあるが、その効果は凄まじくもおぞましい。
これをアズに使えと、呪いは叫んだ。
気づけば、トウヤは立ち止まり、顔を覗き込む二つの顔が心配そうにしていた。
「…大丈夫かい、トウヤ?」
ミスティの声に、トウヤは意識を明確にした。
「………大丈夫だ」
そう答えたものの、妙に息苦しくて、トウヤは自分の首の辺りに手をやる。そのまま制服の襟を緩めると、無自覚だったが、首も額も背中もびっしょりと汗をかいていた。
「…………―――――」
トウヤは、さっきの知識の奔流を思い出す。
途端、ズキリと頭痛がして、警告を発した。
この身体は、一体何者なんだ?
記憶が無いことに、改めて恐怖を感じた。
自身が何者なのかも解らずに、こんなふうに普通に過ごして良いのか、解らない。あんな恐ろしい魔術を識っているなんて、きっと普通じゃない。
だが、今はアズを追わなくては。
一瞬のうちに思考を切り替えると、トウヤは心配そうなルーナに大丈夫だ、というジェスチャーをして、一回だけ深呼吸をした。
「もう大丈夫。早く行こう」
トウヤのその言葉に、ルーナは何か言いたげだったが、ミスティが進みはじめ、トウヤもそれに続いたので、結局ルーナは何も言えなかった。
そうして、再び血痕と魔力香を辿ってしばらく進んで行くと、辺りの様相が段々変わり始めた。
始めは、辺りの植物の変化だった。
木々の葉の密度が異様に上がり、陽光を遮って、地面には苔と菌類が増えていく。すると自然に空間はすっきりし、空気が冷えはじめた。
構わず先に進めば、広かった空間は背丈を伸ばしていく茸で狭まっていき、辺りはいつの間にか、巨大な菌類の森になっていた。
白い幹に茶色い傘。細い束の茸。うっすら光るものまである。
濃厚な生命力の満ちる森は、薄暗い密林などよりも、よっぽど不気味だった。
なにより、この森の王族である菌竜の魔力香が、侵入者を執拗に拒み続けているのだ。精神力の弱い者ならば衰弱していてもおかしくはなかった。
そんな不気味な森の中、トウヤたちは構わず進み続ける。
徐々に、徐々に、近づいていく。
巨大な魔力を持つ者の元に。
巨大な菌と菌糸をくぐり抜け。
段々と姿を現す。
「二人とも、多分そろそろだよ」
だから、そんなミスティの勧告にも驚くことはなく、むしろその言葉を待っていたようにも思う。
トウヤたちの目の前には窪んだ地形。
その窪みを全て呑み込んで、菌糸でできた巨大なドーム…菌竜たちの巣が不気味に鎮座していた。




